帰還①
ストヴェール子爵家での食事会が行われた翌日。
宿のアウラットとソウマの部屋に、レヴィウスが迎えに来た。
彼はいつも通り丁寧に撫でつけた髪にメガネをかけており、隙の無い所作で礼をする。
「おはようございます。アウラット王子殿下。早速ですが、本日の視察先である孤児院と学校へと案内させていただきます」
「あぁ、今日からしばらく視察への同行、宜しく頼む」
「はい、宜しくお願いします」
「…………?」
彼らのやり取りにソウマは首をかしげた。
自分への挨拶が無いのは彼の小さな抵抗だろうがどうでも良い。
何より穏やかな声で答え、傍らに置いていたジャケットを手に取り羽織るアウラットに違和感を覚えた。思わすまじまじとアウラットを見てしまう。
(あれー? 普通の会話だな)
先日、レヴィウスは竜への暴言とも取れる発言をとった。
そのためにアウラットは彼を敵認定していたはずだ。
しかし今のアウラットは怒りなど見せず、王子然とした姿で鷹揚に応えていた。
アウラットは王子としての仕事より立場より、竜を愛することを優先する人間だと、短くない付き合いであるソウマは良く知っている。
仕事を円滑に進める為に、大人になって竜を侮辱されたことを水に流すような、そんな出来た性格はしていない。
(いつの間に仲直りしたんだ? 昨晩、食事の最中に仲良くしていた様子はなかったし……俺が庭に出ている間に話し合いでもしたのか?)
「うーん?」
「何を唸ってる、ソウマ。準備は出来てるか? 行くぞ」
「あ、あぁ」
「ではこちらへ。玄関に馬車を用意させております」
レヴィウスの案内で部屋を出て、三人で揃って廊下を歩く。
歩きながらも疑問の晴れないソウマは、こっそりと、前を歩くレヴィウスに聞こえない様に隣のアウラットに耳打ちをした。
「……なぁ、お前、あの人間に怒ってるんじゃなかったのか?」
アウラットはちらりと横目でソウマに視線を寄せて、肩をすくめた後、小声で短く答える。
「竜への愛の為に、竜と関わるものを跳ねのけるわけにはいかないんだ」
「ん? ……あぁ、そうか」
レヴィウスは、シェイラ――すなわち白竜と濃く繋がっている。
そして彼自身も白竜の血をその体に持っている。
これだけでもう、彼を完全に拒否することはアウラットには出来ない。なんて単純さだろう。
「だからソウマたちの関係を反対されたままでは困るんだ」
「アウラット……何をたくらんでる?」
「ははっ、何も? ソウマが兄君に認められるように頑張るだけだろう? 私は見守るだけだ」
アウラットは爽やかな、しかしとても黒い笑みを浮かべながら、レヴィウスに続いて宿の玄関をくぐった。
玄関を出た途端、わっと歓声があがる。
待ち構えていたらしい領民たちが、手を降り、声をあげ、一目でも王子と竜を見ようとしていた。
「殿下―!」
「ソウマ様―!」
「本物の竜だ! 火竜だ!」
「王子様だ!」
投げられる興奮した声に、アウラットは一時だけ手を振り答え、馬車へと乗っていった。
まだ玄関扉と馬車の間に立つソウマは、寄せられるいくつもの羨望の目の中、赤い髪をかき上げ大きくため息を吐く。
どうせ周囲の歓声が大きすぎて誰にも聞こえないだろうからと、ややぶっきらぼうに愚痴る。
「そーれが難しいんだって。俺が人間を説得出来るだなんて本気で思うのかよ」
人間の意思を変える方法なんてまったく知らない。
そのために努力することを、やはり面倒だとも思う。
二つめの溜息を吐いたソウマは―――ふと目を瞬かせ、おもむろに空を見上げた。
「っ……」
「ソウマ? どうかしたか?」
ソウマの様子に、既に馬車に乗っていたアウラットが顔を出し、不思議そうに声をかけて来る。
「―――近い、な」
呟いたソウマは流れる雲の、そのまた向こう、はるか遠くへと視線を寄せ目を細めた。
もちろん、見えるものはひたすらに雲と青い空だけだが。
「近い? 何が?」
「……?」
ソウマのつぶやきに、アウラットと、そして馬車の入り口の脇で待っているレヴィウスが眉を寄せていた。
空から彼らへと視線を戻したソウマは、口端を上げながら「なんでもない」と答えるのだった。
どうせ人間には理解できない感覚で。
そして、出来れば今は、……今だけは自分だけのものにしておきたい予感だから。
……―――視察の初日は、まずストヴェールの養育関係を重点的に見ることになっていた。
今、この国では一般民の識字率と学力を上げるため、各地に公的な学校機関が次々と建てられていっている。
田舎と呼ばれるストヴェールの地で、どれほどの政策効果が出ているか調べ、国へ報告するのだ。
さらには養育者の居ない子ども達の保護のための機関である孤児院も、現在国が力を入れている場所だ。
これまでは一般からの募金で成り立つことが多かった孤児院に、国の援助が入ることで勉学や教養のレベルを上げ、心身共に安らかに子どもが育ち、衣食住に困らない職業につく程度の知識を大人になるまでに付けさせるようにするための政策だった。
「まずはこの町にある二つの孤児院に向かいます。その後、昨年に創設されたばかりの初等学校へ」
「分かった。孤児院は、二つだけなのか? 足りるのか?」
「領主と国の手の入っている公的な孤児院が二つ、というだけです。個人が善意で開いている院は把握しているものでは四つですね。他所の地域と比べて、孤児の人数自体が少ないので、施設の数としては十分だと思っています。あとは環境をどこまであげられるかでさすが――……」
