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「ホリちゃん、私のこと、騙してないよね?」
「どうしたのよ、しおり」
「いや……なんでもないけど」
職員室から温室へ向かう途中、私は保健室に立ち寄った。
微妙に落ちたテンションのまま、ひとりでいるのがちょっと辛い気がして。
「そういえば、しおり、随分勉強したのねぇ。伊吹もしおりを同じ大学に行かせるために、必死みたいだし」
白衣を翻して、保険医のホリちゃんこと堀口都子先生は私が座っているソファの横に腰を下ろした。
私の能力を知ってるホリちゃんは、何でも話せるお姉ちゃん的存在。
サバサバした性格で、本人曰く、「生徒から大人気」で、みんなから「ホリちゃん」と愛称で呼ばれている。
おまけに、すばらしくグラマーで均等の取れたプロポーションは、高校男子にはよろしくないと思うけど、悲しいかな、顔がイマイチ。
ミニのタイトスカートから伸びた白く長い足を組み、ゆるいパーマのかかった髪を掻き上げた。
「すごいじゃない、つい最近まで200番台だったしおりが、今回」
「わーっ、知ってても言わないで!」
私は両手をホリちゃんのほうに突き出して叫んだ。
「どうしてよ? 101番って、言っちゃいけないの?」
「う……」
「そういえば、伊吹が100番以内に入らなきゃダメ、みたいなルール作ったって言ってたわねぇ? 何? ダメだったら罰ゲームとかあるの?」
興味津々、楽しそうに聞いてくるホリちゃんに、私は頭を抱えた。
こういうとこ、さすがイトコ同士の北原とホリちゃんだ。
私をいじめて傷を広げるのが得意だ。
「べつに、罰ゲームなんてないけど」
私は背もたれに体を預け、担任からもらったテスト結果をポケットから取り出し、もう一度総合順位を確認する。
そこには、何度見てもやっぱり、「101」の文字しかない。
「悔しい……」
小さく呟いて目を閉じた。
前回200番台を抜けた時には喜びがあった。
あれから自分なりに対策を練ったり、もちろん北原に勉強を教えてもらうこともあったんだけど。
担任の言葉じゃないけど、私だってやればできるんだってところを北原に見せてやりたかったのに。
なんだか、悔しくてしょうがない。
「しおり、変わったわね」
「え?」
「成績のことで、悔しいなんて、初めて聞いたわ」
瞼を開くと私より深刻な顔をしたホリちゃんが、熱がないか確かめるように、私の額に手をあてて言った。
でも、ホリちゃんが言ったことは、私自身がよくわかってる。
私だって、まさかこんなに必死になって勉強して、それでも足りないと悔しくなるなんて、想像もしてなかった。
むしろ。
「ホリちゃん、私騙されてないよね」
「さっきもそんなこと言ったわね。何のこと?」
「いや、あの……私に勉強をさせるために、北原と先生方がよってたかって私のこと、騙してるんじゃないかって思って」
落ちこぼれで救いようのない私の成績を、なんとか上げさせようと、北原が付き合うという形をとって、私に勉強させる……。
学校ぐるみのドッキリとか?
そんなことないと思う。
だけど、もしかして、なんて思ってしまう。
一瞬の沈黙を破ったのは、耳が痛くなるほどのホリちゃんの笑い声だった。
「やだーっ、そんなことあるわけないじゃない。たかがしおりのために、みんなが芝居してるってこと? 有り得ない、有り得ない、バカねぇ」
「そこまで言わなくても……」
ホリちゃんの否定の仕方は、逆に私を落ち込ませた。
もちろん、私だって有り得ないことだと思ってる。
だけど、だとしたら、心配なことがひとつだけあった。
小さな溜息も聞き逃さないホリちゃんが、改めて私の表情を伺ってる。
「な、に?」
「まさか、生理が来ないとか?」
「あのぉーっ! 順調に来てますっ」
「あら、そう」
「……っていうか、そういうの、全然ない」
「そういうの?」
「だから、ホリちゃんが心配してくれるようなことが、何にもないってこと」
口に出してしまってから、自分自身がとんでもないことを言ってしまったんだと顔が一気に熱くなった。
「あの、なんていうのかなぁ…ほら、みんな付き合ったら、一緒に帰ったり、デートしたり、手、繋いだり、そういうの、するでしょ。香奈とか、クラスの子を見てても、みんなそんな感じだけど、私たちってなんだか、家庭教師と生徒みたいな感じで……」
慌てて取り繕おうとして、思わず早口になってしまった。
わざとらしく笑って、女の子らしく、首なんかかしげてみる。
「つまり、しおりは伊吹とイチャイチャしたいんだ」
目を細め、白い歯を見せてにやりと微笑んだホリちゃんに、ストレートに突っ込まれて私は首を左右に振った。
「そーじゃなくって」
「いいのよ、しおり、恋愛ってそういうもんなんだから、当たり前なのよ。そうか、イチャイチャしたいんだ」
「………」
ますます恥ずかしくて、おそらく真っ赤になってるだろう顔を見られたくなくて、うつむいた。
そんな私の横で、ホリちゃんは閃いた、と言わんばかりに手を打った。
「あ、それで、あまりにも手を出されないから、騙されてるとか思っちゃったわけ? まぁね、男の子だって、何かきっかけがないとなかなか手も出せないわよ。ましてや、あの伊吹でしょ? きっとフツーじゃダメだわね、なんとかそういうシュチュエーションを作って」
「だーかーらー、違うのっ」
火が出そうに熱い顔をあげて、私は全身全霊で否定する。
楽しそうにお喋りを続けていたホリちゃんも、私の態度に目を丸くした。
「……私が、フツーじゃないから」
ごくりと息を飲み、次の言葉を準備すると、熱が嘘みたいに引いていく。
「やっぱり、北原、私に触りたくないのかなって……」
付き合うまでは、そんなこと、考えてもみなかった。
もちろん北原は私の能力のことを知っているし、私に聞かれて困ることなんて何もないって言ってくれた。
「付き合ってる」んだと思うけど、今までと何も変わらない気もする。
「大丈夫よ、だって、伊吹は全部知っててしおりのこと好きになったはずよ」
「……うん」
「ふたりには、ふたりのペースがあっていいじゃない? そんな心配、するだけ無駄よ」
微笑んでくれるホリちゃんに、私もうんと頷いた。




