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「これ、香奈にあげる」
「なに?」
返事はせず、私はそれを香奈に受け取らせた。
愛美先輩とまではいかないけど、香奈の睫毛にもほんの少しマスカラがのってる。
その瞳を丸くして首をかしげると、香奈は手の中にある四つ折の紙を広げた。
「誰の?」
「北原の」
「えっ!」
丸くした目をますます大きくさせて、ぱちぱちと何度も瞬きさせる。
「なんで? どうしたの?」
もっと喜ぶかと思ったのに、香奈は怪訝な顔で私を見た。
西日差す教室に香奈とふたりきり。
誰かが開けたままの窓から冷たい風が吹いてきて、私は窓を閉めに立ち上がった。
「しおりちゃん」
追いかけてきた香奈は、窓を閉めた私が振り返ると、可愛いはずの顔をしかめてこっちを睨んでいた。
「これ、北原くんがしおりちゃんにあげたものなんでしょ?」
「うん」
「そんなの、受け取れない」
「えっ」
胸元に紙を突き返されて、再び私の手元にそれ、北原の連絡先が書かれたメモが戻ってきた。
「しおりちゃん、そんなに私のこと見くびらないで」
両手を腰にあてて、わざわざ下から見上げるように私のことを覗き込む。
「ご、ごめん」
めずらしいほどの香奈の気迫に、私は思わず謝った。
香奈は桜色の唇を尖らせると、今度は腕を組んで、ふんと鼻から息を吐いた。
「しおりちゃん、何にもわかってない」
「何が?」
「それは、北原くんがしおりちゃんから連絡ほしいって言ってるんだよ? そんなのもわかんないの?」
「……すいません」
まるで先生からお説教されてるみたいに、私は体を小さくしてちょこっと頭を下げた。
「もぉーっ!! しおりちゃんのバカっ、超鈍感っ、信じらんない」
「………」
そこまで香奈に言われると思ってなかった私は、正直圧倒されて言葉を失った。
手持ち無沙汰にメモをひらひらさせてから、香奈の睨みつける視線にそっとポケットにメモを戻した。
「いつもらったの、それ」
「う…ん、一週間くらい前かな」
「一週間っ!? そんなに放っておいたの!」
「……うん」
口も目も大きく開いたままの香奈は、そのままの状態で首を左右に振った。
「有り得ない、有り得ないーっ。いいの? しおりちゃん、このままなら本っ当にあの先輩に北原くん取られちゃうよ」
「……うん」
「『うん』じゃないっ!!」
顔を赤くして真剣に怒る香奈から逃げるように、私は近くの机に座った。
ぶつぶつと文句を呟きながら、香奈はその私の斜め前の机に座る。
「だって、ほら、取られちゃうも何も、もとより私のものじゃないし」
「じゃあ、北原くんが先輩と付き合っていいの?」
「っていうか、付き合うって言ってたもの」
「誰が?」
「愛美先輩が」
「北原くんと付き合うって?」
「うん」
怒り口調の香奈に、弱く返事をする私。
「北原くんは?」
「へ?」
「北原くんは、愛美先輩と付き合うって言ったの?」
「それは……北原本人からは聞いてないけど」
「じゃあ、絶対、あの先輩が北原くんに付きまとってるだけだと思う!」
目を吊り上げて、香奈は強く頷いた。
そんな自信に満ちた確信、私も欲しいよ。
確かに北原からそんな話は一言も聞いてない。
でも、愛美先輩が言ったんだから間違いないだろう。
オレンジの太陽が眩しくて、私は窓に背を向ける。
ポケットの中にしまいこんだ北原の連絡先は、この一週間、ただ眺めるだけでどうすることもできなかった。
放課後の温室は、また北原が来るかもしれないと思うと行く気になれずに、植物たちの世話は朝早くに済ませるようにしていた。
「ねぇ香奈、『好き』って、どんな感じ?」
笑われるのを承知で聞いた。
恥ずかしくて、香奈の顔なんか見れず、地面につかない足をぶらぶらと揺らす。
「倉田先生の時は、相手の人がいるってわかったら、すごく悲しかった。でもね、先生がシアワセになれるならそれでいいと思ったし、今でも、人として先生のことは好き。だけど、北原は……」
心の中の糸が複雑に絡み合って解けない。
自分で結んだはずなのに、今では手をつけたいと思えないほどぐちゃぐちゃで。
これ以上触れていいのかためらってしまう。
「フツーの恋愛って、お互い何にもない状態から特別な関係になっていくんだと思うけど、しおりちゃんと北原くんって、最初からお互いが特別だったでしょ?」
「ん……?」
「恋人とか友達って感じでもないし、幼なじみっていうわけでもないみたいだし……だけど、いつの間にか一緒にいる仲良しなのよね。そういうのって、何かが起きなきゃ本当の気持ちに気付けないとかいうけど、本当なんだね」
半ば呆れ顔の香奈は、話し終わると深い溜息をつく。
言われてみれば、そのとおりだ。
出会いは、北原が勢いよく開けた保健室のドアを私が額で受け止めるという珍事だった。
子供のころ、彼を傷つけてしまったのを思い出した私と、それをずっと根に持って私のことを嫌っていた北原。
だけど、次から次へと振りかかる災難にふたりで巻き込まれて、なんとか解決させてきた。
腐れ縁といえばそれまでだし、なんとも表現しがたい関係であることには違いない。
「まずは、本当に北原くんが先輩と付き合ってるのか、ちゃんと本人に確かめた方がいいんじゃない?」
香奈は机から降りると、私ににっこり微笑んだ。
「そのこと解決しただけでも、きっと楽になれるよ」
「……うん」
その笑顔が頼もしくて、私もちょっとだけ笑った。
だけど、本当に確かめられるかどうか、気弱な自分がどこかで弱音を吐いている。




