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Don't Touch!  作者: 鳴海 葵
Lesson4
93/127

file1 「encounter」

 ああ、なんかダルイ、疲れた、眠い。

 そして、目の前で瞳を潤ませながらこっちを見てる、中年オヤジな担任がウザイ。

 短い冬休みも終わり、三年生の受験でバタバタする放課後の職員室に、私、桜井しおり(さくらい しおり)は呼び出されていた。

 先生、ごめんなさい。

 だけど、私、先生を泣かせるような悪いコトした覚えはないんですが。

 そりゃあ、日頃の行いは良い方じゃないし、成績は悪いし、余計なモメゴトに巻き込まれたり、ぶっ倒れてみたり、わりとおりこうさんなクラスメイトの中では問題児の部類に入るかもしれない。

 でも、そこまで大人の男の感情を昂ぶらせてしまうなんて。


「あのぉ……私、何か」


 妙な沈黙がイヤで口を開くと、いきなり両肩を強い力で掴まれ、びくりと体が反応した。


「桜井っ」

「は?」


 思わず笑顔が引きつった。


「お前は、やればできるんだって、先生は信じていたぞ!」


 肩を掴む手に一層力を込めて、私の体を揺さぶった。

 私は頭の中にある扉をぴしゃりと閉めて、両肩を掴んだままの担任の手を、彼を傷つかせない程度にやんわりと振り解いた。

 そうしなければ、先生が考えていることが、私の中に聞こえてしまうから。

 私には、見たり聞いたり感じたりする五感と同じように、触れた人のココロの声が聞こえてしまうなんていう、厄介な能力がある。

 相手の知りたい気持ちが声を通さずに聞こえるのは、決してイイコトばかりじゃない。

 誰にも言えない、聞かれたくないことは、こちらも聞かないほうがいいコトの方が多い。

 少しずつコントロールできるようになった今では、頭の中にある扉を閉めることで、触れていても意識が流れ込んでくるのを止めることができるけれど、触ってくれないことが何より一番だ。

 担任はやり場の無くなった手を、今度は握り締め膝の上に置く。

 そして、何も言わず、何度も頷き、感慨深そうに私の顔を覗きこんだ。

 一体何のことやらわからない私は、気持ち悪いくらいウルウルしている担任から思わず目をそらしたくなる。

 担任は嬉しそうに笑うと、おもむろに机の中から小さな紙を取り出した。


「あ……」


 それが何かわかった私は、小さな声を漏らしてしまった。

 休み明けすぐに行われたテストの結果、だ。

 担任の笑顔と、さっきの言葉、ってことは……。

 もしかして。


 ついに、夢の100位以内!?


 そりゃあ、担任も泣くよ、なにより私が号泣します!

 先月の考査でアイツから出された課題をクリアできなかった私は、今度こそヤツを見返すために、必死で勉強したのだ。

 もとより勉強嫌いの私は、最近の成績は散々、落ちこぼれ街道まっしぐら。

 一学年200名ちょっとの中で、200番台を彷徨っていたのだけど。

 お正月だって、おせちもテレビもそこそこに、ひたすら机に向かっていたし、彼から新たに出された「冬休みの宿題」も合わせてこなしてきた。

 その結果が、ついに、出たのだ。


「お前が一組の北原くんと付き合うって聞いたときは、坂田先生に睨まれてなぁ。俺も申し訳なく思ったんだよ。でも、まさかこんな相乗効果が出たとは、本当に北原くんに感謝だな」


 そのとおりなのだけど。

 なんとなく府に落ちないのは気のせいじゃない。

 坂田は一組、北原のクラスの担任だ。

 この学校は文武両道、全国でも屈指の進学校で、学業のみならず、プロスポーツ選手を目指す生徒も少なくない。

 その中でもエリート中のエリートが集まっているのが一組で、尚且つ、学年トップの成績を常にぶっちぎってるのが北原伊吹キタハラ イブキ


 一応、私の彼、だ。


 私たちが付き合うことで、先生が勝手に申し訳なく思ったりすることは、はっきりいってどーでもいい。

 だけど先生、頑張ったのは北原じゃなく、私なんですけど!


「本当に、先生は嬉しくて……嬉しくて……っく」


 右手で目元を多い、担任は言葉を詰らせた。

 その時現れた黒い影、そして冷たい目線を感じて私は顔を上げた。


「……さ、かた、先生」


 白髪混じりの七三分けの下は、細面で骨ばった輪郭、眼鏡に光が反射して、その向こうの瞳の色が見えない。

 どことなく、北原と似た雰囲気を持つ坂田は、腕を組んで私を見下ろした。


「学生の本分は勉強だ。北原はよくわかっているようだが、君もわかっているのかね?」

「あ……はぁ」

「出来の悪い生徒を持つと、ほんのわずかなことでも喜びに変えられるのですね。羨ましい事です」


 無表情でそう言い捨てると、坂田は私と担任の横を通り過ぎて行った。

 気がつくと、さっきまで泣いていた担任の表情も固まっている。


「まぁ……坂田先生の言うとおり、だな」


 こわばらせた頬を無理に引き上げ、担任の笑顔はちぐはぐなものになってしまった。

 仕切りなおすように一度咳払いをして、担任は沢山積み上げられたファイルの中からひとつを取り出した。


「桜井、進路なんだが、H大っていうのは、本気か?」

「あ、はいっ」

「しかも、獣医学部……?」

「はい……」


 そう、なのだ。

 今まで進路希望調査書が空欄もしくは適当だった私が、初めて意思を持って書いた進路希望。

 頭ごなしに無理と言われることを承知だ。

 同じ大学に行こうと北原に言われて、とりあえず北原が希望するのと同じ獣医学部と書いてみたのだけど。

 担任は首をひねって私を見た。


「桜井、動物好きだったのか?」

「あ、はぁ、まぁ」

「うーん、H大はレベルが高いわけじゃないが、倍率が馬鹿高いからなぁ」


 と、考える仕草をしてから、何か思いつめたようにこっちを向いた。


「桜井、北原くんはT大の医学部を目指してるんだ。どうだ、T大の農学部に獣医学課程があるし、いっそそっちを目標にしてみるのはどうだ?」

「……は!?」


 ど、ど、どういうことっ!?

 っていうかっ! 私がこの国で一番といわれる大学なんて、絶対無理だ。

 しかも、北原の志望がT大ってどういうこと?

 混乱する私の前に、担任はたたまれたテスト結果を差し出すと、再び肩を叩いた。


「先生は、桜井のこと、信じてるからな。頑張れよ」


 愛想笑いを返し、私は受け取った結果を開いた。

 各科目の点数、学年順位とクラス順位、そして、総合の順位がそこに書かれているのだけど。


「……な、に」


 コレ。

 驚愕する私をよそに、前にいる担任はやっぱり嬉しそうで。


「本当は明日、渡す予定だったんだが、嬉しくてな。桜井には先に渡しておくよ。あぁ、北原くんは、もちろん今回もトップだ」


 そんなこと、どうだっていい。

 私はただただ、手の中にある順位にうなだれた。


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