91話 コミックス3巻発売記念SS 王弟エリオットの恋
コミックス3巻発売されました!
麗しい橘皆無先生の絵が満載です!
このお話は皆無先生の描かれる王弟殿下があまりにも素敵なので、できたお話です(*´꒳`*)
そしてなんと、豪華声優陣様によるボイスコミックも作って頂きました!
マリアベル・関根明良さん(『ひろがるスカイ!プリキュア』ソラ・ハレワタール/キュアスカイ役)
レナート・佐藤拓也さん(『刀剣乱舞』燭台切光忠役)
カルロ・平川大輔さん(『鬼滅の刃』魘夢役)
エドワード・広瀬裕也さん
ジェームズ・西澤遼さん
下にリンクがありますのでYouTubeでご覧ください。
フレデリック三世が執務室の扉を開けると、ふわりと薔薇の香りが漂ってきた。
甘くて華やかな中にもほのかな温かみがあり、部屋全体を包みこむような安らぎを与えてくれるような透明感のある、懐かしい香り。
忘れがたいその香りは、王宮の奥にある、王族と許された者しか入れない薔薇園にしか咲いていない品種のものだ。
視線を巡らせると、執務机の上には記憶のままに美しい白薔薇が飾られていた。
幾重にも重なった純白の花びらは、一つ一つが丁寧に彫刻されたかのような緻密な造形を見せている。
陽光が窓から差しこむと白薔薇の花びらは柔らかな光を反射し、まるで魔法にかかったかのようにきらめいていた。
その眩しさに、フレデリック三世は目をすがめた。
弟のエリオットはこの花が好きで、一緒に薔薇園を訪れると決まってこの薔薇を摘んでは自室に飾っていた。
薔薇の香りに誘われて、懐かしい記憶がよみがえる。
「エリオット……」
フレデリック三世は机の前の椅子に座ると、しばし目を閉じて思い出にひたった。
満開の薔薇が咲き誇る庭園で、風に揺れる色とりどりの花びらや木々の葉擦れが織りなす自然の調べに身を委ねながら、フレデリックは思い悩んでいた。
先日の会議で弟エリオットが提案した議題は本当に素晴らしく、自分にはない鋭い視点や斬新な案に重臣たちがしきりに感心していた。
自分にもあんな発想があればと思うが、どんなに頭をひねってもあれほどのアイデアは出てこない。
弟の才能に嫉妬して奮起するだけの気概もなく、フレデリックはどうにかして弟に王位を譲れないものだろうかと悩んでいた。
王位に就いてしまってからの譲位は難しいだろうが、王太子位であればそれほど大変でもなさそうな気がする。
隣国であるガレリア帝国との関係も良好で、何かと好戦的なモルヴィア共和国もここ数年は大人しい。
王国が多少ゴタゴタしても、問題はないのではないだろうか。
そう考えたフレデリックは、それとなくエリオットに王位を譲る話をしてみるのだが、肝心の本人にはまったくそんな野心はなく、兄の補佐をして影で王国を支えることを誇りに思っていた。
だがフレデリックは、自分には王という重責は向いていないのを自覚している。
できれば日がな一日釣りでもしてのんびり暮らしていくのが理想の生活なのだ。
しかし王国では嫡男が王位を継ぐので、フレデリックによほどの瑕疵がない限り、エリオットに王位を譲ることはできない。
どうしたものだろうかと、限られたものしか入れない薔薇園で物思いにふける。
だが答えは出ない。
連日の雨がやっと上がった喜びに揺れる、様々な色や形の薔薇が織りなす花の絨毯は、風が吹くたびにひらひらと舞う蝶を相手に優雅にダンスを踊っているかのようだ。
風が、薔薇の甘い香りを乗せてくる。
太陽の光に当たって輝く薔薇の花びらはどんな宝石よりも美しく輝き、フレデリックの目を楽しませた。
その目がふと庭園の隅に咲く小さな白い花に向けられる。
薔薇の花園に不似合いなその花は、野に咲く名もなき花だった。
本来ならば王族の花園に咲くはずのない花だったが、雨が続いたために見逃されて咲いたのだろう。
だがそのいじらしさがフレデリックの胸を打った。
もっとよく見ようとしゃがむと、不意に影が差す。
見上げると、白い薔薇を抱えたエリオットが立っていた。
