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高飛車な侯爵令嬢と不器用な騎士団長  作者: ヴァンドール


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13/42

13話

 夕陽が畑の端を黄金色に照らし始めた頃、視察も終盤に差し掛かっていた。


 エドガー様は、農夫たちが遠くからわたくしたちに手を振るのを見て、どこか安心したように息を吐いた。


「……正直に言うと、ミリアンが来てくれるまで不安だったんだ」


「不安、ですの?」


 わたくしが問い返すと、エドガー様は少しだけ目を伏せた。


「知っての通り、私は元々、ただの平民だった。戦場で功績を挙げたとはいえ、領地経営を本格的に学んだことなんてない。王から賜ったこの土地を守るために必死だったが……どこまで出来るのか、自信はなかった」


 ああ、なるほど。お気持ちはわかりますわ。

 だからこの方は、誰より努力しているのよね。それでも『妻に迷惑をかけたくない』と控えめな方だからこそ遠慮なさるのだわ。


「でも、今日ミリアンと歩いて……心が軽くなった。君は領地を見る目がある。私には思いつかないことを、いくつも即座に見抜いてくれた」


 エドガー様は照れたように笑った。


「まるで、君は生まれた時から領地を背負う令嬢みたいだ」


「まあ、実際そうですもの」


 わたくしはくすりと微笑んだ。


「ですから、足りないところはわたくしが補えばいいだけですわ。あなたが戦場で皆を守ったように、わたくしは領地を守る方法を知っております。お互い助け合えばよろしいのです」


 その瞬間。


 エドガー様の表情が、ぱっと明るくなった。


「……ミリアン、ありがとう。本当に」


 横から、家令のレイモンドさんが静かに口を挟んだ。


「ご主人様。奥様の存在は、当家にとって千人力でございます」


「それは、さすがに言いすぎでは?」


「いえ、事実でございます」


 即答だわ、この家令。


 すると近くの兵士たちもひそひそ声で盛り上がる。


「団長、今日ずっと誇らしそうだったな……!」


「わかる。奥様が褒められるたびに耳が赤くなるの、可愛かった」


「おい、命が惜しければ黙っとけ」


 エドガー様は耳まで真っ赤にしながら兵士たちを睨んだ。


 平民出身の領主だからこそ、兵士たちとの距離も近いのでしょうね。

 それがまた、この領地の温かさを生んでいるのだわ。


ーーーーーーーー


 帰路につく途中、わたくしはそっと馬車の窓から領地を振り返った。


「とても素敵な土地ですわね」


 つぶやくと、エドガー様は静かに頷いた。


「ええ。陛下から賜った時は、あまりに大きすぎて……正直『務まるのか』と何度も不安になったよ」


 彼は少し苦笑を浮かべる。


「けれど、今日ようやく自信が持てた。君となら、この土地を本当に領民のための領地にできると」


「まあ」


 わたくしは思わずエドガー様を見つめ、そっと微笑んだ。


「では、これからは二人でここを素敵な土地にしてまいりましょう。あなたの努力と実行力、そしてわたくしの領地の知識を合わせれば、無敵ですわ」


 その言葉に、エドガー様の目が柔らかく細められた。


「……ああ、確かに無敵だ」


ーーーー


 領地視察を終えて屋敷に戻った頃には、もう空には星が瞬き始めていた。


「ミリアン、今日は本当に助かったよ。ありがとう」


 夕食後、廊下を歩きながらふいにエドガー様が足を止め、こちらを向いた。


 その声音はいつもより少しだけ近くて

 わたくしの胸は、ほんのわずかに高鳴った。


「この領地を守る責務は、私一人のものだと気負っていた。けれど、君が横にいると……すべてが軽くなる。それに前よりも、未来がはっきり見える気がするんだ」


「まあ、それは嬉しいお言葉ですわ」


 わたくしも自然と、笑顔になっていた。


 距離が、近い。


 今日一日で、確かに何かが変わった。

 そんな実感が静かに満ちていく。


 その時だった。


 ふっと、エドガー様のまなざしに影が差した。


「……でも」


「?」


「私の生まれは……やはり、こうして時々、気になってしまう」


 わたくしは思わず瞬きをした。


「今日、君が土の状態を見ただけで問題を見抜いた時……領地育ちの令嬢は、こんなにも自然に領主の目を持って育つのかと、少し……圧倒された」


 彼は自嘲するように小さく笑った。


「私は、叩き上げの兵士だ。ただ剣を振るってきただけだ。土の見方も、作物の知識も、すべて後付けだよ。……君に教えられることばかりで、情けないと思ってしまった」


「エドガー様……」


 その横顔には、戦場では決して見られないだろうそんな種類の弱さがあった。


 ああ、この方は。

 強くて誠実なのに、どこまでも謙虚なお方。

 だからこそ、ふとした瞬間に自分を低く見過ぎてしまうのね。


 わたくしはそっと歩み寄り、ほんの少しだけ距離を詰めた。


「エドガー様。あなたは誤解をなさっていますわ」


「誤解……?」


「ええ。わたくしが領地のことを知っているのは、家庭の教育によるものです。でも、あなたが領地を得たのは、努力と実力によって得た戦功ですわ。どちらが欠けていても、領主にはなれません」


 わたくしは静かに言葉を紡ぐ。


「わたくしは知識を持っています。けれど、あなたには領民の心を掴む力がありますわ。今日、あれほど皆があなたを慕っていたではありませんか」


 エドガー様は少しだけ目を見開いた。


「……慕われていた、だろうか」


「もちろんですわ。あなたが平民出身であることは、むしろ領民にとって誇りでなのです。あの領主様は、わたしたちの側に立ってくれる方だと、皆が分かっているのです」


 その言葉に、エドガー様の肩の力が、そっと抜けた。


「……ミリアン」


「はい?」


「君は、本当に……すごい人だな」


「まあ。誉め言葉として受け取っておきますわ」


 ふたりの距離が、また少しだけ近づいた。


 その時、廊下の陰から気配が。


「……あの、団長、奥様。そろそろ、その……仲良さげなの、直視がつらいので部屋に戻っていいですか?」


「黙りなさい!」


 レイモンドさんに連行される若い兵士の影がスッと消えた。


「あら、いつからいたのかしら?」


 わたくしとエドガー様は顔を見合わせ、同時にくすりと笑った。


 彼の青い瞳は、先ほどの不安の色を完全に消し、夜空の星のように穏やかに輝いていた。


「……おやすみ、ミリアン」 


 彼がそっとわたくしの名を呼んだ。それだけで、わたくしの胸が再び熱くなる。


「おやすみなさいませ、エドガー様」


 わたくしがそう返すと、彼は、ごく自然な動作で、わたくしの頬にそっと唇を落とした。

 結婚してから、そして今この瞬間まで、これほど彼自身の感情を感じたことはなかったかもしれない。

 その温かい感触が、わたくしの胸へと広がっていく。


 わたくしたちの距離は確かに少し縮まった。

 でも、彼の心に巣くう平民ゆえの不安だけはまだ完全には消えていない。


 ならば。


 これからゆっくり、手を取り合って消していけばよいのだわ。わたくしは一人心に決めた。


 その頃、窓の外にはゆっくりと夜の帳が下りていた。

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