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第四十五話 屈辱

第三回一二三書房Web小説大賞の一次選考通過しました♪

人は本当に屈辱を感じたとき、ただ笑うことしかできなくなるのだと知った。そう、あのとき。


門下生が稽古を終えて帰ったあと、俺は親父に道場へ呼びだされた。親父もそろそろいい年だ。やっと俺に影宮一刀流を継がせる決心がついたようだ。


一礼して道場へ入る。視線の先には、正座したまま目を閉じている親父の姿。と――


「……何で優衣が?」


こちらへ背を向けて正座している優衣の姿を視界にとらえる。


「……アキラ。そこへ座れ」


「……はい」


静かに目を開いた親父が、低音のきいた声で促す。俺は優衣に訝しげな視線を向けつつ、その隣へ正座した。親父の鋭い眼光に射すくめられ、何となく居心地の悪さを感じる。


「……単刀直入に言う。影宮一刀流は優衣に継がせることにした」


「……は?」


我ながらとてつもなく間抜けな声を出したと思う。それほど、親父が何を口にしたのか理解できなかった。隣に座る優衣はというと、正面を向いたまま身じろぎもしない。


「い、いやいや……父さん、優衣は女ですよ? なぜ長男の僕ではなく優衣に……?」


「剣の強さに男も女もない。優衣はお前より強くお前よりも賢い」


頭のなかが真っ白になった。優衣が俺より強く賢いのは知っているさ。ガキのころから散々比べられて生きてきたんだからな。


だが、それでも女である優衣はいつかどこかへ嫁に出る。当然、影宮一刀流を、道場を継ぐのは自分しかいないと思っていた。


「それに、お前はとにかく生活態度が悪すぎる。特に異性関係がだらしないのは大問題だ」


「そ、それは……」


「以前も門下生の女子高生に手をだしたな?」


「……!」


心当たりがありすぎる。だが、それの何が悪い? あれだって、向こうから俺に言い寄ってきたんだ。


そんなことを内心思うアキラへ、優衣は横目に蔑むような冷たい視線を送る。


「な……納得できない……そんなこと……!」


「道場へもほとんど顔を出さなくなった奴が何を言う。それなりに才能はあったのに、それを自ら潰したのはお前だぞ」


アキラはギリギリと奥歯を噛みしめた。すました表情で落ち着き払っている優衣にことさら腹が立つ。


「だが……そうだな。このままではお前も諦めがつかんだろう。最後にチャンスをやろう」


「な、何ですか!?」


「優衣とここで立ち会え。優衣から一本でもとれたら、再考してやらんこともない」


再考する、と明言しないのが嫌らしいところだよな。と優衣は心のなかでツッコみを入れた。


「わ、分かりました。優衣、準備しなさい」


「……おう」


影宮一刀流の稽古では、防具こそつけるものの使用するのは竹刀ではなく木刀だ。抜刀術が主軸の古流剣術であるため、腰に木刀をさした状態で立ち会う。


道場の中心で向かい合う兄と妹。アキラは優衣を間合いに入らせないよう、腰を落として慎重に距離を測った。が――


優衣はそんなことまったく気にする様子もなく、スッとアキラの間合いへ飛び込むとすれ違いざまにその胴を鋭く薙いだ。静かな道場に鈍い音が響きわたる。


「ぐあっ!!」


「はい、終わり」


木刀を肩に担いだ優衣は、腹を押さえてうずくまるアキラを一瞥すると、すたすたともとの場所へ戻っていった。


「く……まだだ、もう一回!」


「はぁ……何度やっても兄貴があたいに勝てるわけねぇだろ……」


「う、うるさい! いいからもう一度だ!」


優衣は忌々しげな表情を浮かべながら、ちらりと父親を見やる。軽く頷く様子が認められたため、仕方なくつきあってあげることにした。


結局、立ち合いの数は八回にも及んだ。アキラは頭に鋭い一撃を喰らったほか、接近した際に木刀の柄でみぞおちを強打され、さらには脛も強打され遂に撃沈した。


「はぁ……はぁ……は、はは……ははは……」


仰向けで大の字に寝転がったアキラの口から乾いた笑い声が漏れる。その瞳からは涙も零れていた。


「……これで満足でしょ?」


倒れこんだ兄を見下ろした優衣は、木刀を壁にかけると正面に一礼し道場を出ていった。


兄としての威厳、長男としての尊厳、仮にも幼いころから剣を振ってきた剣士としての誇り。すべてを失った気がしてアキラは涙が止まらなかった。



――ジュリエスタ教の法皇、ミザリーが祈りを捧げる時間はいつも決まっている。その時間帯には、基本的に誰も礼拝の間へは近づけない。


冷たい床に膝をついて祈りを捧げるミザリーに、カインは感情が窺えない視線を向ける。ここしばらく、ミザリーが祈りを捧げるときはカインがそばにつきしたがっていた。


カインは思案する。突然いくつもの国が敵対行動を始めたことで、イングリドは蜂の巣をつついたような騒ぎになっているはずだ。イングリドは強国ではあるものの、複数の国と一度に戦端を開けるほどの国力はない。


