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Don't Touch!  作者: 鳴海 葵
Lesson2
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 熱中症で死にそうになってるその植物は、よく見かけるような、かといってこうしてじっくり観るのは初めてのような、そんな感じがする。

 はっきり言ってしまえば、道端にある雑草みたいだ。


「気がついたら水をやってたんだけど、どうにも元気がなくてね。ほら、桜井さんが手をかけると、不思議と植物たちの成長が早いから、このコも元気になるかと思って」


 そう言うと、先生は私にその鉢を差し出した。


「花が咲くはずなんだ。ピンクの、これくらいの」


 私が受け取ると、先生は空いた右手の人差し指と親指で、500円玉くらいの大きさを作る。

 うんうんと先生の話に頷きながらも、私は必死で頭の中の扉を閉じ続けた。

 きっと、この鉢に残る先生の意識を聞いてしまったら、冷静でいられなくなる。


「先生、これ、何ていう花なんですか?」

「うーん。……名前、ちょっとわからないんだよね」

「へぇ……先生でも、わからない花があるんですね」


 眼鏡の奥に隠れてる、男らしくない長い睫毛に装飾された目を、一度大きく瞬きさせると、先生は私を見てわざとらしい笑顔を作る。

 ごめんなさい、先生、私、意地悪な言い方しちゃった。

 これが、先生じゃない誰かのものなんじゃないかと聞けるほど、私に勇気はない。

 先生は、私が知らない花のこと、なんでも知ってたし、どんなに忙しくったって、こんなふうになるまで放っておくはずがない。

 もし、本当に先生のものであったとしたら尚更、私は手の中にある植物に同情した。

 欲しい欲しいと言ってるのに、それを訴える術を知らなくて、いつの間にか枯れていく。


「日陰で、少し様子見てあげて」


 先生に言われて、私は頷いた。


「そういえば、立派なサナギになったね」


 まるで意識をこの鉢からそらすように、先生は中庭のサナギの話を始めた。


「今は気温が高いからね、この数日で羽化するかもしれないよ」


 ふと、蝶が羽化してしまったら、先生が学校に来なくなってしまうような気がした。

 彼女の容態が急変したと北原は言っていたし、それなら、こんなふうにしている時間ももどかしいんじゃないだろうか。

 先生の話に適当に相槌を打つと、私は日陰の棚に向かう。

 日陰、といっても、理事長が黒い網のテントを天井代わりにした場所だ。

 そこに階段状の棚を作って、つよい日差しを避けなければならない植物を置いている。

 話の途中でこっちに来た私に、先生の戸惑う声が聞こえたけど、私は振り返らなかった。


 早く、早く、彼女のところに帰ってよ。


 本当は、そんなこと言いたくない。

 でも、口を開けば、喉のすぐそこまで出かかってる。

 もっと優しいことを言えたらいいのに。

 だけど、そんなことしたら、今すぐにでも泣いてしまいそうで。

 それでも私は、バラバラになった心を強引に押さえ込んで唇を噛んだ。


「先生」


 いつもよりちょっと明るい声を出したら、みごとにひっくり返る。

 いつもなら笑ってしまうところなのに、私はそのまま言葉を続けた。


「次ここに来たら、先生がびっくりするくらい、このコ、元気になってますよ」


 手の中にある鉢を顔の横に掲げて、私は必死の笑顔を作って言った。


「だから、先生、安心してください」


 一瞬、先生は目を丸くして驚いたけど、ちょっと困ったような笑顔で右手を頭の後ろへやった。


「ごめんね。お願いします」


 ちょこっと頭を下げるので、私も返事をするように頭を下げる。

 変なの。

 だけど、先生のこういうところが、私は……。


「じゃあ、北原くんも、よろしくね」


 北原が先生に軽く会釈を返すと、先生は笑顔で手を振って、私たちに背を向けた。

 心なしか、その足取りが急いでいるように見えて。

 私は肩の力が抜けて、危うく鉢を落としそうになる。

 今の私は、このコみたいに、きっと萎れているに違いない。

 ところ狭しと並べられている鉢をつめて、端にこのコを置くスペースを空けた。

 本当に、花なんか咲くんだろうか。

 咲いたところを、先生は見たことがあるんだろうか。


「元気に、なろうね」


 鉢を置き、話しかけた。

 力をなくした葉に触れ、撫でる。

 いつものように、自然に私は触れてしまった。

 気付いた時にはもう遅くて、葉から指先に伝わるモノは、ゆっくりと私の中に入り、染みこんでいく。

 弱いながらも、ふわふわと光り輝く小さな粒子。

 それに混じって残る倉田先生の意識。


『ごめんね』


 優しくて、柔らかくて。

 この子に語りかけられた言葉なのに、まるで自分に言われてるような錯覚に陥る。


『ごめん』


 その意識は、私の頭の中で、先生の声に変換される。

 私の体中に響きわたる声。

 心の中に抱えた想いを、告白するつもりなんてなかった。

 それを伝える前に否定されてしまったみたいだ。

 だけど、その声は残酷なまでに優しい。

 もう、堪えきれなくて、感情の粒が目から溢れ出した。

 やがて消えていく意識をもう一度確かめたくて、私はまた葉を撫で、目を閉じる。


 本当のことを知るのは、もう怖くない。

 諦めたくせに、もっと先生のことを知りたいと思う裏腹な気持ちが、私の中にある全ての扉を開放させた。

 暗闇の意識の世界で、正面から強い風が吹くと、私は真っ白な光の中に飲み込まれた。


 目の前に映し出されたのは、まるで映画の予告編みたい。

 途切れ途切れで、声のないセピア色の映像。

 そこに映るのは、先生と、きれいな女性。


 白くて柔らかい彼女の指が私に触れると、心地よい。

 幸せそうなふたりの生活の中で、突然彼女が姿を消した。

 不安な私に水をくれるのは、倉田先生。

 

『もうすぐ、帰ってくるよ』


 そう言って笑いかけてくれるけど、隠していても、全部わかってしまうんだよ。

 誰も来ない、空っぽな部屋。

 帰ってこない、彼女。

 そして。


 鏡のように自分の顔が映し出されたところで、私は目を開けた。


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