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第四十六話 痛み分け

劣等感にまみれた人生ほどつまらないものはない。しかも、劣等感を抱かざるを得ない元凶が身近な存在だとしたら、その絶望は計り知れない。


容姿端麗で成績優秀、運動神経も抜群な妹。そんな妹だからこそ、学校の外で多少のやんちゃをしても周りは許してくれる。一方、俺はと言えば容姿こそイケメンと呼ばれる部類に入るものの、成績も運動神経も人並みだ。


俺が優衣と同じようなやんちゃを外ですれば、誰もがこぞってこう口にする。「妹さんは完璧なのにお兄さんは……」と。


まあ、そんなことにもすっかり慣れた。家でもなるべく顔を合わせないようにし、優衣のことを知らない奴らとばかり交流をもった。優衣はいずれどこかへ嫁に行きいなくなる。それまでの辛抱だ。


と、そんなことを考えていたのがバカバカしく思えてくる。まさか、親父が影宮一刀流を優衣に継がせ、俺が出ていくことになるとは思いもよらなかった。


公園のベンチに腰かけたまま、すっかり冷めた缶コーヒーの中身を一気にあおり、空になった缶を前方に見えるゴミ箱へ投げつけた。ゴミ箱のヘリにあたって跳ね返った缶がコロコロと転がる。


「ちっ……」


周りの目もあるため、仕方なく缶を拾おうと立ち上がり足を踏み出したところ、地面のわずかな突起に靴が引っかかり盛大に転んでしまった。とことんついていない。


「くそったれ……」


さまざまな感情が湧きあがる。心が荒むとはこういう状態を指すのだろうか。もう何もかも嫌になった。


「……あの、大丈夫ですか?」


派手にすっころんだ俺の頭上から、弱々しい女の声が降ってきた。体を捻って見やると、制服姿の女子高生が戸惑いの表情を浮かべながら、俺に手を差し伸べていた。


「あ、ああ……」


恥ずかしさもあり、差し出された手をとることなく立ち上がる。


「……ずいぶん派手に転んだようなので、心配になって……あ! 額から血が……」


女子高生が驚いたように俺の額を指さす。そっと手で触れると、ぬらりとした感触が。どうやら石畳でぶつけたときに切れてしまったようだ。


「大変……ちょっと、ベンチに座ってください。私、絆創膏持ってるから……!」


言われるがままに再度ベンチへ座る。女子高生はハンカチで俺の額を拭ったあと、ポーチから絆創膏を取りだして俺の額にペタリと貼った。


「うん……これでよし、と。素人処置なので血を止めただけです。気になるなら病院へ行ってくださいね」


メガネをかけたおさげの女子高生は、ニコリと微笑むとベンチから立ち上がった。


「あ、あの……!」


「はい?」


思わず声をかけた。普段なら眼中にすらない、地味でおとなしめな少女なのに。


「名前……聞いてもいいかな?」


「ええと、沙織です」


「沙織……ありがとう。今度お礼をしたいから、連絡先とか教えてくれないかな……?」


「別に大したことはしていませんし、お気になさらないでください。それじゃ」


ニコッと微笑んだあと、ぺこりと頭を下げた沙織は、踵を返すと小走りで俺のもとを去っていった。この日以来、俺は沙織に会うため頻繁にこの公園へ訪れるようになった。



――イングリド王城では、女王ラミリアとヴァンが難しい顔をして向かいあっていた。


「はぁ? お前が直接出向いておきながら暗殺に失敗しただぁ?」


「うん、申し訳ない。ちょっと予想外の相手がいてね……」


ラミリアの部屋へ入ってきた侍女のカタリナが、ヴァンの前にそっと紅茶が入ったカップを置く。


「予想外の相手?」


「ああ。ラミ、カインって覚えてる?」


「ええと……ああ、あの坊ちゃんか」


「そうそう。そのカイン。あれはとんだ食わせ者だったね。剣の腕がからきしみたいなこと言っていたけど、僕とまともに斬り合うくらいだから」


「……マジか」


それに、カインが最後に見せたあの技。あれは抜刀術だった。いったいどういうことだろう。ラミリアにも伝えるべきかどうか迷ったが、そこまで重要な情報ではないため伝えないことにした。