馬車内で、これから行くことになったらしい孤児院に付いてのアウラットの聞き取りが始まり、レヴィウスが澱むことなくすらすらと応えていく。
アウラットの仕事の補佐のようなことをしているソウマは、彼らの会話内容を、手元の紙に書き込んだ。後でアウラットが報告書を作るときの資料にするためだ。
仕事の会話を交わしている間に、それほどに距離は無かったらしい目的の孤児院に到着した。
「ようこそ、アウラット王子殿下、火竜ソウマ様、そしてレヴィウス様」
にこやかで優しそうな微笑みを浮かべた、五十代程度の見目の女性に院内を案内される。
平屋で古いが十分な広さがあり、明るい雰囲気の施設だった。
「なかなか、良い所だ。孤児院というと暗い空気のところも多いからな。ここは心根の良いものにきちんと管理されているようだ」
「有り難うございます、アウラット殿下。これも領主のストヴェール子爵家の皆様のおかげでございます」
「そんな……我々は何も」
「まぁご謙遜を。お嬢様方もご子息方も、しょっちゅう様子を見に来てくださって。いつも沢山あそんで下さるから、子ども達はとてもなついてるのですよ」
にこにこと微笑みながらストヴェール家兄妹の話をする施設長はどこか自慢げだ。
自分たちの領主はこんなにすごいのだと、アウラットに伝えたがっているようにも見えた。
レヴィウスは手放しで褒められて居心地が悪いのか、メガネの奥の目元を僅かに赤らめ、視線をせわしなく彷徨わせている。
「おや」
しかしレヴィウスはふと一点に視線を寄せ立ち止まり、窓枠に手をかけてた。
ソウマとアウラット、施設長も足を止め、彼の気にしている窓枠を凝視する。
「隙間風が吹き入っているな……」
レヴィウスの言葉に、ソウマもじいっと顔を近づけてみると。
なるほど、確かに風が僅かに吹き入ってきている。
施設長は頬に片手を寄せながら、苦笑してみせた。
「少し立てつけが悪い程度ですわ」
今すぐに直す必要なないと、のんびりした様子だ。
雨が入るほどの大きな歪みでもなく、この程度の隙間風なら、城であっても下位の部屋ならいくらでも見られる。
問題視するほどではないと、ソウマでも思ったし、アウラットも同じ意見のようだった。
しかしレヴィウス一人だけは、眉を寄せ難しい顔をして首を振る。
「これから季節も変わりどんどん寒くなっていくでしょう。修理の予算を子爵家の援助という形で出しておきます」
「そんな、最近国からの援助金も増額されましたし、子爵家にももう十分に援助はしていただいておりますわ」
「子どもの中で病でも流行れば、直ぐに領内中に蔓延する。そうなったときの損害を考えれば当然の対応です」
「まぁ……」
レヴィウスは早速準備にあたるため、懐からメモを取り出し修理業者を依頼する算段を始めた。
施設長は瞬きを繰り返していたが、直ぐに苦笑し、目を嬉しそうに細めてアウラットへ口を開いた。
「いつも私達さえ、これくらい良いかと思ってしまうような箇所にも気づいてくださるのです。本当に、将来とても良い領主さまになられますわ」
施設長は鼻高々と言った様子だ。
次期領主を自慢したくて仕方がないらしい。
(なるほど、確かに評判はいいらしい)
小さな事柄にも目を配り、問題点があれば先延ばしにせず瞬時に行動を起こす。
更には、その後に訪れたもう一つの孤児院でも。
初等学校でも。
レヴィウスは建物の小さな修繕点や、効率の悪い作業箇所などを見つけていた。
大変に細かなところに気づき、次々と采配を下していく姿に、ソウマも仕事は有能だと聞いていた前情報に納得せざるをえなかった。
さらに子ども達も、施設の大人たちも、さきほどの孤児院の責任者と同じように、自慢げに胸をはりながらレヴィウスの素晴らしさについてアウラットとソウマに語って聞かせた。
ソウマはその日、ひたすらにストヴェール子爵家とレヴィウスへの褒め言葉を書き連ねることになるのだった。
(しっかし、必要事項くらいしか俺とは話さないんだよなー)
手元を動かしながら、ソウマは苦笑する。
レヴィウスはソウマと個人的な話をするつもりはないらしく、アウラットと仕事の会話をひたすらにしていた。
彼に認めて貰うためにはどうしようか、と考えて。ソウマはにやりと一人、こっそりと口端を上げた。
おそらくたぶん。
強い味方が出来たから、気持ちはずいぶん軽かった。
……しばらくして、一通り施設を見終えた頃、レヴィウスが言った。
「……では、本日の予定は以上です。明日は農業地にご案内します。そして―――父が、もしよろしければ本日も我が家で夕食をと伝言を承っておりますが。いかがでしょうか。気が向かないようでしたらこのまま宿へと馬車を向かわせますが」
「どうする?」
昨夜の食事会で、一応の義理は果たしていて、無理に付き合わなくても良い。
酒とつまみを嗜むくらいしかないソウマにとって、食事会というものは特に楽しい場ではないとしっているアウラットは、ソウマへと振り返り尋ねてきた。
いつもなら、面倒だと断っている場面だ。
しかしソウマはにっと歯を見せてくったくなく笑いを浮かべて頷いた。
「行こう。ストヴェール子爵邸に、帰ってるみたいだから」
今朝、空を見上げて近づいていると感じて気にしていたが。
夕方ごろには、この地に帰っているのだと、彼女の持つ『加護』が知らせてくれていた。
きっと今頃、子爵家の家族にソウマたちがストヴェールに滞在していることを聞いて驚いているころだろう。




