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Don't Touch!  作者: 鳴海 葵
Lesson3
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 秋は、一雨ごとに冬に近づき、気温が下がるというけれど、そのとおりだ。

 11月になれば、気の早いジングルベルが鳴り始める。

 今朝もまた、私はわざわざ早起きをして温室に向かっていた。

 ブルーの傘に弾ける雨音は静かで、地面を潤す滴は少しずつ体温を奪っていく。


「おはようございます」


 振り返ると、白衣の上に濃紺のレインコートを羽織り、長靴を履いた倉田先生が笑顔で立っていた。


「おはようございます」

「桜井さん、寝不足?」

「え?」

「目が腫れてるよ。女の子は十分に睡眠をとらなきゃ、お肌にも良くないんだって」


 そう言って横を通り過ぎる先生に、私は思わず苦笑した。

 ご指摘どおり、昨日の夜はほとんど眠れなかった。

 おまけに悲しかったり悔しかったりで涙は止まらないし。

 腫れた瞼に気がついて、起き掛けに目元を冷やしてみたけど、そう簡単に腫れはひいてくれなかった。

 北原は愛美先輩との関係を否定したものの。


「あんなやり方は最っ低よね」


 確かに、北原の言い分を素直に聞き入れなかった私も悪いと思うのだけど。


「何か言った?」

「あ、え、やぁ、いえ、なんでもないです」


 温室にたどり着くと、先生はコートを脱いで入り口にあるフックにかけ、私は傘を閉じ立てかけた。

 そのふたつから落ちる滴が、たちまち地面に黒い円を描く。

 ぼんやりとそこに意識を引かれるものの、いつしか昨日の北原とのやり取りが目に浮かんでいた。


「先生」

「ん?」

「先生も、奥さんに怒ったりするんですか」

「え?」


 振り返った倉田先生の顔が、一瞬にして赤くなる。

 そして、眼鏡を上げるとはにかんで笑った。


「まぁ、たまにはケンカもするかな」


 ものすごく照れくさそうにそんなことを言う。

 なんか、説得力がなくて笑っちゃう。

 先生は右手で頭を無造作に掻くと、様子をうかがうように、私の瞳を覗き込んだ。


「北原くんと、ケンカしたの?」


 センセーって、時々あまりにもストレートに聞いてくるから困る。

 だけど私も、この温室で、倉田先生の前なら素直になれちゃうから不思議だ。

 隠したってしょうがないと開き直って、私は口を開いた。


「ケンカっていうか……酷いこと言われました」

「そっか」


 先生は土の乾き具合をみながら、虫がついてないかもチェックする。

 私も、お気に入りの観葉植物、ポトスの葉に霧吹きをしながら雨の降り続く外を見つめた。


「わかってるつもりでも、お互いにわかり合えてないことって、あるよね」


 倉田先生の言葉に、私は手を止めた。


「男って、単純で結構鈍感だったりするし、言わなくても当たり前にわかるだろうってことは、あえて言わなかったりするんだ。でも、それはわざとじゃないんだよ」

「……先生も?」

「そう、それで、女性の繊細な信号を見逃して、傷つけてしまうなんてことは、よくあった」

「そうなんですか……」


 そんなことを言われても、いまいちピンとこなかった。

 一昔前の、オンナは三歩下がってなんて時代じゃあるまいし、私は黙ってついて来いと言われても後ろから文句を言って、相手を捲くし立てる自信がある。


「先生の奥さんって、すごく可愛いヒトなんでしょうね」


 きっと線の細い、か弱そうで儚い桜みたいなヒトが眼に浮かんだ。

 すると、先生はあははと声を上げて笑う。


「可愛いなんて、喜ぶと思うよ。どっちかというと、先生は尻に敷かれてるタイプだけどね」

「……はぁ」


 ますます私はわからなくなって首をひねる。

 夫婦って、そういうモノなのかな?


「とにかくね、どんなに仲が良くても、わかり合っていても、どれだけ長く連れ添った夫婦だろうと、ちゃんと話をしなきゃだめなんだ」

「でも、男のヒトはあえて言わなかったりするんですよね?」

「残念ながらね。だから、女性の繊細さが必要なんだよ」

「………」


 先生の言ってること、わかる気もするけど、よくわかんない。

 気付けば尖っていた唇を引っ込めて、私はポトスの横にある背の高いベンジャミンにも霧吹きをする。


「そうだ」


 温室内は、夏の間外の棚に置かれていた寒さに弱い鉢植えたちが、所狭しと置かれるようになっていた。

 先生はおもむろにしゃがみ込むと、増え続ける鉢植えの中から、忘れもしないひとつを手に取った。

 夏休みの出来事が解決したころ咲いた小さなピンクの花は、あの時たった一度咲いただけで、今はまた、雑草みたいな葉だけになっている。


「これ、桜井さんにあげるよ」

「えっ!? だって、これ……」

「花が咲いたら、願いが叶う、不思議な植物」


 そう言って差し出された鉢植えを、私は受け取った。

 先生からコレを受け取るのは、初めてじゃない。

 夏休み、私が先生に失恋するきっかけになったのが、この鉢植えの存在だ。

 先生が今の奥さんである彼女と一緒に育てていた花。

 この花が咲いた後、入院していた彼女が回復に向かっていると聞かされ、その後、めでたくふたりは結婚したのだ。

 てっきりふたりの新居に持って帰ったんだと思っていたけど、そんなところに置いてあったなんて気付かなかった。


「きっと、また桜井さんが育てたら、花が咲くと思うよ」

「………」


 これから寒い季節へ向かうというのに、本当に、咲くだろうか。


「そうそう、部活動は基本的に放課後だからね。部長がこう休んでちゃ、他の部員に示しがつかないよ」

「はい……すいません」

「梅宮さん、だっけ? 彼女も最近こっちに来ないし、ね」


 だから、放課後来るように、なんてちょっと倉田先生に似合わない命令口調で言うと、優しく微笑んでくれる。

 私は、渡された鉢植えをポトスの横に置くと、葉を撫でた。

 指先から伝わる植物の声、きらきら光る粒子が私の腕を伝って頭の中に降り注ぐ。

 彼らの声は、いつだって変わらず私を受け止めてくれる。

 静かに弾けて消えていく声は、乾いた大地を潤す、降り続く雨に少しだけ似ていると思った。

 すべて、私の中にある余計なものを洗い流して素直になりたい。

 そう、思った。


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