86話 書籍発売記念SS 黄金の海
後書きにもお知らせがありますので、ぜひご覧くださいませ。
「わあ、見て。お兄さまの髪の色みたい!」
一面に広がる金色の麦畑を見て、思わずマリアベルは歓声を上げた。
大きな風が吹くと、まるで黄金の波のように激しくうねる。かと思うとさざ波のように柔らかく揺れる。
「そうかな。こうして見ると僕よりもマリアベルの髪の色に近いよ」
太陽の光を浴びながら揺れる麦の穂は、柔らかな金色だ。
マリアベルの兄ジュリアンの髪は、それよりもう少し色が濃い。
ジュリアンが笑いながらマリアベルの髪の毛をつまむと、小さな妹は「そうかなぁ」と首をかしげた。
もうすぐ七歳になるマリアベルは、ジュリアンの目から見てもとても可愛らしい。
金色の髪と薔薇色の頬と、そして新緑のような輝きを見せる緑の瞳を持つマリアベルは、年ごろになったならきっと素晴らしい美人になることだろう。
もうすぐジュリアンは寄宿学校に、マリアベルは王太子妃教育のために王都へ行く。そうなったら侯爵家はとても寂しくなってしまうだろう。
「だったら、お兄さまと私、二人の色ってことにしましょう。それとも麦畑が私たちの髪の色になったのかもしれない……? うーん。どっちだろう」
そう言って髪の色と麦畑を見比べていたマリアベルは、「あっ」と声を上げた。
「どうしたんだい、マリアベル」
「ウサギ! ほら、お兄さま、ウサギがいたわ!」
マリアベルの小さな指が差すほうに、小さなウサギがいた。
赤茶色でぴょこんとした耳をわずかに動かしている。
後ろ足で立ってこちらを見ているが、逃げる様子はない。
「まだ子供だね」
「なんて可愛いのかしら。おうちに連れて帰りたいくらい」
ジュリアンは、小さく笑うマリアベルの頭を優しく撫でる。
「マリアベルのほうがもっと可愛いけどね」
「もう、お兄さまったらお世辞ばっかり」
「お世辞じゃなくて事実だよ。あ、ほら、見てごらん。もう一羽いる」
二人で見ていると、ガサリと音がして麦の間からもう一羽のウサギが現れた。最初のウサギよりも少し大きく、口に麦の穂をくわえている。
小さなウサギが近寄ると、くわえていた麦を地面に落とす。
すると小さなウサギは麦の穂を食べ始めた。
食べ終わったウサギはお礼を言うように、大きなウサギの周りで跳ねる。仲の良い様子に、マリアベルは楽しくなってジュリアンに身を寄せる。
「あの子たちも、兄妹なのかな?」
「仲良しだから、そうかもしれない」
ジュリアンの言葉に、マリアベルは嬉しそうに二羽の様子を眺める。
黄金の大海原に囲まれて寄り添うウサギたちは、確かにジュリアンとマリアベルの姿に重なった。
「私たちと一緒ね。ずっと仲良し。でも……もうこんな風に会えなくなるのかしら」
「そんなことはないよ」
「だけどお兄さまは寄宿学校に行ってしまうし、私は王宮に行くから、簡単に会えなくなるって……」
「誰かがそんなことを言ったのかい?」
驚いたジュリアンが問い詰めると、マリアベルは乗ってきた馬車のほうへ視線を向けた。
そこには二人の護衛たちが待機している。
「テッドが……」
テッドというのはマリアベルの護衛の一人だ。
剣の腕は良いのだが、お調子ものでよく軽口を叩く。
本人は冗談のつもりで言ったのかもしれないが、生真面目なマリアベルは本気にしてしまったのだろう。
「寄宿学校に行くといっても、長期の休みにはここに戻ってくるし、マリアベルだってその時には戻ってこれるだろうから、心配しなくても大丈夫だよ」
「本当に?」
「うん。だって今の王妃さまだって、それほど早くお妃教育を始めたわけじゃないと聞くしね」
「それなら安心かしら」
そう言いながらも不安そうに緑の瞳を揺らすマリアベルの頭を、ジュリアンが優しく撫でる。
「僕が今までマリアベルに嘘をついたことなんてあるかい?」
「……ない、かも……」
「ね、だから安心していいよ」
揺れる瞳がジュリアンを映す。
迷いのないはしばみ色の目に見つめられて、ようやくマリアベルは安心した。
「良かった……。もうお兄さまたちに会えなくなるんじゃないかって思って不安だったの」
「そんなことあるはずないだろう? それにもしマリアベルが王宮から出られなくなったら、僕たちが会いにいくよ」
「私も、お兄さまが寄宿舎から出してもらえなくなったら会いに行くわ!」
「……寄宿学校から出してもらえない状況って、どんなのだろう……」
マリアベルは純粋に兄の身を案じたのだろうが、寄宿学校から出してもらえない状況というのは、つまり謹慎中ということだ。
もしかして最愛の妹に素行不良の兄と思われているのだろうかと、ジュリアンは心配になった。
「えっ? えーと、えーと……」
思いつきで言ったマリアベルは、ジュリアンから真剣に返されて返答に困った。
そんなマリアベルを見て、ジュリアンは思わず笑みを漏らす。
「そうだなぁ。マリアベルに会いに行くために、学校を抜け出そうとして怒られちゃうとか?」
「えっ、そんなのダメです。私のせいでそんなことになったら、絶対ダメです」
「でも、マリアベルに会えなくなったら、僕は寂しくて死んでしまうかもしれない……」
悲し気に胸を押さえるジュリアンに、マリアベルは必死で言いつのった。
「ええっと、じゃあ先に私が会いに行く! そしたら抜け出す必要はないもの」
「じゃあ僕はその前にマリアベルに会いに行くよ」
「はい!」
それだとジュリアンが寄宿学校から出してもらえないという状況になり得ないのだが、小さなマリアベルは素直にジュリアンの言葉に頷いた。
マリアベルのこんな素直なところを、ジュリアンと、そして両親は深く愛しているのだ。
大きな声で返事をしたマリアベルの声に、ウサギたちは驚いて飛び跳ねて去っていった。
残念そうにウサギの逃げた方向を眺めていたマリアベルは、ジュリアンに肩を叩かれて振り返る。
「ウサギたちも家に帰るんじゃないかな。僕たちも我が家へ帰ろうか。きっと父さまも待っているよ」
「そうですね。帰りましょう。……お兄さま、お兄さま。私、お兄さまが大好きです!」
「どうしたんだい、突然」
「しばらく離れ離れになるから、いまのうちにたくさん言っておくんです」
ジュリアンは、眩しいほどのマリアベルの笑顔に癒される。
王宮での王太子妃教育は大変だろうが、真面目で素直なマリアベルならばきっとやり遂げられるだろう。
婚約者の王太子エドワードにはまだ拝謁したことがないが、こんなにも愛らしいマリアベルを愛さないはずがない。
きっと似合いの二人になるはずだ。
そんな二人が並び立てば、疫病の被害で疲弊している王国を照らす光となるだろう。
「愛しているよ、マリアベル。幸せにおなり」
黄金の波がさざめく中、ジュリアンはマリアベルの耳に、そうささやいた。
このお話は店舗特典の『マリアベルと小さなウサギ』の前日譚となっております。
現在、コミカライズ企画が進行中です。
レジェンドな漫画家様に描いて頂けることになりました。
今からとても楽しみです。
詳細が決まりましたら活動報告にて告知させて頂きまね。
どうぞよろしくお願いいたします。




