89話 コミックス2巻発売記念番外編 何でもない日の幸せ
本日10月7日コミックス2巻が発売となります。
どうぞよろしくお願いいたします!
娘に会いにガレリア帝国を訪れたマリアベルの母クリスティナがレナートの弟リナルドに渡したお土産は、赤と青のオッドアイを持つ白猫だった。
猫好きのリナルドは、それはもう喜んで『猫の宮殿』と呼ばれるリナルドに与えられた離宮で、空いた時間はずっと猫たちと戯れている。
天気の良い日は一階にある離宮の窓がすべて開かれ、猫たちは広い芝生の上で思い思いにくつろいでいる。
庭には猫が上りやすそうな枝ぶりの木や、爪とぎ用の板、そして猫が乗って遊べるようなハンモックやキャットタワーが置かれていた。
白猫はすっかり帝国に慣れた様子で、今はハンモックの上でくつろいでいる。
さわさわと風が吹くたびにハンモックが揺れ、猫の白い耳がピクピクと動く。
王国から連れてこられた白猫が元気に生活しているだろうかと心配して見に来たマリアベルは、もうずっとここで暮らしていますよとでもいうような猫の態度に安心する。
白猫は誰かがやってきたのかと気配を感じて目を開けるが、そこにいるのがマリアベルとレナートだと分かると、興味を失ったかのように再び目を閉じた。
「ブランが元気そうで良かったわ」
白猫なので最初は「スノウ」と名付けられる予定だったのだが、リナルドがいくら「スノウ」と呼んでも無視するため、今では元々の呼び名である「ブラン」と呼ばれている。
「メルティ、今日のブランは遊びたい気分じゃないみたい。残念だったわね」
「にゃあ」
マリアベルの飼い猫であるメルティも、この庭は大のお気に入りだ。
特にキャットタワーが大好きで、芝生の上におろすと、一目散で走っていく。
もこもことした小さなオレンジ色の毛玉が、鮮やかな緑の上を転がるように走る。
そしてぐっと体を沈めると、勢いよくジャンプしてタワーの上に飛び乗った。
「メルティ、怪我をしないようにね」
見守るマリアベルは、少しハラハラした様子だ。
このキャットタワーはリナルドが猫たちのために作らせた特別製だが、サイズは成猫用になっている。
だからまだ子猫のメルティには大きすぎるのではないかと心配しているのだ。
「小さくても猫だから大丈夫だろう」
横に立つレナートが、心配そうなマリアベルを愛し気に見つめる。
ふと目を上げたマリアベルは、優しいレナートの視線に気づき、赤く頬を染めた。
レナートは初々しいマリアベルの反応に、さらに愛しさを募らせる。
恥ずかし気に目を逸らしたマリアベルは、ふと庭の端に作られた小さな小屋に目を留める。
「レオ様、あれは何ですか?」
マリアベルに尋ねられたレナートは、小屋の説明をした。
「あれは猫の別荘だな」
「別荘ですか」
そう言われてみれば、小さな小屋は人が入るのには少し小さく、扉も横開きではなく上下に開くようになっている。おそらく猫が体で押せばすぐ中に入れるようになっているのだろう。
それにしても猫の宮殿と呼ばれる離宮のすぐ横に、なぜ別荘が作られているのだろうと首を傾げるマリアベルに、レナートが苦笑しながら説明する。
「リナルドに構われ過ぎてうっとおしくなった猫が避難するために作られている」
「え……」
確かにリナルドの猫好きは、自分の離宮を丸々猫のための建物に改装してしまうなど、ちょっと常識の範囲を超えている。
だが猫は自由を好む。
確かにリナルドのようにべったりとくっつかれては、ストレスがたまってしまうことだろう。
「一応、小屋の屋根は取り外せるようになっていて掃除も行き届いているが、その鍵は決してリナルドに渡さない決まりになっているから、猫たちは安心してくつろげるんだ」
「そうなのですか……」
レナートの言葉に何と答えていいのか分からず、マリアベルは言葉を濁した。
「さすがに家出した猫を探すために仕事を放り投げるのは、皇子としても問題だからな」
「え、ええ。そうですね」
確かにリナルドの猫好きは知っているが、そこまで好きなのかと、マリアベルはおののいた。
どうやら、別荘ができるまでは、
猫に構う→構われ過ぎた猫が嫌がって家出する→リナルドが探しに行く→探している間寂しかったリナルドが猫をもっと構う→また猫が家出する
というループになっていたらしい。
「特にリナルドが一番可愛がっている黒猫は、よく別荘に避難していたぞ。ほら、今ちょうど出てきた」
レナートの言う通り、確かに優美な姿の黒猫が別荘のドアからゆっくりと姿を現した。
そして見つめているレナートとマリアベルには目もくれず、ハンモックの下で「にゃあ」と小さく鳴いた。
鳴き声を聞いた白猫のブランがぴくりと耳を動かしてから、稀有な青と赤のオッドアイの目を開く。
ブランはゆっくりと体を起こして伸びをすると、ハンモックから飛び降り、しっぽをピンと上に立てながら黒猫に体を寄せる。
黒猫は、まるでキスをするように、ブランの鼻に自分の鼻をつけた。
「まあ」
とても仲の良い猫たちの様子に、マリアベルは思わず口に手を当てた。
「まるで俺たちのようだな」
海のように深い蒼を浮かべたレナートの瞳が、マリアベルを優しくとらえる。
マリアベルはその瞳の色に魅入られて、頬を染めた。
その様子に、さらにレナートの目が愛しさを増す。
「にゃう!」
そこへまだ子猫気分の抜けないメルティが遊んでとばかりに二匹の間に割りこんだ。
成猫の二匹は、そんなメルティに腹を立てることもなく、三匹で楽しく遊び始める。
さわり、と吹いた風が、マリアベルの金糸のような髪をなびかせる。
頬にかかる髪を押さえたマリアベルの背中に、温かいぬくもりが伝わった。
特別でもなんでもない日だけれど、こんな日常がとても楽しい。
マリアベルはレナートのぬくもりに包まれながら、いつまでも猫たちのたわいないじゃれ合いを見つめていた。




