84話 チョコレートの贈り物
活動報告に載せていたバレンタインのSSです。
「おいレナート。これはなんだ」
カルロが丸い皿を持って、レナートの執務室へやってきた。
ガレリア帝国皇太子レナートの側近として働くカルロは、レナートの乳兄弟としてプライベートでは気安い言葉遣いをするが、仕事の時には立場をわきまえた言動をする。
だが時折、感情が高まると、こうしてぞんざいな口調になることがあった。
レナートもそれを許しているので、不敬にはならない。
こんな時はたいていレナートが何かやらかした後なので、今度はなにが起こったのかと、執務室に緊張が走った。
皿の上には黒い塊が入っている。
それを見た他の側近たちが、黒い色の食べ物ということで色めき立った。
ガレリア帝国の隣の王国で、黒死麦が原因となった国家の陰謀が明らかにされたのは、記憶に新しい。
黒死麦は麦が変異してできたもので、他よりも固くて黒い麦に育ち、知らずに食べてしまうと中毒を起こして体中に水疱ができて死んでしまう。
それほど毒性の高い麦でありながら色以外は普通の麦と変わりないので、間違って食べてしまう被害が起こってしまうのだ。
その黒死麦が王国で流通していたということで、ガレリア帝国でも緊張が走った。
黒死麦が出るとその地域一体で収穫を中止して流通を止める。
だからこそ、黒い食べ物は忌避されることが多い。
さらに王国での騒動もあって、「黒」という色に関しては、みんなが過敏になっているのだ。
そんな空気の中、レナートは書類から目を離してなんでもないことのように答える。
「ああ。それは南方で採れたカカオという豆から作った菓子だ」
「菓子? これが……?」
カルロはうさんくさそうに皿の上の、不揃いの四角い塊を視線の高さに掲げる。
どう見ても菓子には見えない。
「チョコレート、という菓子らしい。実用化するまで時間がかかったが、ようやくできたか」
それほど菓子を好まなかったはずのレナートが、とても嬉しそうにしている。
その反応に、カルロはおや、と思った。
「このように黒いものを流通させると?」
「黒い、というだけで忌避するのもどうかと思うぞ。中には優れた食材もあるかもしれないだろう」
「……王国であれだけの騒動があって、よくそんなことを考えますね」
呆れたように言うカルロだが、そもそもレナートがなんの考えもなしに黒い食材を用意するはずがない。
菓子とはいっても、おそらくただの甘いだけの菓子ではないのだろう。
一体この菓子にどんな謎があるのかと、カルロはレナートの返事を待つ。
「だからこそ、我が国が流通を独占できる。それに菓子といっても、南の限られた地方で滋養強壮の薬として伝わっていたものだ」
「じゃあ薬として流通させるんですか?」
「それではおもしろくないだろう」
おもしろいとかおもしろくないという話ではなく、そもそも黒い食べ物という点が問題なのだが、レナートにはおもしろいかどうかのほうが重要らしい。
腕を組んで、カルロの反応を楽しんでいる。
「薬にしても菓子にしても、こんな黒いものを食べる人がいるのかどうか」
カルロは皿に顔を寄せて、匂いを嗅ぐ。
少し甘い香りが鼻をくすぐった。
「毒見は終わっているから、食べてみるといい」
カルロは、本当に毒見が終わったのだろうかと疑問に思いながら、レナートが口にする直前の毒見役だと思って一かけらの塊を口にする。
口の中に入れると、途端に濃厚な香りを鼻の奥に感じる。
さらに口の中で溶けたそれは、芳醇な味わいを舌に伝えてきた。
「うまいだろう?」
カルロの表情の変化を見たレナートが、報告された書類から不正を見つけた時と同じような顔をしている。
とても楽しそうだ。
「しかし、どうやって売るんです? 黒い食べ物に対する忌避感はぬぐえないでしょう」
「策はある」
ニッと笑うレナートは、あふれる自信に満ちていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「まあ、これは何ですか?」
レナートからラッピングされた可愛らしい小箱を渡されたマリアベルは、ぱあっと顔を輝かせる。
「開けてみてくれないか」
カルロが見たら、どれだけ甘ったるい顔をしているのかと揶揄したくなるほど、レナートの眼差しは優しい。
「これは……?」
赤いリボンを紐解いたマリアベルは、小箱の中の黒い塊を見て、どう反応したら良いのか迷った。
お菓子であるということは食べ物だ。
だが今まで見たこともない、漆黒の色を持っている。
「チョコレートといって、滋養のある菓子だ。製作工程が難しいので大量生産はできないが、いずれ帝国内で流通させようと思っている」
マリアベルはじっと小箱の中のチョコレートを見る。
一口サイズのチョコレートの黒い色は、ついこの間の黒死麦の入った黒いカヌレを連想させる。
王国の国王が、それによって倒れたのは記憶に新しい。
それを知っているレナートがわざわざこうして贈ってきたということは、何か意味があるのだろうとマリアベルは思った。
「いただいても、よろしいですか?」
「もちろんだ」
マリアベルは慎重にチョコレートを指でつまんだ。
指先のチョコレートが、じわりととろける感触がする。
「熱で溶けやすいから、すぐに食べたほうがいい」
レナートに言われて、マリアベルは慌ててチョコレートを口にする。
初めて味わう甘さに、思わず頬を緩めた。
「おいしい……」
思わずこぼれた言葉に、レナートが笑みを深くする。
「気に入ってくれたか?」
あっという間に口の中で溶けたチョコレートに、マリアベルは物足りなさを感じていた。
だから迷いなく頷く。
「舌触りもなめらかで……これならば黒死麦が混入されていてもすぐに分かりますね」
黒死麦の毒は変異した麦に含まれ、その毒性を抽出するにはある特定の薬液にひたす必要がある。
その薬液はとても食用になるようなものではないので、食べ物に混入させても吐き戻してしまうだろう。
黒死麦がその恐ろしさを発揮するのは、粉として扱った場合に食用の麦と混ざっても気がつかないという点にある。
だが粉の状態だと、チョコレートに混ぜればすぐに分かってしまう。
だから黒いお菓子だとしても、安心して口にできる。
「南方のごく一部の地域で採れるカカオという豆を使って作るのだが、そこに住む民はあまり豊かではないので、このチョコレートを特産品にしたいと思っている」
「では……私はお茶会で、このチョコレートがどれほどおいしいか宣伝いたしますわ」
そう言ってマリアベルは、小箱を持ち上げて少し悩む風に首を傾げる。
「それに付加価値をつけられれば良いのですけど」
「それならば簡単だ」
そう言ってレナートは、マリアベルのチョコレートをつまんだほうの手を持ち上げて、チョコがついたままの指をなめる。
「……!」
そのまま艶めいた深い海の色の目で見つめられて、マリアベルの顔が真っ赤に染まる。
「事実なのだから、皇太子が愛する婚約者に贈ったということにすればいい。チョコレートは、大切な相手に贈るもの、と宣伝しよう」
良いアイデアだと思わないかと言ってマリアベルの顔を覗きこんだレナートだが、マリアベルは顔を真っ赤にしたまま気を失った。
レナートはその顛末を知ったカルロにたっぷり怒られることになったが、それ以来チョコレートはレナートとマリアベルの仲睦まじさの逸話とともに、恋人への贈り物として帝国で愛されることになる。




