14話
あれからの数週間、領地経営は活気に満ちていった。
わたくしは、家令のレイモンドさんを隣に置き、エドガー様と三人で領地の新たな青写真を描き始めた。
わたくしの育った侯爵家の英才教育で培った領地知識は、経験豊富なレイモンドさんの実務能力と結びつくことで、驚くほどの速度で形になっていった。
「奥様、この土地の土壌は確かに水はけが良い。その上、奥様のご提案に従ったお陰で保水性も良くなり有機物を多く含んだ土壌となりました。よって、付加価値の高い薬草の栽培に切り替えるのが最善でしょう。流通のルートもすぐに確保いたします」
「素晴らしいわ、レイモンドさん。貴方がいてくださると、物事が十倍速で進みますわね」
レイモンドさんは
「奥様の慧眼あってこそ」
といつものように控えめだが、その有能さは疑いようもない。
エドガー様も畑の周囲を歩きながら、領民たちと自ら話し、特産品への転換を熱く語りかけた。
その真摯な姿と、平民出身だからこそ領民に寄り添える温かさが、皆を奮い立たせた。
領地は生まれ変わりつつあった。その様子を見るたびに、わたくしとエドガー様の間に流れる空気も、より親密で確かなものへと変わっていった。
「初めてこの土地に来た時、不安でしかなかったが……今では、未来が楽しみでならないよ」
夕食後、執務室でそう語るエドガー様は、自信に満ちた、まさに領主の顔をしていた。
その時だった。
屋敷の静寂を切り裂くように、馬の蹄の音と、慌ただしい伝令兵の怒鳴り声が響いた。
レイモンドさんが急いで戻ると、顔色を失くし、硬い声で報告した。
「ご主人様。陛下から緊急の王命でございます」
「王命?」
エドガー様の顔から血の気が引く。わたくしの胸も、予感めいた不安で冷えた。
「北方国境で情勢が急変、大規模な戦線が再開した模様です。ご主人様、直ちに軍を率いて戦線へ向かうよう、陛下からのご要請です!」
戦線。
それは、エドガー様が最も輝く場所であり、わたくしが最も恐れる場所。
エドガー様は、ぎゅっと唇を結び、王命が書かれた書状を睨みつけた。
「……すぐに準備を」
彼はわたくしの方を向いた。その瞳は、迷いと、妻を残していくことへの申し訳なさで揺れていた。
「ミリアン……」
わたくしは一歩も引かず、エドガー様の前に立った。その場で、一瞬にして感情を押し殺し、領主の妻の顔になった。
「心配はご無用ですわ、エドガー様」
わたくしは、彼の頬にそっと触れ、まっすぐに見つめた。
「準備をなさいませ。あなたが軍人として呼ばれたのであれば、行くべきです。領地のことは、わたくしとレイモンドさん、そして、この土地に生きる皆が必ず守り抜きますわ」
彼の不安を、すべて受け止め、打ち消すように、静かに、しかし力強く告げる。
「どうか、迷わずに戦ってきてください。この領地の土壌の知識ならわたくしに敵うものはいません。あなたの帰る場所は、わたくしが盤石にいたします」
わたくしは彼の分厚い手を握りしめ、強い決意を込めた。
「ですが、一つだけ約束してください。あなたが戦場で皆を守ったように、わたくしは領地を守ります。だから……」
わたくしの声は、わずかに震えそうになったが、最後まで笑顔で言い切った。
「どうか、あなたは無事に戻って来てください。それが、わたくしの唯一の願いなのですから」
エドガー様は、目を見開いたままわたくしを見つめ、やがて力強く頷いた。
「ああ、わかった。必ず、無事に帰る」
彼はわたくしを強く抱きしめた。その腕の力強さが、彼の決意の固さを物語っていた。この土地と、そしてこの妻を守るために、戦場へ向かうのだ。
二人は、夜の闇が帳のように深く覆い始めた屋敷の中で、固い誓いを交わした。
エドガー様が出立するまで、わたくしは一滴の涙も見せずに、彼の戦いの準備を整えた。
彼の不安を消し去るため、領地経営の具体的な方針をすべて立て、レイモンドさんと完璧な策を講じ、彼に伝えた。
そして、夜明け前。
領地の門で、エドガー様はわたくしを抱きしめ、そして振り向かずに軍馬に乗った。
その背中が領地の門をくぐるのを見届けた後、わたくしはレイモンドさんに言った。
「さあ、レイモンドさん、わたくしたちの戦いはこれからですわ」




