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竜の卵を拾いまして  作者: おきょう
第二章

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もう一つの卵⑤

 

 クリスティーネもジークも、宿の自室へ帰ってしまい、すでに夕食も終えたころ。

 古びた宿のその一室では、ココとシェイラだけになっていた。

 陽があたるようにと窓際に置いたのは木製のベンチ。

 それにシーツとクッションを載せて寝かせているココの体は、沈む夕日に照らされオレンジ色に染まっている。

 

「ココ……?」


 ココの背にかぶせたシーツが動いたことに気が付いたシェイラは、机に向かってジンジャーへの今回の報告書を書いていた手を留めて振り返った。

 ペンを口の開いたままのインク瓶に差し、ココの傍らへと移動する。

 身を起こした竜の姿のココは、赤い瞳をぱちぱちとさせて周囲を伺っている。

 森にいたのに起きたら部屋にいるから、不思議がっているのだろう。


「きゅうー」 


 のんびりとした細い鳴き声を上げたココの体が、淡い光を放ちだす。


「……っ?あぁ、人化するのね。でも光ってる……?」


 こんなに強い光を放って人化したのは、一番初めにこの術をつかったときだけだった。

 不思議に思っている間にもココはどんどん大きくなり、人の姿をとり、鱗の一枚一枚が徐々に消えて、それらは柔らかな皮膚へと変化していく。

 とがっていた爪が丸みを帯び、跳ね気味の鮮やかな赤い髪が形作られる。

 まったく違う生き物へと変わっていくその様子は、何度みても不思議なものだった。

 竜にしかできない不思議な力にはやっぱり魅了されずにはいられない。


「ココ……」


 いつものように人間の3歳程度の男の子の姿になったココだ。

 でも今回はいつもと少し違うところがあった。

 シェイラは大きく瞬きを繰り返して、手の甲で何度か目元をこすり、それが見間違いでないことを確認する。

 そして確かに間違いがないことを知ると、手を合わせて歓声を上げた。


「ココ!翼も角もないわ!上手に術が使えるようになったのね…!」


 人の姿ではどうしても異質になってしまう、赤い鱗に覆われた翼も、頭に2本生えていた乳白色の角もない。

よくよく見れば瞳の瞳孔も丸く、人間のものと相違ないものになっていた。

 どこからどう見ても人間の姿だ。

 術の練習をし続けてきたこの何か月の姿を知るシェイラは、大喜びでココを抱き上げてきつく抱擁をする。

 柔らかな頬に自分の頬を擦り付けると、ココはくすぐったそうに足をばたつかせた。

 ココが小さな手で恥ずかしそうに自分の両頬を包んで、シェイラを上目づかいで見上げてくる。


「えへへへー」

「急に上手になるなんて、どうやったの?」

「わかんない。でもできたのー!」

「そう。きっとたくさん練習したからね。ずっと頑張っていたもの。すごいわ!」

「すごい?」

「すごい!とってもすごい!誇らしいわ!」

「んへへへへぇー」


 きゅうと抱きしめて喜んでいると、ココの体から力が抜けていくのが分かった。


「……ココ?」


 体を離してみてみると、うつらうつらとしている。

 どうやらまたすぐに眠りに落ちてしまいそうな状態だ。

 もう窓辺には陽もほとんど当たっておらず、肌寒いだろうと、シェイラは窓辺のソファーからベッドへとココの体を移すことにした。


「んうぅ…」

「何?」

「…いやぁー……っ…」


 慣れない身体の変化がむず痒いのか、ココはしばらく眠りと現実の間でぐずっていた。

 横に寝かせると身をよじって泣き出すので、シェイラはベッドに腰掛けながら子ども(ココ)の体を抱き、その背を優しく、リズムをとるように叩く。

 合わせて左右に揺らして、子守唄も歌った。

 シェイラが幼いころ、怖い夢をみて起きたときなどには母か父が必ずこうして、眠れるまで抱いて傍にいてくれた。

 少しずつ、少しずつ落ち着いていく子ども(ココ)を、シェイラは腕がしびれてしまってもあやし続けた。

 

「っ……ん……」

「いい子ね、おやすみなさい」


 ココが眠りに落ちる寸前に、額に優しくキスを落とす。

 子供の目に見える成長がうれしくて、ベッドに横たえてからもしばらく見守り続けるのだった。 





 ――――その後、ココの身に起こった変化を忘れないように微細を書けるだけ書き上げた。

 気付くともう月はもう昇りきり、頂点を超えて西に沈み始めている。

 すでに記録については一息ついた。明日は首都へと長い移動もあるので早く眠らくてはいけない。

 森の中をたくさん歩いたから体もずいぶん疲れていた。



 なのに頭が冴えて眠れない。

 

 

(……なんだか、呼ばれているような)


