死にたがりの竜③
何の感情もなく落されたその衝撃的な台詞に、シェイラの一切の動作が止まった。
瞬きさえ忘れた薄青の瞳がヴィートの姿を映す。
呆然と見上げることしか出来ない、そんなシェイラの前で、彼はゆっくりと視線を横へとそらした。
……また風が吹き、彼のまとう幾重もの布は揺れて流れていく。
退れた雰囲気、投げやりな物言い。
それは、生への執着がないからなのだろうか。だから彼から、こんなに孤独な雰囲気を感じてしまうのだろうか。
ヴィートが何を考えているのかが分からない。
シェイラは渇いた喉からどうにか出した声で、彼を咎めた。
「しっ、死ぬなんて、そんなに簡単に……。言っていいことと悪いことがあります」
まだ未熟な幼い竜ならともかく、成竜はとても丈夫で回復力も人間の比では無いはずだ。
堅い鱗に覆われているから並みの武器では傷を付けることも難しい。
だからこそ竜の鱗は非常に効果な材料となり、金銭を狙った者たちに狙われたりもするのだが。
「竜が、そんなにあっさりと死ぬわけないじゃないですか。長生きだし、強いし、竜は、とっても凄い生き物で、だからっ」
そう。死ぬわけがないと、シェイラは自分に言い聞かせた。
そんなこと、有り得ないと。
有ってはならない不謹慎なことを言うヴィートを、睨みつける。
彼は首を明後日の方向へと向けてしまうから、表情が分からなくなった。
でもはっと、ヴィートの唇が投げやりな息を吐くのだけは分かった。
「別に簡単にって訳でも、冗談なわけでもない。ただ事実を言っただけだ。死ぬためにこの町に来た」
「っ、どうして」
「そうしたいと思ったから」
「…………」
「死ぬなら、この町がいいと思った」
「……き、きちんと。説明していただけませんか」
「説明も何も。そういうものなんだ」
「それでは分かりません!」
「竜だからな」
「だから、分かりません!!」
シェイラは子供がわがままを言う風に、嫌々と頭を振る。
竜のするいつもの通りの簡素すぎる説明では、納得が出来ない。
「やだ。絶対いやです!」
大好きな竜が死ぬところなんて見たく無い。死んでほしくなんてない。
もうヴィートはシェイラにとって、ただの憧れの竜では無くなっている。
言葉を交わし、子供たちを助けて貰った。
小さな竜のために怒ってくれる、彼の不器用な優しさにも触れた。
そんな相手の死なんて、信じたくは無かった。
「びょ、病気……とか……?」
いくら丈夫だとはいっても、あがらえ無い病気もあるだろう。
「それなら、王城に行きましょう! ジンジャー様にお願いすれば、きっと……」
「違う」
「じゃあどうして!」
意味がわからない。
「どうして……?」
頭が重くなり、じわじわと薄青の瞳が潤みだす。
泣いたってどうしようもないのに、止められない。
病気でもないなら、では彼はどうして死んでしまうのだ。
シェイラの手を覆うふうに重ねられたヴィートの手は、相変わらずとても冷たく体温を感じさせない。
鱗に覆われた竜の姿のとき、彼らのその表面はなめらかで少しひんやりとしている。
でも人型をとっているときは人の体温と同じで、子供たちはとても暖かく、そして柔らかだ。
なのに、触れる手が冷たい―――。異常にだ。
その理由が命の刻限のために体自体が弱っているせいだと理解したとたん、全身ら血の気が引いた。
どうにか温めたくて、せめて体温だけでも戻してほしくて、シェイラはきゅと彼の節ばった手を握った。
「寿命」
「え」
シェイラは勢いよく顔を上げた。
凝視するが、等の本人は明後日の方向を見たまま、投げやりな口ぶりだ。
まるで本気でどうでもいいと思っているふうだった。
説明することさえ面倒なように、深々と溜息を吐かれてしまう。
