76話 サイモンの狂気
「サイモン……?」
エドワードは驚いて後ろに控えていたはずの乳兄弟を見る。
生まれた時からずっと一緒に育ってきたサイモンがこんなにも大きな声で叫ぶのを、エドワードは初めて聞いた。
「お前は……マリアベルが好きだったのか?」
今までそんな素振りを一度も見せなかったサイモンに、エドワードは信じられない思いで尋ねる。
むしろ執務を手伝ってもらうためにマリアベルを側室にしようと薦めてきたのはサイモンだ。
書類の上でだけサイモンの妻にすれば、なんの問題もなく側室に迎えられる。マリアベルはエドワードを愛しているから、きっと喜ぶだろうと、言っていたのに。
戸籍の上だけの妻とはいえ、もしマリアベルと結婚したら、サイモンは一生他の女性と結婚できなくなる。
いくらサイモンの忠誠心が篤いといってもそれはダメだと反対したエドワードに、「俺は一生結婚するつもりはありませんから」ときっぱり答えていたのに。
もしかして本心ではマリアベルを自分の妻にしたいだけだったのだろうか。
いや、そんなことはないはずだ。
生まれた時からずっとともに育ってきたサイモンは、いつもエドワードの幸せを願ってくれていた。
エドワードは、きっとサイモンの言葉には何か理由があるはずだと思った。
「好き……? 俺のこの気持ちは、そんなありきたりのものなどではありません。マリアベル様は俺の命、俺のすべてです」
サイモンは長い前髪の間から、熱に浮かされたような目でマリアベルを見た。
そしてふらふらと誘われるようにマリアベルの方へと歩いてくる。
それを見たレナートが、とっさにマリアベルを背中にかばう。
エドワードは、それでもなお、サイモンの言葉を信じられなかった。
「いつから、マリアベルを……」
愕然とするエドワードに、サイモンは視線をマリアベルに向けたまま、呆れたように答える。
「人が人を思うのに、いつからなんて分かるはずがないでしょう。気がついたら、魂の奥底にマリアベル様の姿が焼きついていたのです。その美しさも優しさも、すべてが俺の心をとらえて離さない」
言葉を失って絶句するエドワードを気にする素振りもなく、サイモンは底光りする目でマリアベルに近づいていく。
しかしマリアベルの元にたどり着く前に、フレデリック三世の命で騎士に捕らえられた。
「離せ! 離せ! 俺は別に、恋人になりたいなどと大それたことを思っているわけじゃない。ただ見ているだけでいいんだ。遠くからでも良い。たった一目でもその姿を見つめることができれば、ただそれだけで……」
騎士に腕をつかまれてもがくサイモンは、それでも目だけはマリアベルから離さなかった。
「王妃となるあなたを、心の中でずっと思い続けていたかった。あなたが触れた花にそっと口づけるだけで、心が満たされた。それなのに、どうして……どうして手の届かない場所に飛び立っていこうとするのです。どうして!」
そう叫んだサイモンは、すがるようにレナートを見る。
レナートは、狂気に満ちたサイモンの目を、逸らさずに受け止めた。
その背中には、豹変したサイモンの姿に震えるマリアベルがすがっている。
「お願いだ、帝国の皇太子。俺を……俺も帝国に連れていってくれ。必ず役に立ってみせるから……頼みます、お願いだ!」
「断る」
レナートは考える間もなく即答した。
当然だ。マリアベルに横恋慕する男を、その近くに置くはずがない。
絶望したサイモンは、絶叫する。
「なぜだなぜだなぜだ。ああああああああああ。俺が一瞬でも邪な考えを持ったせいでぇぇぇ」
「邪な考えとはなんだ」
レナートの問いに、サイモンは頭を振りながら答える。
「俺は、俺は、殿下の隣であでやかに微笑むマリアベル様を見ていられれば、それだけで幸せだったんだ。でも殿下が酒場の娘などに心を奪われるから……欲が出てしまった」
サイモンは滂沱の涙を流しながら訴える。
「殿下との婚約を破棄されれば、それがたとえ殿下の心移りだとしてもマリアベル様の瑕疵となる。そうなれば、完璧な淑女ではなく、傷物のマリアベル様であれば、俺がその隣に立つこともできるのではないかと……。だから俺は殿下と平民の娘の仲を後押しした……」
もうエドワードは殿下と呼ばれるべきではないのだが、興奮したサイモンは呼び慣れた名でエドワードを呼んだ。
「アネットとの仲を取り持ってくれたのは、私を思ってくれてのことではなかったのか?」
「殿下はまったく周りが見えていない。本当にそんな女がマリアベルさまの後釜に座れると思っていたのですか。冗談ではない。教養も美貌も、何一つマリアベル様には敵わないではありませんか。字すらまともに書けない女が、王太子妃になどなれるはずがない」
そう言って、サイモンは嘲るようにエドワードとアネットを見る。
アネットは、自分だってこんなにがんばっているのに、と反論をしたかったが、口を開く前にサイモンが話し始める。
「殿下のためを思うならば、俺はその恋を諦めさせなければならなかった。マリアベル様ほど、王妃にふさわしい女性はいなかった。だが傷物となったマリアベル様ならば手に入るのではないかと……」
その言葉を聞いたレナートが、険しい顔で反論した。
「お前は勘違いをしている。愛してもいない男との婚約破棄が、傷になどなるわけがない」
のろのろと顔を上げたサイモンの前髪の間からのぞく、昏く濁った瞳がレナートを映す。
「そうだ、そうだ。俺が間違っていた。マリアベル様は俺などの隣に立っていいお方ではない。誰の手も届かない至高の存在として、崇め奉らなければならない。なのに、遠く離れた帝国の妃などにさせてたまるものか。それならば殿下の側室として、一生日陰の身でいればいい。俺が、俺だけが、マリアベル様の価値を分かっていればそれでいい」
「だからダンゼルに協力したのか?」
レナートの問いに、サイモンは気が触れたような高い声で笑った。
「あははははっ。……協力! 馬鹿を言え。誰があんな自分が古代王国の本当の後継者だと信じているような愚かな奴に協力などするものか。あいつは共和国の傀儡にすぎない。俺も共和国も、ダンゼルを利用しただけだ」
そう言って笑うサイモンの声だけが、広間に響いた。
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