40話 帝国の赤い薔薇
広間の空気が一瞬で変わったのを感じたマリアベルだが、一瞬たりとも表情を変えず、たおやかな笑みを浮かべて挨拶を受け続けた。
大公位を持つ貴族たちの後に、公爵位を持つものたちが続く。
貴族らしく、腹の中ではどう思っていようとも、表面的にはにこやかな挨拶が続いた。
そして公爵位を持つ貴族の最後尾に、父親らしき男性と腕を組み、真紅のドレスを身にまとった迫力のある美女が現れた。
開放的な帝国の衣装といえどもいささか肌の露出が多すぎるドレスに、肉感的な赤い唇。
クラウディア・フォンターナ。
帝国の赤い薔薇と呼ばれ、社交界で最も美しいと評判のフォンターナ公爵家の娘だ。
彼女は、レナートの婚約者が病弱であったことから、何度も代わりの婚約者として名前を挙げられていた。
当初は他にもレナートの婚約者の地位を狙っている娘はいたが、いつまで経っても新しい婚約者の選定が行われなかったため、既に諦めて他家に嫁いでしまっている。
だがクラウディアは諦めず、社交界ではまるで自分がレナートの婚約者であるように振る舞っていた。
そしてモニカ・マリーニの体調が良くなり何度か社交界に顔を出すようになると、執拗な嫌がらせを始めた。
ドレスに白いワインをかけるくらいの軽度な嫌がらせではあったが、それでもずっと療養をしていたモニカにとっては辛いもので、すぐにまた体調を崩して社交界から姿を消してしまったのだ。
そのモニカが亡くなって、当然次の婚約者には自分が選ばれると思っていたクラウディアにとって、マリアベルは突然現れ本来はクラウディアのものになるはずだった皇太子妃の地位を横から奪っていった存在だ。
憎々しいという感情を隠そうともせず、マリアベルを睨みつけていた。
だがあらかじめフィデロ伯爵夫人テレーゼからクラウディアの存在を教えられていたマリアベルは、静かにその視線を見返した。
「このたびは誠におめでとうございます」
父とともに頭を下げたクラウディアだが、すぐに挑発的な態度になる。
「マリアベル様はとてもお美しくていらっしゃいますのね。本当に、どうして王国の王太子殿下はマリアベル様ではなく平民の娘などに心を奪われてしまったのでしょう。マリアベル様に王太子殿下を引き留めるだけの魅力がないなどということはありませんでしょうに……」
そう言って、頬に手をあてて首を傾げる。
ちらりとマリアベルを見たその眼差しは、侮蔑に満ちていた。
王国の王太子に捨てられた女が、なぜ帝国の皇太子の隣に並んでいるのだという憤りを、隠そうともしていなかった。
「でもその娘がいたおかげで、殿下は素晴らしい婚約者を得ることができたのですものね。取るに足らない平民といえども、娘に感謝しなくては」
クラウディアのあからさまな挑発にも、マリアベルは応えなかった。
ただ微笑みを浮かべているだけだ。
そのマリアベルの腰を、レナートが抱き寄せた。
「そうだな。私も感謝している。ついでに見る目のないかの国の御仁にもな。だがそのおかげで私はこんなにも素晴らしい女性に巡り合えた」
そう言って、愛し気にマリアベルを見つめる。
マリアベルも、愛おしそうにレナートを見上げる。
どこからどう見ても、相思相愛の二人の姿に、ギリ、と歯を食いしばるような音が、クラウディアの口から洩れた。
だが構わずにレナートは言葉を続ける。
「一目ぼれをした相手が、身分も家柄も申し分なく、しかも既に妃教育を終えて完璧な淑女とまで呼ばれているというのは出来すぎであろう? これぞまさに天の配剤。マリアベルは、まさに私のために、神が遣わせてくれた相手としか思えぬ」
レナートは、クラウディアを無視して父のフォンターナ公爵にだけ話しかける。
気をもたせるような態度を取ったことは一度もないというのに、勝手に婚約者として振る舞っているクラウディアに、レナートは今までに何度もフォンターナ公爵に苦情を入れていた。
それなのにフォンターナ公爵は、一途にレナートを思う娘の気持ちも分かってやってほしいと、見当違いなことを言うばかりだ。
さすがに腹に据えかねていたレナートは、これをいい機会だと、クラウディアだけではなく、マリアベル以外の女性をそばに置くつもりはないということを、はっきりとこの場で断言する。
「マリアベルは私の運命だ。フォンターナ公爵も、そうは思わぬか」
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