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例えば、香奈が宮元先輩のことを信じて疑わなかったような、そういう強い想いは、どうしたら抱けるんだろう。
本当のことを信じてもらえなかった時の感情は、今でも忘れられないくらい、私の胸の奥底に残ってる。
だから、どれだけ悲しくてつらい事なのか、自分でもよくわかってる。
それなのに。
どうしてちゃんと信じてあげられなかったんだろう。
「寒っ……」
私は鍵を使って、屋上のトビラを開けた。
いつもなら、屋上は生徒に開放されることがないのだけれど、夏休みの事件後、川島くんがこっそり作ったスペアキーで、何度か上がったことがある。
今日はその鍵を借りて、ひとりでここに来た。
制服のジャケットをすり抜けて、病み上がりの身体に冷たい風が触れる。
結局、風邪をひいた私は、昨日、学校を休んだ。
よく熱を出したり、倒れたりする体力のなさに、自分でも呆れてしまう。
「はぁ」
もう少ししたら、この吐き出す息も白くなるんだろうと思う。
……って、そんなことを考えてる場合じゃない。
川島くんにお願いして、北原を呼び出してもらったのだ。
あの時のことを許したわけじゃないけど、このままでいるのも嫌で。
私が北原の言い分を信じてあげなかったことについて、ちゃんと謝りたいだけだ。
温室じゃ、愛美先輩が来かねないし、なんとなく、ここなら邪魔が入らないだろうと思う。
見上げる青空は、夏よりもずっと遠く感じて、ちょっと淋しい。
薄っぺらに続いてくうろこ雲は、秋のしるし。
「そういえば、あやのさん、北原に会ったのかな……」
一昨日、保健室で会ったキレイなおねえさんを思い出す。
叶いっこない。
そう思った。
あの人が戻るまで、きっと北原は待ってるんだろうと、昨日ベッドの中で考えていた。
「どうしてこうなっちゃうのかなぁ」
流れていく雲を目で追いながら、私は溜息をついた。
北原の事を好きとか、付き合いたいとか、そういう具体的な気持ちがあるのかどうか、自分でも、やっぱりまだわからない。
今なら、引き返せる、そんな気がする。
愛美先輩の想いが過多なのは、ふたりを見ているうちになんとなくわかってた。
たぶん、あやのさんの妹だから、無下にすることもできなかったんだと、今なら思える。
背中で重い鉄の扉が開く音がして、私は振り返った。
「………」
現れた北原は、いつもどおりの目つきの悪い無表情。
怒ってるみたいで、思わず謝りたくなってしまう。
いや、もちろん、彼を怒らせるようなことをしてるのかもしれないけど、それはお互い様だ。
風に揺れる前髪を、少しうるさそうにかき上げる。
「呼び出して、ごめん」
私の授業は終わったけど、北原のクラスはまだあと二時間残っているはずだ。
授業の間の休み時間に、わざわざここまで呼び出したことは、素直に謝っておく。
「なんだよ」
私たちはお互いの距離を縮めたものの、とても手が届くような距離じゃない。
もう、あんなことはしないと思うけど、それでもこれ以上北原に近づけない。
「あの……ね」
この前は、ごめんね。
たぶん、そう言えばいいのに、たった一言口にすればいいのに、上手く話せない。
何の芸もないくせに、ひとりステージに立たされてるみたいに、嫌な緊張感が体中を駆け巡る。
抑えきれない鼓動に、本当に心臓が飛び出すんじゃないかと思ってしまう。
次の言葉がなかなか言い出せなくてうつむくと、北原の足元が視界に映る。
距離を縮められたことに思わず息を飲んだ。
後ろに下がりたくなる足が、上手く動かせない。
「桜井」
名前を呼ばれて、ゆっくり顔を上げる。
「悪かった」
「え……」
「あの時、あんなこと言って、ごめん」
一度視線を合わせて、北原はその目を伏せた。
私は一瞬、何を言われたのかわからなくて呆然としてしまう。
先に謝られてしまって、頭の中が真っ白になった。
そして、私の表情をうかがうように、北原の目が再びこっちを向いた。
「あ……うん」
こくり、頷いたまま、顔を上げられない。
私も、ごめんなさい。
ちゃんと、伝えなくちゃ。
「伊吹!」
顔を上げようとした時、ドアが開いて叫びにも似た声が聞こえてきた。
「うわっ、なんで」
思わず私はそう口走ってしまう。
だって、だって、どうしてこんなにタイミングよく現れるんだ!?
「こんなところで何してるの?」
笑ってない愛美先輩が駆け寄ってくると、私の事を睨んでから北原を見上げる。
ここなら絶対来ないと思ってたのにぃ!
たぶん、愛美先輩は北原に発信機か盗聴器をつけてるに違いない。
そんなふうに思ってしまうくらい、彼女は北原にくっついてくる。
「ねぇ、伊吹、行こう」
左腕に手を絡め、私から引き離すような動きをする愛美先輩の両手に、北原が手を重ねた。
「愛美さん、いい加減やめませんか」
ゆっくり彼女の手を自分の腕から離させると、表情を変えないまま、北原は愛美先輩を見つめた。
私を見るときとは違う、愛美先輩の潤んだ瞳が北原の視線を受け止めている。
ピンクのグロスが塗られた唇が、ほんの少しだけ開いた。
「何?」
聞き返した愛美先輩の声が、わずかに震えてる。
「前にも言ったはずです、俺は」
「だって、あやのに言われたでしょ、私のこと頼むって」
北原の言葉を遮って、愛美先輩が詰め寄った。
今まで北原に腕を絡めるのが当然であった両手は、行き場をなくして強く握り締められている。
「何かあったら、面倒見てあげてって言われたんでしょ。だったら今、私は伊吹と付き合いたいの。伊吹じゃなきゃダメなの!」
まるで何かに追い詰められてるような、そんな必死さが伝わってくる。
あの時、図書館で愛美先輩の意識を聞いたとき、最後に伝わってきた悲しく切ない感情と同じものが、今、先輩の身体を包んでる。
私も、この感情、よく、知ってる。




