11話
その夜。
新居の寝室は、柔らかな灯りに包まれ、暖炉の火が静かに揺れていた。外の風の音が時折、窓を叩く。
わたくしが歩み寄ると、そこには大きなベッドと、隣にもうひとつ小さな寝室の扉があった。
エドガー卿がその前に立ち、静かに頭を下げる。
「お嬢様……本日より寝室は、こちらをお使いください」
彼の声は低く、慎重で、どこか痛々しいほどに真剣だった。
「では、エドガー卿は?」
戸惑いと少しの不安を胸に問いかける。
「私は……隣の部屋で休みます」
わたくしは息を飲んだ。
王命はあくまで自分の内緒の希望で、彼は誤解したままだった。だけど今更本当のことを告げるわけにもいかない。
だからこれは仕方がないこと。自分が望んだ結果なのだから、と心を静める。
「やはり結婚前に言われたことを実行なさるおつもりですか?」
彼は視線を落とし、少し間を置いてから答えた。
「前にも言いましたが、お嬢様は王命だから私と結婚された。ですので、まだ心から私を望んでくださったわけではない、と私は思っております」
わたくしは唇を噛む。
今一度、自分が望んだことゆえ、誤解されるのも仕方ない、そう自分を納得させた。
彼は小さく息を吐き、苦しげに頷く。
「それゆえ、私が強引に求めれば、あなたの心を傷つけてしまう。だから私は、あなたが心から私を慕ってくださる日が来るまで、夫婦としての関係は持ちません」
静かに、しかし揺るがぬ決意の声。
わたくしは一歩、彼に近づく。
「……エドガー卿」
小さく息をつき、言葉を選ぶ。
「でしたら責めて、お嬢様ではなく、名前で呼んでいただけませんか?」
彼は目を見開く。ぎこちなく喉を鳴らし、少しだけ視線を上げる。
「……え、良いのですか? それでは、えーっとミリアン様」
初めて彼の口から自分の名前が出た。
わずかにぎこちないが、誠実な響きがあり、わたくしの胸にじんわり温かさが広がる。
「……敬称もいりません。わたくしたちは夫婦になるのですから。ミリアンと呼んでください。わたくしは旦那様か、エドガー様とお呼びさせていただきます」
「はい……では今後は、ミ、ミリアンと呼ばせていただきます」
静かな沈黙の中、二人の間にわずかに柔らかい空気が流れた。
それでも、彼の決意は揺るがない。
「ミリアン……今夜はゆっくりお休みください。
私は……隣で、あなたを見守ります」
その言葉に、わたくしは胸が締めつけられる。
優しく、大切にしてくれる、でもまだ、だいぶ遠い距離。
扉が閉まる前に、わたくしは静かに呟いた。
「……ありがとうございます。隣にいてくださるだけで、心強いですわ」
初夜は、互いの想いの距離と、名前を通じた新しい一歩をそっと刻み、静かに幕を下ろした。