「カインはジュリエスタ教と何かしらの関わりがあるようだ。というより、もしかするとカインがこの騒動を主導している可能性も出てきたよ」


「ちっ……面倒くせぇ……」


ラミリアがイラついたように髪をかきあげる。


「それと……スーリアにも連絡しておいたほうがいいかも」


「スーちゃんに? 何で?」


「ジュリエスタ教の法皇が白昼堂々と暗殺されそうになったわけだからね。報復するとしたら、間違いなくスーリアが狙われる」


「それは……たしかに問題だな」


「でしょ」


敵がスーリアを狙ったとしたら、大変なことになる。ラミリアとヴァンは眉間にシワを寄せて何やら思案し始めた。



――エルミア教の教会では、スーリアが「目」からの報告を受けていた。


「何? ヴァン将軍自ら暗殺に出向き失敗しただと?」


「は。そのようです」


わずかに目を伏せて考え込むスーリア。ヴァンが暗殺に失敗? ヴァンはラミを除けばこの国一番の剣士だ。あのヴァンとまともに剣を交えられる者がいるとは考えにくいのだが……。


まあ、考えたところで仕方がない。


「分かった。下がってよい。引き続き情報を収集しろ」


「は」


密偵が教皇の間から出ていったのを確認すると、スーリアは思いきり伸びをした。それにしても、いきなり騒ぎの元凶となったミザリーの首を狙うとは、さすがはラミとヴァンだな。さて、このあとはどうするか――


と、廊下のほうから「ぎゃっ」と短い悲鳴がスーリアの耳に届いた。誰かがふざけているのだろうか。いや、教皇の間のすぐそばでそのような愚行に及ぶ者はいない。とすれば……。


立ち上がったスーリアが御簾から出る。廊下をバタバタと走る音がどんどん近くなり、扉が乱暴に開け放たれた。


教皇の間へ現れたのは、覆面を被った五名の輩。各々の手には長剣や短剣が握られている。


「……スーリア教皇、そのお命ちょうだいする!」


集団の先頭に立つ男が、剣をだらりと構えたままズカズカとスーリアへ歩みを寄せる。


「く……来る……来るな……!」


恐怖に顔を歪ませ、後ずさるスーリア。その様子に、襲撃者たちの目が細くなる。覆面のなかでは笑みを浮かべているのだろう。


「ふん……我らがジュリエスタ教の法皇様を襲撃した報いだ。死して償うがよい」


歩みを止めない襲撃者に、スーリアは懇願するような目を向ける。


「い、いやだ……く、来るな……く……くく……くくくくく……」


突然俯き、不気味な笑い声を漏らし始めたスーリアに、襲撃者たちは訝しげな視線を投げかける。


「くくくく……あーははははは! ああ……ダメだ、頑張ってか弱い教皇を演じてみようとしたが、私には無理だ」


ニヤリと口の片端を吊り上げたスーリアを見て、襲撃者たちはギョッとした表情を浮かべた。


「ふん……強がりを! 死ぬがよい!」


一人の男が斬りかかるが、スーリアはそれをサッと交わし顔面へ強烈な拳打を見舞った。もんどり打って床を転がる刺客。


「バカどもが……私が担がれただけの神輿だと思ったら大間違いだ」


学生時代、ラミリアとケンカに明け暮れていたスーリアと徒手格闘でまともに渡り合うのは困難である。しかも、スーリアが教皇に推されたのは家柄でもコネでもなく、ひとえに彼女の実力が評価されてのことだ。


聖職者、しかも少女に刺客の一人があっさりと倒されてしまったことに、襲撃者たちが目を剥いて驚く。


「ミザリーを狙ったことへの報復なのだろうが、相手が悪かったな」


スーリアが体の前で両手のひらを上に向けた。襲撃者たち一人ひとりの足元に魔法陣が展開する。


「『炎帝(インペリアルファイア)』」


スーリアが魔法を唱えると、魔法陣から真っ赤な炎が立ち昇り、またたくまに襲撃者たちは炎に吞み込まれた。炎が収まり、あとに残されたのは黒焦げになった襲撃者たちの無惨な遺体。


床に転がる遺体を一瞥したスーリアは、自分専用のソファへ体をゆだねた。


「ふん……前哨戦は痛み分け、といったところか」


久しぶりに魔法を使ったことで魔力と体力を消耗したスーリアは、ソファにもたれたまま目を閉じた。


ちなみに、ラミリアとヴァンはスーリアの強さを知っているので、刺客の手にかかる心配は最初からしていない。むしろ、スーリアが()()()()()()()()ことを心配していたのであった。

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