58話 セドリックの考察(王国視点)
王弟殿下のあまりの出来の良さに、国王陛下が王位は弟に譲るべきだと主張していたという話は有名だ。
ケインの父である宰相によると、長子相続と定められていなければ、国王はさっさと王位を弟に譲って、趣味の釣りをしたかったのにとよくぼやいていたという。
王弟殿下は、自分は補佐のほうが向いているといって常に兄を立てていたが、一歩間違えば兄弟で王位を争うような事態になっていたかもしれない。
特に国王が王太子時代に今の王妃殿下との結婚を決めた際は、王太子を廃嫡して弟殿下を国王にするべきだという声が大きかったという。
もっともそれは、弟殿下が中央諸国にあった、モルヴィア共和国に滅ぼされた小国の姫君と結婚したことによって消えうせた。
さすがにモルヴィア共和国との関係を考えると、王妃が亡国の姫ではまずい。まだ、何の権力もない北部の困窮した侯爵家の娘のほうが良いということで、そのまま王太子の結婚が認められた。
「それにしてもどうしてみんな、そんなおかしな話を信じてしまうんだろう」
マリアベルだけの話ではない。ここ最近の彼らの行動は、明らかにおかしい。
「弟もできる範囲で考えを改めるように進言したそうですよ。まったく聞き入れてもらえなかったそうですが」
ケインの後にエドワードの側近となったパーシーは、兄の失敗を繰り返さないようにと、なるべく厳しい言葉を使わずに進言するようにしている。
だが、あまりエドワードの心には響いていないようだ。
それよりもサイモンの甘い言葉のほうに惹かれている。
「兄上の補佐で外交を担当してるのはサイモンだよね。……帝国の情報が正確に兄上に伝わっていないとしたら……」
「さすがにそれはないと思いますが……」
本人が表に立つことを嫌うのであまり知られていないが、サイモンは語学に堪能で、モルヴィア共和国や北方の蛮族の言葉まで操ることができる。
外国からの親書などは、エドワードが自分で読んだということになっているが、実際はサイモンが翻訳してエドワードに渡していたはずだ。
翻訳する必要のない帝国の親書も、サイモンが先に受け取っていた可能性がある。
エドワードの側近は、ケインの弟のパーシーを除けば、他はすべてダンゼル公爵に近いものたちだ。
今までは中立だったサイモンも、ここ最近は麦の輸入を手掛けるダンゼル公爵と親しいと聞く。
ダンゼル公爵の一派だけではなく、サイモンも故意に帝国の情報を遮断していたかもしれない。
「それにしても、兄上もあんなに道理の分からない人ではなかったのに。真実の愛とは、それほど人を盲目にしてしまうものなのだろうか」
大人びてはいてもまだ子供のセドリックに、恋や愛は分からない。
けれどもそれが、ここまで人を愚かにさせてしまうのかと思うと、恐ろしくなる。
「常識のある人間でも、恋に溺れると人が変わると申しますよ」
エドワードは甘やかされた性格をしていたけれど、そこまで愚かというわけではなかったはずだ。
もしアネットと出会わなければ、マリアベルと共に穏やかな治世を築いただろう。
「そうなのかな」
「恋は一時の情熱、愛は永遠の調べ。私はこの恋で身を滅ぼすが、後悔はしない」
突然ケインが、芝居がかった調子で語りかけた。
セドリックは何度か見た芝居の一幕を思い出す。
度胸試しの一環で敵対する家の舞踏会に忍びこんだ青年と、ちょうどその舞踏会で従兄との婚約を発表した娘の、出会いの場面だ。
「ジャンロッドの一節かな」
だがその出会いによって始まった恋は、二人の死という悲劇で幕を終える。
「ええ。デズデモーナとディスタゾーですね。親の仇だと分かっていても、恋に殉じると決めたデズデモーナのセリフです」
「そう……。昔から恋は人を愚かにするものなんだね……」
少ししょんぼりする様子は、まるで年相応の子供のようだ。
ケインは珍しい主の姿に、微笑ましさを感じる。
「でも愛は人を成長させますよ。相手を幸せにしようと努力するものですから」
「アネット嬢は……幸せなのかな」