手っとり早く事態の収拾を図るなら、自分を魔女と認定したジュリエスタ教の法皇を真っ先に狙うだろう。シルベリアとジュリエスタ教が主導していると考えていればなおさらだ。周りが反対したとしても、優衣なら必ずそうする。


最短で結果につながる合理的な選択をするのが優衣だ。もしかすると、自分自身でここへ乗り込んでくるつもりなのかもしれない。いや、さすがに今の立場でそれは難しいか。


と、礼拝の間と廊下を隔てる大きな扉の向こうで、何やら鈍い音が聞こえた。


「……ミザリー」


法皇が祈りを捧げているときに声をかけるなど、本来は許されることではない。が、そのようなことを言っている場合ではないようだ。


扉が静かに開いたかと思うと、全身黒ずくめの輩が数人礼拝の間へと入ってきた。彼らは法皇ミザリーの姿を確認すると、素早くそのそばへ近寄ろうと行動を開始した。目的は言わずもがなである。


「ひっ!」


黒ずくめの男たちが剣を手に接近する様子を目にし、その場で腰を抜かすミザリー。カインは軽く舌打ちをしながら彼女の前に立ちはだかると、先頭に立っていた男の首を一撃で刎ねた。


カインの横をすり抜けてミザリーに襲いかかろうとした男の背中を袈裟に斬りおろし、振り返りざまにもう一人の刺客の胴を薙ぐ。


礼拝の間はたちまち血の海となった。


「ふぅ……ミザリー、ケガはない?」


「は、はい……」


剣を片手に携えたまま、カインがミザリーに右手を差し出す。


「ありがとうございます、カイン様……あっ!」


ミザリーの視界に、風を巻きながら凄まじい速さでカインへ接近するモノが映りこんだ。ハッとしたカインが慌てて振り返り、上段から振り下ろされる鋭い斬撃を剣で受け止める。


と、相手の力がスッと抜けたのをカインは感じた。その理由はすぐに分かった。


「……まさか、君ほどの者が直接刺客になるとはね……」


常人であればまずかわせないほどの鋭い斬撃を見舞ってきた相手。イングリドにおける軍事の要にして、女王ラミリアの右腕、常勝将軍ヴァン。


ヴァンは斬撃を受け止めたのがカインであることに気づき、戸惑いながらも素早く距離をとった。


「カ、カイン……? なぜ君がここに……?」


「……さあ、何故でしょうね」


「……邪魔をするのなら、君も斬らなくてはならない。どいてくれないか?」


「それはできない相談です」


「そう……か」


ヴァンは愛剣を二つに分け、両手に構えると俊敏な動きでカインに迫り縦横無尽に斬撃を見舞った。


「ぐ…‥!」


剣で受け止めるのが精いっぱいのカイン。攻撃の手数があまりにも多く、反撃がまったくできない。


「……そうか、今は双剣の使い手なんでしたね」


「……今は?」


カインが放った何気ない一言に、ヴァンは怪訝な表情を浮かべる。と、一瞬の隙をついて放ったカインの蹴りがヴァンの腹に直撃し、お互いの距離が再び離れた。


再度ヴァンが距離を詰めようとしたところ、カインが剣を鞘へ納める様子が目に入る。


「……もしかして、降参かい?」


「いえ。やはりこうでないと落ち着かなくて」


そう口にするなり、カインは腰を落とした姿勢で剣の柄に手をかける。と、次の瞬間。素早くヴァンに接近したカインが、低い姿勢から抜剣し斜め上へと斬りあげた。


「!!?」


スウェーバックの要領で何とか回避したヴァンだが、その顔には明らかに驚愕の表情が浮かんでいる。


今のは……抜刀術? なぜカインが……? それに今の太刀筋、どこかで見た記憶が……。


ヴァンの頬を冷たいものが伝う。と、にわかに礼拝の間の外が騒がしくなってきた。どうやら警備の兵たちに気づかれたようだ。


後ろ髪を引かれる気分ではあったが、長居はできない。ヴァンは剣を納めると、カインとミザリーを一瞥しその場から姿を消した。

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