「フレデリック兄上、今日は妃候補の方々と茶会があるのではないのですか?」
心配そうに言われて思い出す。
エリオットの言う通り、茶会の予定が入っているのだった。
「ああ、だがどうせ妃はサヴォア家の娘に決まっているのだろう……?」
のろのろと立ち上がりながら肩をすくめると、エリオットは形の良い眉をしかめた。
「八公家の言うことなど放っておけば良いのです。今の王国は平和ですから、兄上はご自分の選んだ方と結婚してください」
「そうは言っても……」
三つの大公家と五つの公爵家からなる八公家は、御前会議で強い発言力を持つ。
代替わりをしたばかりのダンゼル公爵家以外は、なぜか歴史が古いだけでこれといった特徴のないサヴォア家の娘を妃にと勧めてきた。
茶会には他の候補もくるが、妃は彼女にほぼ決まっているのではないかと思う。
「それにサヴォア伯爵令嬢には恋人がいらっしゃいますよ」
「それは本当か?」
初耳だったので、フレデリックは思わず聞き返してしまった。
「ええ。私の友人のジェームズ・バークレイです」
ああ、彼か、とフレデリックは弟の友人として紹介された青年を思い出す。
穀倉地帯を治める侯爵家の嫡男で、物腰が柔らかく人好きのする男だ。
八公家はサヴォア伯爵令嬢を妃にと勧めてくるが、バークレイ侯爵家と敵対するのは本意ではないだろう。
ではフレデリックの婚約相手はまだ決まっていないということだ。
できればこの花のように、慎ましく咲く女性がいい。
フレデリックと二人、穏やかに笑っていられるような、そんな人が。
フレデリックは足元でひっそりと咲く白い花に思いを寄せる。
「ですから兄上は、ご自分の愛する方と結ばれてください」
お気に入りの白い薔薇を抱えて微笑むエリオットはまるで薔薇の絨毯の上に立つ王のように堂々としていて、フレデリックは無意識のうちに見つけたばかりの小さな花を、彼から隠した。
エリオットの言う通り、サヴォア伯爵家の令嬢は婚約者候補を辞し、ジェームズ・バークレイの元に嫁いだ。
それによってフレデリックの婚約者探しは振り出しに戻り、茶会には新たに選ばれた令嬢が数人ずつ参加する。
基本は侯爵家以上の家格の令嬢で、何人か伯爵家が混ざっているようだった。
その中に、いつもフレデリックから遠い席に座る女性がいた。
裕福ではないのか、他の参加者と比べるとその装いはあまり華美ではない。
だが歴史のある侯爵家の娘で、なによりフレデリックは彼女の控えめな様子が好ましかった。
八公家の中でもそれほど力の強くないダンゼル公爵家の派閥に属しているのも気に入った。
フレデリックが派閥の後ろ盾のない娘と結婚して、もしエリオットが大公家の誰かと結婚したならば……。
そうすれば八公家だけではなく、フレデリックの父もエリオットを後継に考えてくれるかもしれない。
釣りに明け暮れるフレデリックとは違って、勤勉なエリオットは王国の発展のために必要な知識を身に付け兄を支える力となるため、王宮の図書館で王国だけではなく他国の歴史や文化を学んでいた。
またそれだけではなく、諸外国との友好関係を築くために外交交渉にも取り組んでいた。
明らかにエリオットのほうが王にふさわしい。
だからその考えはとても良いことに思えた。
フレデリックは重臣たちの反対を押し切り、計画通りに貧乏な侯爵家の娘と結婚し、釣りに没頭する日々を送りながら政務をサボっていた。
一方でエリオットは国のために尽力し、兄の補佐を続けてその優秀さを知らしめていた。
父と八公家が、やる気のないフレデリックではなくエリオットを王太子にしたほうが良いのではないかと考え始めた頃。
エリオットが花嫁を連れてきた。
「フレデリック兄上、紹介したい人がいるんだ。私の未来の妻、コーデリア・ロードライトだ」
優雅なドレスに身を包んだコーデリアが、微笑んで部屋に入ってくる。
彼女の茶色の髪は柔らかく波打ち、その瞳は冬の晴れた日の青空のように澄み渡っていて神秘的だった。
エリオットは優しく彼女の手を取り、兄の前に引き寄せる。
「ロードライト? それは……」
