第三十一話 やりきれない
「マッシュ! いつになったらあの女を何とかしてくれるの!?」
今は亡き第一王子の元側近であり自らを護衛してくれているマッシュに対し、掴みかからんばかりの勢いで迫るアリシア。
ラミリアの女王就任は一週間後に決まった。このまま手をこまねいていてはラミリアが女王になり、自分や息子の身が危うくなるかもしれない。
「もう時間がない……こうなったら、あなたがあの女を殺して!」
「アリシア様! 言葉に気を──」
「もうそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
アリシアは相当追い込まれている。もし義妹が自分に少しでも悪感情を抱いていれば、息子もろとも処分されるおそれもあるのだ。
もうなりふり構っていられない。殺されるのを待つくらいなら先に殺さなくては──
「……あなたは夫の護衛も務めていた剣の達人なんでしょ?」
「アリシア様、落ち着いてください。たしかに私は王子の護衛でしたし剣に自信もあります。ですが、それでも王女の暗殺は現実的ではありません」
「どうしてよ!」
「ラミリア王女は幼少時より剣の鬼才と評された人物です。数々の実戦も経験し今では剣聖とも呼ばれるようになった」
「…………」
「正直、私の腕では王女の足元にも及びません。それどころか、王女を護衛しているヴァン将軍にも敵わないでしょう」
はっきりと無理だと伝えられたアリシアの顔が絶望に染まる。目には涙も浮かんでいた。
「アリシア様……もう諦めましょう。ラミリア王女は冷酷な人ではない。私も口利きをしますから。今の生活とラルゴ様の処遇も保証してもらえるよう力を尽くしますから」
「そう……ね……」
ぼそりと呟くアリシア。その声色からは何の感情も読み取れない。このまま諦めてくれれば。マッシュはそう願わずにいられなかった。
真の姿は聖騎士であり教皇の腹心でもあるが、一年近くそばにいたことでアリシアやラルゴに多少なりとも情が湧いている。
このまま何事もなく受け入れてくれたら。小さくため息を吐いたマッシュは、呆然と立ち尽くすアリシアから視線を外すと踵を返し部屋から退室した。
「ふぁ〜あ……ねむ」
ソファに寝転がり読書をしていたラミリアは、本をパタンと閉じ起き上がった。
「じゃあ僕もそろそろ戻ろうかな」
「ん? 一緒に寝たけりゃ別にいいけど?」
読みかけの本にしおりを挟んでいたヴァンにラミリアが嫌らしい笑みを向ける。
「やだよ、ラミ昔から寝相悪いし」
「ガ、ガキのころの話だろーが! 今はんなことねぇよ!」
「はいはい。じゃあまた明日ね、おやすみ」
ラミリアに軽く手を振ると、ヴァンはあくびをしながら部屋を出て行った。なお、ヴァンは王城の敷地内にある兵舎で暮らしている。
将軍ともなれば城の外に豪邸を構えて住むこともできるのだが、ヴァンは質素な兵舎に住み続けていた。
その夜。就寝中に扉の外に人がいる気配を感じたラミリアは、枕元の愛刀にそっと手を伸ばした。
しまった。扉の鍵かけ忘れてたかも。それにしても大した殺気だ。全然隠す気もないとか。
ラミリアは眠っているふりを続ける。刺客と思わしき者がそろりそろりとベッドのそばに近づいてくる気配を感じた。
ベッドに横たわるラミリアのすぐそばに立つ刺客。少しのあいだためらった刺客だが、やがて決心したように両手に握る短刀を振り上げた。
が、それが振り下ろされる前にラミリアが鞘に収めたままの刀で刺客の腹に打突を喰らわす。
腹を押さえてうずくまる刺客。その隙にラミリアは燭台に火を灯した。ぼんやりとした灯りに浮かびあがった刺客の姿。それは──
「義姉さん……」
亡き兄の正妃でありラルゴの母、アリシアの姿がそこにあった。憎々しげな視線をラミリアに向けるアリシア。
「あなたさえいなければ……!」
立ち上がったアリシアが短刀を振り回しながら突っ込んでくる。スッとかわすと、アリシアは出窓のカウンターにぶつかりその衝撃で花瓶が床に落下し割れた。
扉の向こうがにわかに騒がしくなる。派手な音を聞きつけ、巡回していた警備の兵士が駆けつけてきたようだ。
「姫様! 失礼します!」
乱暴に扉を開き部屋に入ってくる数人の兵士。
「いやいや、お前ら仮にも可憐な乙女の部屋だぞ? ノックくらいしろよ」
呆れた視線を兵士に向ける。指摘された兵士たちは途端に慌て始めた。
「あ、いや! 申し訳ありません! 姫様に何かあれば一大事と思いまして……!」
「分かってるよ。はぁ……それにしても……」
ちらりとアリシアを見やると、まだ両手でしっかりと短刀を掴んだままラミリアを睨みつけていた。
「む、貴様その短刀を放せ! ん? あなたは……!」
警備兵も賊の正体に気づいたようだ。こうなってはもうどうしようもない。
「……寝ているとき襲ってきた。法にしたがって対処しろ」
絞り出すように言葉を吐くラミリア。
「は、はは!」
そのままアリシアは警備兵に拘束され連行された。何ともやりきれない。そっと小さく息を吐いたラミリアは窓の外に目を向けた。
日中の快晴が嘘のように、夜の空には星も月も見えなかった。
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