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竜の卵を拾いまして  作者: おきょう
第五章

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闇夜に灯るは黒竜の心④

「アウラット王子殿下、ソウマ様、ようこそいらっしゃいました」


 ドレスのスカートをつまみあげ、わずかに腰を下ろして目を伏せぎみにする。

 彼らにこういう(かしこ)まった挨拶をするのもずいぶん久し振りだと、少し新鮮な気分でシェイラは父と妹と並び、玄関で二人を出迎えた。


「遅くなって悪かった。ユーラ、誕生日おめでとう」


 そう言ってタキシード姿のアウラットが差し出したのは赤い薔薇の花束。


「わ、凄く大きい! ありがとうございます!」


 花束は手渡されたユーラが両手で抱えると、彼女の顔が完全に隠れてしまうほどの大きさだった。

 きっと立ち寄った花屋にその時置いていた薔薇を全て買い占めてしまったのだろう。

 とたんに、周囲に薔薇の豊かな香りが広がった。

 ユーラはなんとか体を伸ばして顔を覗かせ、嬉しそうに笑う。


「素敵。早速お部屋に飾ってもらいますね」

「喜んでもらって良かった」


 ユーラが侍女に花束を託す横で、父のグレイスが進み出た。


「アウラット殿下。ソウマ殿も。娘のためにわざわざご足労いただき有り難うございます。娘への祝いの品まで……恐縮です」

「気にするな」

「ご案内しますのでこちらへ」

「あぁ」


 アウラットとグレイスが広間へと向かう後ろを、シェイラとユーラ、ソウマが付いていく。

 シェイラは隣を歩くソウマを、まじまじと見上げた。

 撫でつけた髪に黒のタキシード姿の彼を見るのは二度目だけれど、相変わらず恰好良かった。


(前も思ったけれど、正装のソウマ様って、凄く……凄く……)


 無意識に、ごくりと喉がなった。


「ん? どうした?」

「っ、いえ」


 視線に気づいたらしいソウマが、小首をかしげて訊ねてきたことに、シェイラは思わず肩を跳ねさせた。

 慌てて少しだけ下へと視線を落とし、ゆるゆると首を振る。

 頬が熱くて、あまり意味がないと分かりつつも手で自分の顔を仰いだ。

 

(な、なんだか後ろめたいわ)


 ふわふわとした心地のいい気分なのに、頭も身体も熱を持っている。


 普段はみない服装や、すぐ隣から感じる人肌の熱。

 撫でつけた赤い髪を気にするようにそこに触れた、大きくて厚みのある手の節々。

 その存在感をどうしてかいつもより大きく感じてしまって、息が詰まり、どんな小さな仕草も気になってしまう。


(…………)



 ゆっくりと顔を上げて再び彼を見上げると、まだこちらを見たままだったらしいソウマは不思議そうに、しかし微笑みながら視線を返してくれた。

 その甘さを含んだ眼差しがまた堪らなく、シェイラは口元を変に引き結んでしまう。


「ソウマ様、ソウマ様!」

「ん?」


 ユーラが身を乗りだし、ソウマの腕の裾をひいて声をかけた。 

 シェイラから、反対側へいるユーラへと目を向けたソウマに、ユーラはしたり顔で口を開く。


「お姉様、酔っ払い中なんです」

「は? …………」


 その台詞に、ソウマは目を瞬かせ、振り向いてシェイラの顔を覗き込んだ。

 少しだけの時間をかけて、納得したように頷く。


「あぁ、だから様子が変だったのか」

「思考も色々と緩んでるようですから、ソウマ様、襲われないように気を付けてください」

「ユーラ! そこっ…そこまででは……」

「あはははは!」

「そ、そんなに笑わなくても……」


 ……でも色々と頭の中が緩んでいるのはなんとなく自覚している。

 普段ならばこんな事、考えない。

 恰好いいなぁ。素敵だなぁ。と思うことはいくらでもあるけれど。

 二人きりになって甘い雰囲気になった時に、堪らない気になることもあったけれど。

 でも、こんなに人がたくさんいるような場で、賑やかな明るい場面で、こんなに恥ずかしい気分になることはなかった。

 人前であっても構わないから、きゅーっと思い切り抱き付いてしまいたいなんて、大胆なことを想像するようなことはなかった。


(……もう今日は飲まない)


 これ以上にタガが外れれば本当にやりかねない。

 シェイラは今日限定の禁酒を決意し、密かに手を握りこんだ、――その時。



「―――あら?」


 もうすぐ近くにまで来ていた広間の出入り口である扉から、リリアナが飛び出してくるのが見えた。

 彼女は歩いてきているシェイラ達に気付くと、慌てたように駆け寄ってくる。

 その表情に困惑が広がっていることに、シェイラはわずかに薄青の瞳を見開いた。


「―――シェイラっ!」

「リリアナ、どうしたの?」


 王子であるアウラットへの挨拶も素っ飛ばし、彼らの脇を抜けてリリアナは一直線にシェイラの元にまで来た。次いでシェイラの片手をとって引っ張るようなしぐさをする。

 

「リ、リリアナッ!?」


 おっとりのんびりした、しかし礼儀は絶対に忘れない彼女らしくない。


(リリアナが取り乱すようなことが何か起こったということ?)