 シェイラは一人でぼんやりと開いた窓から星を見つつ、首を傾げる。

 はるか遠く、見えないところに何か引っかかるものがある。

 しかもとても大切なもののような気がする。

 その小さな小さな引っかかりが取れないから、むずむずして、気になってベッドに入る気にはなれなかった。

 

 でもどれだけ考えても、それが何なのかが分からない。

 

「森に忘れ物でもしたかしら。でも忘れてはいけないような高価なものや大切なものなんて持って行ってはいないわよね」

 

 ココを起こさない程度の音量で独り言を呟きつつ、思い出そうと一人で悩み続ける。

 でもどうやっても分からなくて、シェイラは遠くの空を八つ当たり気味に睨んだ。

 分からないと気になって眠れないのに。

 疲れで体も重くなっているから眠たいのに。  

 

(うーん…。……分からないわ。でも…いつもより、夜空は綺麗に見える気がするわ)


 なんとなく、見上げた星の輝きがいつもより強い気がする。

 深い闇色の空に浮かぶ三日月と、幾千万と輝く星たちの瞬き。

 ただ八つ当たりで睨んでいただけなのに、しだいに夢中になってしまって見上げ続けて、気が付けば時間がたって首が固くなっていた。

 じんわりと痛む首を右へ左へと動かしつつ、さすがにもう寝ようかと思った。

 たとえ眠れなくても、横になって休んでいた方がよいだろう。

 


 その時。


 

 ―――きらり。


 眩しいほどに、一つの星が大きく輝いた。


「…………え」


 星が、落ちてくる。

 流れ星のようにはるか遠くで落下しているのではない。

 あきらかにシェイラを目がけて、一直線に一粒の星が落ちてくる。


(な、何?!どうすれば……!)


 硬直したまま、瞬きも出来ず大きくなっていく明るい煌めきを見つめているしかできなかった。

 シェイラはそんなに俊敏な対応が出来るようなタイプではない。

 最近は親になった責任感からか少し改善してきたような自覚も少なからずあったものの、しかしここまで突然だとあんぐりと口を開けて、慌てているくらいしかしようがなかった。


「っ…、……あら?」


 落ちて来ているにしてはひどくゆっくりとした速さだ。

 しかしゆっくりとでも、確実にこちらに近づいてくる、明るい星。

 目を細めてそれを凝視していたら、少しの違和感に気付いてしまった。

 シェイラは無意識に唇から小さな声をこぼす。


「え。た、まご?」


 それは白い小さな、卵。


(見間違えたわ…星ではないじゃない……)


「………」


 空から卵が降って来た不思議に対する疑問は、この時のシェイラの頭には上らなかった。

 シェイラはただ両手の手のひらを上向きに差し出して天へと伸ばし、卵が手の上に落ちてくるのを、落ち着いた気持ちで待った。

 卵がここへ…シェイラの元へ来たがっているのだと分かった(・・・・)から。

 小さな小さな引っかかり。

 森に置いてきた忘れ物は、この子(・・・)だと。はっきりと自覚をした。

 空から落ちてきた…いや、明らかな意思を持って降りてきた卵は、シェイラの目線の前でいったん停止した。

 ゆらゆらと右へ左へと揺れて、なんだか不安そうに見えた。

 だからシェイラは、安心してと心をこめて柔らかく優しく笑う。


「こんばんは、初めまして」


 声をかけてみると、それはゆっくりと、シェイラの伸ばした手のひらの上に着地する。

 

「竜の、卵」


 白くて丸い。見た目には鶏の卵と変わらない、小さな卵。


「……?こく、りゅう?」


 どうして何の変哲もない卵が竜の卵。

 しかも黒き竜であることが分かるのか。

 シェイラは自分で自分が理解できなくて確かに動揺した。 


「……分からないけれど。分かるんだもの」


 そう。分かるのだから、仕方がないと、一つ息をついて納得する。

 納得するしかなかった。

 

 この卵の中に竜の命が眠っていることを。

 この子がシェイラを必要として、この手の中に降りてきたことを。

 どうしてか分かってしまうのだ。


(何の自覚もなかったけれど、やっぱり少しずつ変化しているのね)


 ココの卵を手に入れたときは、まだ食用の鶏の卵と何の差も分からなかったのに。

 ゆっくりとだけど確実にシェイラは人ではない存在に変わっていっているようだ。


「…………」


 手のひらにのっていた白い卵を、親指と人差し指で挟んで空に翳す。

 月明かりに照らされて外周がわずかに輝いて見えた。 

 触れた指先をつたって、暖かい命の鼓動が伝わってきているような気がした。


「黒き竜は夜を統べる月からの遣いだと本で読んだわ。……あなたはどんな子なのかしら。出来ればココと仲良くしてくれると嬉しいけれど」


 日の光を力の糧とするココと正反対の、夜の闇を糧とする竜。

 性格も正反対だったら喧嘩ばかりになってしまうのではないか、なんて。

 今からこの子が生まれた後のことを想像してしまって、もう育てることを決めてしまっている自分に苦笑を漏らしてしまった。





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