それはモルヴィア共和国の侵攻によって滅ぼされた小国の、王族の名前だ。
中央諸国と呼ばれる国家群のうちの一つであったロードライト王国は、小国でありながらも、勇猛果敢な兵士たちを揃えてモルヴィア共和国の脅威に対抗してきた。
武力だけではなく、婚姻によって和平条約を結ぶなどして戦争を回避していたのだが、つい先ごろ、突然モルヴィア共和国に攻められて滅びてしまったのだ。
「ご紹介にあずかりました、コーデリア・ロードライトでございます。王太子殿下にお初にお目にかかれて恐悦至極に存じます」
そう言って頭を下げたコーデリアの所作は、王女にふさわしく気品あふれるものだった。
フレデリックは、国が滅びたとはいえ、王族としての誇りを忘れず凛としているコーデリアの強さと優雅さに心を打たれた。
エリオットが選ぶのにふさわしい女性だと思う。
だが、だからといってもろ手を挙げて賛成できるはずもない。
「エリオット、しかし……共和国との関係を考えると、コーデリア姫を王族に迎え入れるわけにはいかないぞ」
もし王子であるエリオットが彼女と結婚すれば、王国が後ろ盾になって国を再興するつもりなのかと、共和国に疑心を与えてしまう。
王国は共和国と隣接しておらず直接的な脅威はないが、それでもあなどれない強国だ。
むやみやたらと敵対するのは愚策だろう。
エリオットもそれは分かっているというのに、なぜ、とフレデリックは歯がゆさを感じる。
「分かっています。ですから私は王籍を抜けたいと思っております。幸い、彼女は私が一介の平民になったとしてもついてきてくれると約束してくれましたので」
そう言って微笑みを交わす二人は互いへの愛情に満ちていて、たとえフレデリックが反対したとしても、思い留まらせるのは無理だろう。
「お前は王族だぞ! 平民になったとして生活はどうするのだ」
「幸い外交で鍛えた語学力などもありますので、通訳の仕事をするのも良いですし、商会を立ち上げて商売をするのも良いかと思っています」
もう既にエリオットの中では決まっているのか、淀みなくこれからの生活を語る。
本気で王籍を抜けようとしているのだと、はっきり分かった。
「エリオット、なぜ、そこまで」
「真実の愛を見つけたのです。そのためならば、私は何を捨てても後悔いたしません」
「真実の愛……。しかし、お前は私よりもはるかに優秀で、だから私は――」
お前こそが王にふさわしいと思っている。
そう言いかけたフレデリックの言葉は、エリオットによって遮られた。
「兄上。私は側近たちの力量を把握し、うまく使うことのできる兄上が、誰よりも王にふさわしいと思っています。それにたとえお側を離れたとしても、私が兄上の弟であることは変わりません。立場が変わり、どこにいても、何があっても、私は兄上に一番忠実な臣下でありたいのです」
フレデリックは弟の真摯な言葉と決意に感動し、しばらく考えた後に頷いた。
「分かった、エリオット。お前の決心を尊重しよう。ただし平民になることは許さぬ。王籍を抜けた直系男子は公爵位を賜る慣例がある。南東にある直轄地に領地をたまわるように陛下に進言しよう」
「フレデリック兄上、ありがとうございます」
エリオットは嬉しそうに兄を抱きしめ、コーデリアも喜びに涙ぐみながら、微笑んで感謝の意を示した。
「幸せになるのだぞ」
「はい、兄上」
エリオットとコーデリアの結婚が決まったことで、フレデリックは優秀な弟に王位を譲ることができなくなってしまった。
彼は残念に思いながらも、二人の結婚を心から祝福する。
そして自分が王位を継ぐことに向き合い、真剣に取り組む決意をする。
それまでは事あるごとに執務をさぼって釣りをしていたが、反省して真面目に働き始めた。
エリオットの結婚について反対していた王や八公家も、ようやく王太子としての自覚を持って働くようになったフレデリックに安心したのか、二人の結婚を認めた。
二人の結婚式は、王宮の奥にある美しい花園の中に急遽建てさせた小さな教会で、身内だけでひっそりと行われた。