 ―――ざわり、胸騒ぎがした。


「どうしたの?」

「ご、ごめんなさい。でも。スピカが体調悪そうにしているの。早く行ってあげて」

「え!?」


 シェイラは目を大きく見開いた。

 ぽつりと、アウラットのつぶやいた声が聞こえる。


 

 「人よりずっと丈夫なあれが、体調を崩しただと?」


 静かだけれど、ひどく緊迫したこわいろだった。

 あれ、と表したのは、おそらくスピカが竜であることを口に出すべき相手かどうかを分かりかねていて、だからぼやかしたのだろう。


「っ……」


 シェイラはとたんに、はっきりとした寒気を覚え、背を震わせる。

 今の今まで感じていた茹でるような熱が嘘のようで。

 ふわふわとした酔いも一気に引いていった。

 

「シェ、シェイラ?」


 手を引くリリアナが困惑した声をあげる。

 

「えっと、あの子があまりに泣きそうな顔をしていたから早く連れていかなければと、急いでしまって騒いだのは私だけれど。でも倒れていたとかではなかったから……そこまで大事だとは思わないのだけど。たぶん、風邪とかだと思うし……」

 

 だから大丈夫よ。と、義姉となる女性は、青くなったシェイラの顔を覗き込みながら言う。

 スピカが竜の子ということを知らない彼女にとって、思った以上に大きな騒ぎになりそうな状況に驚いてしまったのだろう。そしてそこまででは無いからと、場を沈めようとしてくれている。

 

 シェイラは彼女から視線を落として、頷いた。


「………えぇ」


 わずかに震える息を吐き、すぐに顔を上げる。


「連れて行って。スピカが心配だわ」

「そ、そうね。こっちよ」


 





 ――――リリアナが案内をしてくれた、会場の隅。

 柱の陰になる場所。

 その目の前の、開け放たれた扉の向こう側にある芝生の上に、倒れたレヴィウスを発見して一同は驚愕する。


 倒れたストヴェール子爵家の嫡男レヴィウスと、彼の胸の上にのる小さな黒い竜。

 調子が悪かったのはスピカのはず。

 なのに今倒れているのはレヴィウスの方で、駆けつけた面々は訳がわからない。

 場所が場所であるだけに、どうやらシェイラ達が駆けつけるその時まで、誰一人として気づかなかったらしい。



「っ………レヴィウス!? どうして!?」


 まず倒れたレヴィウスに駆け寄ったのは、婚約者であるリリアナだ。

 ドレスの裾が汚れるのも構わず、その場へ膝を付けて仰向けに倒れているレヴィウスの顔を覗きこみ、焦りの色の濃い声で彼の名を呼ぶ。


「レヴィウス、レヴィウス!?」

「…………」

「レヴィウス!」


 肩を揺らしても、どれだけ声を張っても。

 レヴィウスはまったく反応しなかった。

 目に見えてリリアナの顔から血の気が引いていく。

 そんな彼の胸のうえにちょこんと尻餅をつき、リリアナを見上げるスピカに、彼女も気づいてはいるだろうが構ってはいられないという心境らしい。


「何事だ?」


 リリアナの必死な声に、客人たちが集まり、気づき、ざわめきが広がっていく。

 

「おい、早く医者を!」

「レヴィウス殿が倒れたのか? どうされたのだ、体調の悪い様子は見られなかったのに……」

「いや、どこか固い感じはしていたから、我慢しておられたのでは」

「動かして大丈夫だろうか。ベッドに――――」


 客人たちの困惑した会話と、屋敷の者たちが医者や部屋の用意をとせわしなく走り出す光景を背に、シェイラはソウマとアウラットと共にレヴィウスの傍に膝をつく。

 すぐ後ろで家族も顔を青ざめさせていた。


「お兄さま!」

「レヴィウス」

「どうした、倒れたのか?」


 仰向けに倒れたレヴィウスの胸の上には、いまだスピカがちょこんと乗っている。


「スピカ、レヴィお兄様といたのね? 何があったの?」


 緊迫した空気に、驚いたふうに目を丸めるスピカは「きゅう」と小さく鳴いた。

 シェイラはスピカを抱き上げ、黒い瞳を見つめる。

 背後で見守る客人たちから、竜の子の愛らしい鳴き声にと姿にどよめきが広がるものの、今は客人よりもスピカと兄が優先だ。


(あら?)


