第三十二話 通りすがりの
「……何? アリシアがラミリア王女を襲撃した?」
御簾の向こうで眉間にシワを寄せる教皇スーリア。ただでさえ朝が弱いうえに、早朝から不快な報告を耳に入れられすこぶる機嫌が悪い。
「は……ラミリア王女の寝込みを襲おうとしたようですが、失敗に終わり城の地下にある牢屋に入れられたとのことです」
簡潔に説明するマッシュ。その顔色はよくない。教皇直々にアリシアの監視を命じられていたにもかかわらず、彼女の凶行を止められなかった。
「マッシュ……貴様は何のためにアリシアのそばにいたのだ? 見聞きしたことを報告するだけなら城に張り巡らしている目だけで十分なのだがな」
あからさまに棘のある言い方をされ、マッシュの顔色はさらに悪くなってしまった。
「万が一にもあり得ないことだが、もし王女に傷一つでもつけられていたら貴様の首は胴と離れ離れになっていたところだ」
きっと本音だろう、とマッシュは感じた。このお方はやると言えば必ずやる。噂だが前大司教も猊下の命で消されたと聞いた。嫌な汗が背中を伝う。
「まあいい。王族を襲撃したとなればアリシアもただでは済むまい。だが、もしお咎めなく出てきたときは……分かっているな?」
「……は」
「よろしい。では戻るがよい」
わずかにほっとした表情を浮かべると、マッシュは頭を下げて教皇の間をあとにした。
──どうしてこんなことになってしまったんだろう。
薄暗く冷たい牢獄のなかでアリシアは自問自答を繰り返していた。公爵令嬢として生を受け、第一王子と結婚し子どもも授かった。
順風満帆な人生だったのに。第二王子のロジャーが謀反を起こし陛下と夫が亡くなって何もかもが変わった。
王族である義妹を手にかけようとした以上、私は処刑されるだろう。心配なのは残される息子、ラルゴのことだ。もしかすると、ラルゴも殺されてしまうかもしれない。
その考えにいたったとき、アリシアは自分がとんでもないことをしでかしたことに気づいた。あの子は私のせいで殺されるかもしれないのだ。
止めどなく流れる涙。夫が殺されたと聞いたときはそこまで涙も出なかった。でも、今は悔しさと悲しさでどんどん涙が溢れてくる。
と、誰かが近づいてくる気配を感じた。看守……ではない。絶望に苛まれる私の前に現れたのは、昨夜殺そうとした義妹だった。
「義姉さん……」
「…………」
哀しそうな、憐れむような視線をアリシアに向けるラミリア。
「……何をしにきたのよ。私のことを笑いにきたの?」
その問いには応えず、ラミリアは手にしていた鍵で牢獄の扉を開錠した。驚きに目を見開くアリシア。
「な、何をしているの……?」
「義姉さん……このままだとあなたは処刑されます。残されたラルゴの未来も明るくはないでしょう」
そんなことは言われなくてもよく分かっている。
「……外に馬車を用意しています。どこか別の国へ逃げてください」
信じられないことを口にするラミリアに、アリシアは愕然とした。それを無視してラミリアは小脇に抱えていた包みを手渡す。
「その服は目立ちます。侍女服を用意したので着替えてください」
「な、なぜ……私はあなたを殺そうとしたのに……」
「あんなことで兄嫁が処刑になるのは目覚めが悪いってだけですよ。それに、ラルゴがかわいそうだ」
唖然とするアリシア。今思えばこの義妹は昔から変な子だった。考え方や価値観がまったく違う。
「とりあえず早く着替えてください。今は看守の交代時間なのでここには誰もいません。今のうちにここを出ましょう」
──こうして、私はこの国を離れることになった。馬車にはすでにラルゴが乗せられていた。
行き先は隣国、バラスト共和国。森を抜ければ一時間そこらで着くはずだ。
膝の上に乗せている革袋に目が止まる。義妹から路銀だと手渡されたものだ。あれほど憎み殺そうとまでした相手に助けられ路銀まで渡された。
感情がぐちゃぐちゃになり再び涙が零れる。でも、もういい。この子と生きていけるのなら。隣で眠るラルゴにそっと目を向ける。
と、そのとき──
突然馬車が止まった。
「な、何があったの?」
「賊です! 出てはいけません!」
扉を開けて顔を出したアリシアに御者が声をかける。すでに日は落ちかけ周りは薄暗くなっているが、アリシアの目にははっきりと賊の顔が見えていた。
「マッシュ……?」
賊の数は五人。その中心に立ち剣を手にしているのは間違いなくマッシュだった。
御者の警告を無視して馬車から降りるアリシア。なぜマッシュがここに? いや、どうして剣を抜き殺気をみなぎらせている?
「マッシュ……どうして……?」
「アリシア様。教会の意思です。ここでラルゴ様共々死んでいただきます」
「な、なぜあなたが教会の言うことを……」
「……私は教会の聖騎士。教皇猊下の命で城に潜り込んだ間者の一人です」
愕然とするアリシアに冷たい視線を向けると、マッシュはその命を簒奪すべく距離を詰め始める。
「……アリシア様、お覚悟を」
マッシュが剣を上段に構える。絶望したアリシアにもう抗う気力はない。おとなしく剣が振りおろされるのを待った。が──
「んー? 悪人さんかなー?」
緊張感のかけらもないのんびりした声が薄暗闇に響いた。一斉に声のした方向へ視線が集中する。
そこにいたのは黒いワンピースを着用した少女。なぜこんな森のなかに? 誰もが疑問を抱いた。
「えーと、どう見てもあなたたちが悪者だよね?」
そう口にするなり、少女は魔力を解放した。マッシュたちの顔が驚愕の色に染まる。聖騎士である彼らは、目の前にいるのが人外であると即座に確信した。
「くっ……! 貴様魔族か……?」
「教えないよー」
にこりと微笑む少女に思わず毒気を抜かれそうになる。が、目の前にいるのは間違いなく人ならざる者だ。
「な、なぜ魔族が人間を助けようとする?」
「んー? たまたま空を飛んでて見かけたからね。特別な理由はないよ?」
そう口にした少女は片手を天に掲げると……。
『天雷』
途端に耳をつんざくような雷鳴が轟き、五人の襲撃者へ雷が落ちた。黒焦げになって崩れ落ちる襲撃者たち。
ふぅ、と息を吐いたルナマリアは、腰を抜かして震えているアリシアのもとへ歩み寄る。
「大丈夫? ケガはない?」
「え、ええ……あ、あなたはいったい……?」
「んー、通りすがりの魔族だよ? あ、魔族って言っても怖くないからね?」
まったく魔族らしくないルナマリアに、アリシアは少しだけ安心したようだ。
「た、助けてくれてありがとう。あの、お名前を聞かせてくれるかしら?」
「ルナマリアだよ。じゃ、私はもう行くから。気をつけてねー」
そう言うなりルナマリアは天高く舞い上がりそのまま凄い勢いでどこかへ飛んでいってしまった。
その様子をアリシアは呆然と見つめていたが、再度心のなかで感謝の言葉を述べると、息子が待つ馬車のなかへと戻っていった。
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「【書籍化&コミカライズ】森で聖女を拾った最強の吸血姫〜娘のためなら国でもあっさり滅ぼします!〜」連載中!
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