「これでも結構な歳なんだ。もういつ死んでもおかしくない」
「っ……。そん、な……」
寿命。そんなどうしようもない事、どうすればいいのか。
口を開けたり閉じたりして、何かを言おうとするけれど、言葉が出てこなかった。
ただ分かるのは、近いうちに彼が永遠にこの世から消えてしまうと言うことだけだった。
(竜の寿命……? それって、どういうこと)
病気や、怪我なら、何らかの手を考えられる。王都に連れていけば専門の竜医師もいる。
でも、与えられた命の刻限は、はたして変えられるのだろうか。
この冷たい手が、王都にたどり着くまで保ってくれるのだろうか。
震える手で、彼の手を握り占め、シェイラはおそるおそる口を開いた。
「こ、この町で死にたい、とは」
「…………別に」
ヴィートはそむけていた顔をわずかにこちら側へ戻し、そして空を仰ぎ見た。
彼は風を感じるように目を閉じる。
十秒ほどだけそうした後、ゆっくりと瞼を上げ、何の感慨もない声でつぶやく。
「昔、色々あった場所なだけだ」
「色々……?」
「昔の話だ。もうここには何もない。でも、死ぬならばここが、この町がいいと思ったんだ」
「…………」
ヴィートが死に場所に選らんだ理由。
なんの感慨もない口ぶりだけど、とても重要なことのような気がした。
「本当に、何もないのですか?」
「は?」
「何もないのに、この町に……ルブールに、本当に執着しているのですか? 生まれた場所で、故郷でもある風竜の里でもなくルブールに、一体何故?」
「っ……」
ヴィートの眉がぐっと顰められ、彼の顔色が変わった。
「――――探しても、無駄だ」
「何を……つっ!?」
「煩い」
尋ねようとしたシェイラと、ヴィートの間に強い風が吹く。
それは明らかに自然に起こったものではない。
今にも肌を切り裂きそうな、冷たく鋭い風の刃にシェイラは驚いて彼から手を離し、顔をそむけた。
「きゅう!」
「きゅっ!!!」
大人しくお菓子を食べていたココとスピカが声を上げる。
「………?」
停止した風に、恐る恐るそむけていた顔をもとに戻すと、目の前に会ったのは藍色の竜の瞳。
鋭さを増し、縦に瞳孔の入った竜本来の瞳へと、彼は変化している。
感情の機敏を一番に受け、もっとも変化に敏感な瞳が変わっている。
その原因は、明らかに深く入り込みすぎたシェイラへの警告と、嫌悪だ。
竜の威圧感に、シェイラは身をすくませ、口をつぐむ。
これほどまでの拒絶を受け、それでもまだ何かを問うことは出来なかった。
* * * *
夕方、宿屋『赤い屋根の家』に帰ったココとスピカは部屋の戸の前で二人佇み、こっそりと相談をしていた。
人の姿に戻ったココはスピカと眉を寄せ、唇をヘの字に曲げた。
「しぇーらがわらってくれない……」
「ママ、わらってるよ?」
「あんなのちがう!」
ココはだんっ、と足を踏み鳴らして抗議する。
ヴィートと難しい顔で話をして以降、シェイラの気分は明らかに落ち込んでいた。
話の内容は、ココには良く理解出来ないもので、そもそも食べる事に夢中であまり聞いてもいなかったので、どうしてこうなったのかはまったく分からない。
シェイラを元気づけようとスピカと共に話かけると、一応は微笑を返してくれる。
でも、あれは本当の笑顔ではない。
シェイラでないシェイラの笑顔は、何だか嫌だった。
ココは今度は頬を膨らませた。
「もぉ!! びーとがいじわるするからっ!」
「……いじわる、かなぁ?」
ココよりも大人の話を理解しているらしいスピカは、首を傾げていた。
どうすればシェイラは元気になるのか。
スピカと相談するために、「庭で遊ぶ」と言い訳をつけて部屋を出て来た。
でもまったく良い案が出て来ない。