 シェイラは目の前のスピカの様子に眉を寄せる。

 なんだか凄くすっきりしたような表情だ。


「ついさっきまで、眠そうでぼんやりとしていたのに? それに、体調を崩していたのではないの?」

「きゅ、きゅーーうっ」

「…………?」


 シェイラの腕の中で、スピカは竜の姿から人の姿へと変わっていく。

 艶やかな鱗は柔らかい人の肌へ。

 角が消え、黒い真っ直ぐな髪が伸びる。

 また周囲の人々から驚きの声があがった。

 シェイラは周囲からの視線をひしひしと感じながら、スピカが人の姿へと完全に変わるのを待った。

 この人前で、この人見知りのこの子が、わざわざ再びの変化をしようとしているのだから、何か言葉で伝えたいことがあるのだろうと察したのだ。


 やがて幼い人の女の子の姿に戻ったスピカは急いた様子で口を開く。


「えっと、ね? でちゃった」

「……なにが?」


 スピカは眉を八の字に下げる。

 そして、小さな身体をいっぱいに使って身振り手振りで一生懸命に説明した。


「わかんない。いっぱいいっぱい、からだのなかにあったもの、ぜーんぶ、ぽんって、でちゃった!」

「――――――、それ、って」


 瞬きを繰り返したシェイラは、ソウマを振り向いた。

 湧いた可能性が確かなものであるかどうかを確かめるために。

 口に出さなくても察してくれたソウマは、確信を持ったようにしっかりと頷いてみせ、こういった。


「暴発、だな」

「っ……!」

「溜まりにたまった竜の力を、直接、至近距離から浴びたわけか」


 アウラットの呟きに、シェイラは喉をひきつらせた。


「っ、それって」


 暴発。

 幼い竜の子は、力を成竜ほど上手くは扱えない。

 自身で消化や放出のできない力が溜まりに溜まり、抱えきれなくなった瞬間、爆発するかのように外へあふれ出てしまう時が、幼い竜には必ず来る。


(でも、スピカの力は)


 ココの炎の力とは違い、スピカのもつ力は癒し。

 危険なものではなかったはずで、だからシェイラは警戒していなかった。


 なのに今、レヴィウスはこうして倒れている。

 まだ知られていないだけで、黒竜に他者を害する力があったのだろうか。


「一体どうして……」

「ぼう、はつ?」


 シェイラ達の会話を聞いていたリリアナがぼうぜんと、呟く。

 見ると、美しい紫の瞳にはうっすらと涙がたまっていた。

 何が起こっているのか、シェイラ自身も分かってはいないけれど。

 しかしリリアナの方が、訳が分からず混乱している。

 意識のないレヴィウスがどうしてこうなったのか。心配して不安になっている。


「リリアナ、ええっと―――――そうね。説明するわ。でも、先にお兄様を。ソウマ様、動かしても大丈夫なんですよね?」

「問題ない」


 そう確認したシェイラは腰を上げ、すぐ目の前に居る父グレイスを見上げた。


「お父様……申し訳ありません」


 『竜の力』を、家に持ち込むことにひどく警戒していたグレイスに、シェイラは肩を落として謝罪する。

 

「――いや、いい。さすがに不可抗力だ」


 グレイスはシェイラの頭を一度優しく撫でてから、注目を寄せている客人たちへと向き直った。

 彼は家族と客人たちの間に立ち、口を開く。


「皆、申し訳ない。息子がこのような状況ゆえに、誠に勝手ながら本日のパーティーは半ばながらこれにて終了とさせていただきたい。ご足労して来ていただいたのに申し訳ない。改めて後日詫びを。―――ユーラ」


 グレイスが声をかけると、ユーラも不安から顔色を青くさせながらも、気丈に正面を向きながらドレスのスカートの裾をつまみ礼をした。


「皆さま、本日は本当に有り難うございました。家族がご心配をおかけして申し訳ありません」




 ……今日招待しているのは親しいユーラの友人や、親族ばかりだ。

 みんな(こころよ)く頷き、レヴィウスを心配する言葉をかけ、ベッドへ運ぶための手を貸してくれた。さらに割れたグラスなどを片付ける手伝いをしてくれる人などもいた。

 スピカが竜の子だとは皆に知られたけれど、同じく竜であるソウマが来ていたのだから、他の竜もいても不思議ではないかと結論づけられたらしい。

 シェイラ自身も火竜ソウマの恋人だから、竜との関わりが合っても変ではない。


 もっとも事態が事態なだけに聞けなかっただけで、好奇心と疑問を含んだ視線はひしひしと感じたが。

 最終的には皆が帰り際にスピカの頭を撫でていき、パーティーは予定よりずっと早くお開きになったのだった。




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