王宮でたまに見かけるアネットは、どんどんやつれてしまっているようだ。
セドリックはエドワードの婚約者の地位を奪ったアネットが嫌いだったが、それでもつい同情してしまうほど最初の頃とは別人のようだ。
礼儀も何も知らず、セドリックに無遠慮に話しかけてきたアネットのほうがまだ良かったと思うようになるとは、夢にも思っていなかった。
「個人的な意見で恐縮ですが、あの娘を愛しているのであれば手折るべきではなかったと思います。野に咲く花に王宮の水は合いません」
しかもエドワードにはマリアベルという完璧な婚約者がいた。
身分も美貌も知識も、アネットがマリアベルに勝るものなど、何一つない。
ただその笑顔だけでエドワードの心をつかんだのだが、その笑顔も曇りがちな今、エドワードとアネットに後悔はないのだろうか。
「今となってはもう野には戻せないよね。ダンゼル公爵の養女になってしまったから」
「ええ。最初はダンゼル公爵の仕込みかと疑いましたよ」
「そもそも、どうしてエドワード兄上が酒場のあるような場所に行ったの?」
大公の城から王宮まで馬車で行く時に、王都の町並みを通りすぎることはあるが、安全のために窓を開けて外を見たりはしないから、セドリックは街の様子というものを知らない。
カーテンの隙間から少し見える通りは清潔で、酒場のような建物を見たことはない。
エドワードがアネットを酒場で見初めたと聞いて、まず最初に思ったのは、一国の王太子がどうしてそんなところへ、ということだった。
その時はケインも答えを持っておらず返答できなかったが、あれから弟のパーシーによく事情を聞いておいたのですぐに答える。
「護衛騎士見習いのブライアン・チェスターが社会見学だと言って連れ出したようです。最初は大通りに近い酒場に案内する予定だったのが、エドワード殿下がもっと奥にも店があるからそちらを見たいと言ったそうです」
「チェスター家はダンゼル公爵家の分家だよね」
「はい」
「じゃあダンゼル公爵は、元々エドワード兄上に何か仕掛けようとしてたのかもしれないってことか。てっきりサイモンが言い出したのかと思ってた」
このところのサイモンの動きは、まったく読めない。
今までは忠誠心の高い側近としてそばに控えているだけだったのに、最近ではあれこれとエドワードに進言しているように見える。
サイモンの目的がはっきり分からなければ、セドリックにもその先の行動が読めなかった。
「それに、ここのところのダンゼル公爵の動きもよく分からないな。サイモンと共闘しているのかと思っていたら、そうでもないし」
ダンゼル公爵にしてみれば、側室としてマリアベルを迎えるよりも、バークレイ侯爵家そのものを潰してしまったほうが良いだろう。
そうすれば麦の販売の独占ができる。
「モルヴィア共和国と通じているのは確かですが、なかなか尻尾をつかませません」
「今までのところは表に出る行動はしていないからね……。バークレイ侯を捕らえたのも、エドワード兄上だし。ねえケイン、エドワード兄上は本当にマリアベル嬢を側室にする気なのかな」
「同じ側室であれば、愛する男の側室になったほうが幸せだろうとそそのかされ、その気になっているようです。執務に関しても、アネット嬢の足りないところだけを補えばいいそうですよ。足りているところなど、何一つないというのに」
「兄上は……なぜ、物事を俯瞰するということができないのだろうか。そして陛下はなぜ奥に籠ってお出ましにならないのか」
この事態を収束できるのは国王しかいない。
だが病に倒れたといって、ずっと姿を見せない。
生きているのか、それとも……。
「それを確かめるためにも、マリアベル嬢と一緒に王宮へ参りましょう。そこですべてを明らかにするのです」
「そうだね。駒は揃いつつある。ようやく、父上の仇を討つ時がきたよ」
ケインの言葉にセドリックは頷き、窓の外の日が落ちて群青色に染まりつつある空を見た。
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