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Don't Touch!  作者: 鳴海 葵
Lesson3
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 例えば、香奈が宮元先輩のことを信じて疑わなかったような、そういう強い想いは、どうしたら抱けるんだろう。

 本当のことを信じてもらえなかった時の感情は、今でも忘れられないくらい、私の胸の奥底に残ってる。

 だから、どれだけ悲しくてつらい事なのか、自分でもよくわかってる。

 それなのに。

 どうしてちゃんと信じてあげられなかったんだろう。


「寒っ……」


 私は鍵を使って、屋上のトビラを開けた。

 いつもなら、屋上は生徒に開放されることがないのだけれど、夏休みの事件後、川島くんがこっそり作ったスペアキーで、何度か上がったことがある。

 今日はその鍵を借りて、ひとりでここに来た。

 制服のジャケットをすり抜けて、病み上がりの身体に冷たい風が触れる。

 結局、風邪をひいた私は、昨日、学校を休んだ。

 よく熱を出したり、倒れたりする体力のなさに、自分でも呆れてしまう。


「はぁ」


 もう少ししたら、この吐き出す息も白くなるんだろうと思う。

 ……って、そんなことを考えてる場合じゃない。

 川島くんにお願いして、北原を呼び出してもらったのだ。

 あの時のことを許したわけじゃないけど、このままでいるのも嫌で。

 私が北原の言い分を信じてあげなかったことについて、ちゃんと謝りたいだけだ。

 温室じゃ、愛美先輩が来かねないし、なんとなく、ここなら邪魔が入らないだろうと思う。

 見上げる青空は、夏よりもずっと遠く感じて、ちょっと淋しい。

 薄っぺらに続いてくうろこ雲は、秋のしるし。


「そういえば、あやのさん、北原に会ったのかな……」


 一昨日、保健室で会ったキレイなおねえさんを思い出す。

 叶いっこない。

 そう思った。

 あの人が戻るまで、きっと北原は待ってるんだろうと、昨日ベッドの中で考えていた。


「どうしてこうなっちゃうのかなぁ」


 流れていく雲を目で追いながら、私は溜息をついた。

 北原の事を好きとか、付き合いたいとか、そういう具体的な気持ちがあるのかどうか、自分でも、やっぱりまだわからない。

 今なら、引き返せる、そんな気がする。

 愛美先輩の想いが過多なのは、ふたりを見ているうちになんとなくわかってた。

 たぶん、あやのさんの妹だから、無下にすることもできなかったんだと、今なら思える。

 背中で重い鉄の扉が開く音がして、私は振り返った。


「………」


 現れた北原は、いつもどおりの目つきの悪い無表情。

 怒ってるみたいで、思わず謝りたくなってしまう。

 いや、もちろん、彼を怒らせるようなことをしてるのかもしれないけど、それはお互い様だ。

 風に揺れる前髪を、少しうるさそうにかき上げる。


「呼び出して、ごめん」


 私の授業は終わったけど、北原のクラスはまだあと二時間残っているはずだ。

 授業の間の休み時間に、わざわざここまで呼び出したことは、素直に謝っておく。


「なんだよ」


 私たちはお互いの距離を縮めたものの、とても手が届くような距離じゃない。

 もう、あんなことはしないと思うけど、それでもこれ以上北原に近づけない。


「あの……ね」


 この前は、ごめんね。

 たぶん、そう言えばいいのに、たった一言口にすればいいのに、上手く話せない。

 何の芸もないくせに、ひとりステージに立たされてるみたいに、嫌な緊張感が体中を駆け巡る。

 抑えきれない鼓動に、本当に心臓が飛び出すんじゃないかと思ってしまう。

 次の言葉がなかなか言い出せなくてうつむくと、北原の足元が視界に映る。

 距離を縮められたことに思わず息を飲んだ。

 後ろに下がりたくなる足が、上手く動かせない。


「桜井」


 名前を呼ばれて、ゆっくり顔を上げる。


「悪かった」

「え……」

「あの時、あんなこと言って、ごめん」


 一度視線を合わせて、北原はその目を伏せた。

 私は一瞬、何を言われたのかわからなくて呆然としてしまう。

 先に謝られてしまって、頭の中が真っ白になった。

 そして、私の表情をうかがうように、北原の目が再びこっちを向いた。


「あ……うん」


 こくり、頷いたまま、顔を上げられない。

 私も、ごめんなさい。

 ちゃんと、伝えなくちゃ。


「伊吹!」


 顔を上げようとした時、ドアが開いて叫びにも似た声が聞こえてきた。


「うわっ、なんで」


 思わず私はそう口走ってしまう。

 だって、だって、どうしてこんなにタイミングよく現れるんだ!?


「こんなところで何してるの?」


 笑ってない愛美先輩が駆け寄ってくると、私の事を睨んでから北原を見上げる。

 ここなら絶対来ないと思ってたのにぃ!

 たぶん、愛美先輩は北原に発信機か盗聴器をつけてるに違いない。

 そんなふうに思ってしまうくらい、彼女は北原にくっついてくる。


「ねぇ、伊吹、行こう」


 左腕に手を絡め、私から引き離すような動きをする愛美先輩の両手に、北原が手を重ねた。


「愛美さん、いい加減やめませんか」


 ゆっくり彼女の手を自分の腕から離させると、表情を変えないまま、北原は愛美先輩を見つめた。

 私を見るときとは違う、愛美先輩の潤んだ瞳が北原の視線を受け止めている。

 ピンクのグロスが塗られた唇が、ほんの少しだけ開いた。


「何?」


 聞き返した愛美先輩の声が、わずかに震えてる。


「前にも言ったはずです、俺は」

「だって、あやのに言われたでしょ、私のこと頼むって」


 北原の言葉を遮って、愛美先輩が詰め寄った。

 今まで北原に腕を絡めるのが当然であった両手は、行き場をなくして強く握り締められている。


「何かあったら、面倒見てあげてって言われたんでしょ。だったら今、私は伊吹と付き合いたいの。伊吹じゃなきゃダメなの!」


 まるで何かに追い詰められてるような、そんな必死さが伝わってくる。

 あの時、図書館で愛美先輩の意識を聞いたとき、最後に伝わってきた悲しく切ない感情と同じものが、今、先輩の身体を包んでる。

 私も、この感情、よく、知ってる。


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