春の陽射しが窓から差し込み、色とりどりの花々が優雅に香り立つ中、エリオットと姫は永遠の愛を誓い合う。
フレデリックは二人に心から祝福の言葉を贈った。
エリオットは公爵として兄をよく助け、フレデリックも優秀な弟を頼りにした。
フレデリックに待望の世継ぎが生まれると、国王は年齢を理由に退位し、フレデリックは国王フレデリック三世として即位した。
やがてエリオットとコーデリアにも新しい命が芽生え、みんながその誕生を心待ちにしていた。
何もかもが順調だった。
だが突然王都を襲った流行り病に、事態が一変する。
国王一家と妊娠中のコーデリアを避難させたエリオットは、前国王や八公家の当主たちと封鎖した王都で指揮を執り、そして病に倒れた。
それからの出来事はあまりに目まぐるしく、実をいうとフレデリックはあまりよく覚えていない。
エリオットと両親の死の知らせ。
ダンゼル公爵のもたらした特効薬による流行り病の終息。
八公家のうちの七家の当主が亡くなったことによるダンゼル公爵の台頭。
病に倒れた者が多すぎて手が回らず、寝る間も惜しんで執務をしたこと。
……そして激務で接する時間がなくなってしまった間に、慎ましやかな野の花のようだった王妃は変わっていき、エドワードは他人を疑うことを知らない、純粋培養のような子供に育っていた。
王妃はともかく、エドワードの性格は、王太子としては致命的ともいえるものだった。
いや、そもそも持って生まれた性質なのだと思う。
弱く流されやすいエドワードの性格は、嫌になるほどフレデリックにそっくりだった。
フレデリックには両親やエリオットがいてくれた。
進言してくれるもののいないエドワードがこれからどんな王になるのか、フレデリックは考えただけで恐ろしくなった。
流行り病の特効薬をもたらしたダンゼル公爵の専横は続き、フレデリックが退位した後、エドワードが傀儡の王になる未来しか見えない。
せめて対抗できる力をと思い、バークレイ侯爵家のマリアベルを婚約者に求めたのだ。
それも、エドワードがマリアベルとの婚約を破棄したことで駄目になってしまったが、結果的に、マリアベルは帝国の皇太子と婚約し、彼らがダンゼル公爵の罪を明らかにしてくれた。
過去に思いを馳せていたフレデリック三世は、閉じていた目を開けて机の上に飾られた白い薔薇を見る。
その薔薇は、エリオットたちが結婚式を挙げたあの薔薇園で、かつてエドワードが元気に駆け回っていた日々を思い出させた。
王国のためにダンゼル公爵を断罪しなければならなかったとしても、たとえエドワードが王としてふさわしくなかったとしても、……血を分けた息子なのだ。
あのように北へ封じる命令を下したことで、心が痛まないわけではない。
それでも、あれは必要なことだった。
もしエリオットが生きていたならば、他の道も模索できたかもしれない。
けれども、フレデリック三世にはあれが最善だったのだ。
フレデリック三世の目に窓の外の景色がぼんやりと映り、遠く離れた地で暮らすエドワードを思う。
遠い北の大地で、エドワードは自らの才覚で生き抜いていかなければならない。
共和国との交易で栄えていたあの地は、ダンゼル公爵を失い、今までの豊かさを享受するのが厳しくなるだろう。
だがエドワードには王太子の地位を失ってもなお、彼を慕って北の大地まで着いていってくれた側近たちがいるのだ。
だから、どうか。
くじけぬ心で領主としての務めを果たして欲しい。
そんなフレデリックの胸には、エドワードが無事で幸せに暮らしていることを願う父親の愛があふれていた。
彼は祈るような気持ちで窓の外に目をやり、遠く離れた地で力強く生き抜いている息子に、祝福とエールを送った。
もしも「面白かった」と思って頂けましたら、
広告下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援いただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします!