そもそもココはどうしてシェイラが落ち込んでいるのかが分からない。
顔を寄せ合ってスピカと話しているところに、背後から声を掛けられた。
「おい、何やってんだよ」
「まいく!」
「…………」
茶色の短い髪をした、ココ達より頭一つ分大きなマイクだった。
ココはぱっと顔を綻ばせてマイクを見上げる。
隣にいるスピカは、どうしてか返事をせず、背中へとまわってココの着ている服の裾をつかむのだった。
ココはそんな様子のスピカを気遣うほどの器量はまだ持っていない。
ただ単純に喜んで、色んな遊びを知っているが為に尊敬の念さえ抱いているマイクへと駆けよった。
そうやって駆けてもスピカはやはり、ココの背中から離れなかった。
「ココ、ばんごはんまでひまなんだよ。あそぼーぜ?」
「うん!」
「ココ!」
喜んで頷いたココに、スピカが静止の声を上げる。
「ちがうでしょ! いまはしぇーらママのこと!」
「あ」
「なに? あの人、なんかあるのか?」
「あのねぇ、しぇーら、げんきないの」
「ココっ」
あっさりと話したココを、スピカが背後から咎める。
二人では分からないのだから、相談した方がいいと思うのに、スピカはどうして嫌そうにしているのか。ココには分からない。
「ふーん?」
マイクは特に興味もなさそうに頷いた。
それから、一拍だけ考えてからある提案をしてきた。
「あのなぁ。俺は姉ちゃんが元気ないとき、花をわたすんだ」
「おはな?」
ココの後ろから、スピカが興味を引かれたように顔を覗かせ、小さな声で尋ねる。
マイクは口を開くとは思っていなかったらしいスピカの反応に、動揺したような様子を見せて、視線を明後日の方へ向けながら頷いた。
「そう。おんなは花がすきだからなー」
「おはな……。ママもすきだって」
「庭のな、まるいかだんに咲いてるのは、母ちゃんが育ててるからおこられるけど! ほかのは、かってに生えてるからとっていーんだぜ!」
「ほんと!?」
「しぇーら、げんきなる?」
「さー? でもしないよりマシじゃね? 元気になってほしーんだろ?」
「…………」
「…………」
ココは背後を振り向き、スピカを見た。
スピカもココの方を向いていて、互いに視線を交えたあとに強く頷き合う。
元気になってくれるかどうかは分からない。
でも、シェイラは確かに花は好きで、贈り物としてはとても良いものに思えた。
「俺もてつだってやるよ! 姉ちゃんにリボンもらって、それでかざろうぜ」
「ほんとうっ!? ありがとう、マイク!」
マイクの提案に、スピカは思わず声を上げ、本当に嬉しそうに顔を綻ばせた。
マイクはその思ってもみなかった反応に、茶色の目を見張り、その後見る見る間に顔が赤く染まっていく。
「……うん?」
ココはただ不可思議な気分で、スピカとマイクを交互に見て首を傾げる。
良く分からないけれど、仲がよさそうで何よりだ。
――――その後。
スピカとココとマイクで作った、少し不格好な花束をシェイラへと届けた。
シェイラは驚いたようで瞬きを繰り返し、それから僅かに薄青の瞳を潤ませた。
伸びて来た手に、ココとスピカは揃ってシェイラの胸の中に抱きこまれる。
「ありがとう」
震えた声に、ココはスピカと一緒に笑った。
完全に元気になってくれたわけではないみたいだけど、でも確かにココとスピカの心配は伝わって、シェイラの心の助けにはなった。
シェイラはココとスピカに頬を擦りつけながら、呟くように言う。
「悲しんでいたってどうにもならないわよね。どうにか、しないと……」
深刻そうに言うその言葉の意味はよく分からない。
ココはただ、暖かくて柔らかなシェイラに抱きしめられる事が嬉しくて、その頬に自分の頬を擦り寄せるのだった。




