47話 交わらない
瑞穂は、恭平の病室から自室へ戻る最中に、500万というワードに目眩を覚えていた。
そしてふらつくように、途中のベンチに腰を下ろした。
交渉は大成功と言ったところだろうが、どこか腑に落ちない思いが残っていた。
プロテインのために食費を削る日々。もやし生活。奇跡の半額かつ丼を半泣きで貪る自分。
情けない走馬灯が彼の目眩の原因だ。
そのせいで次の試練への準備が遅れていた。
「本番はこれからだ」
誰もいない廊下で一人呟く瑞穂。
スマホをスワイプして“透花“と書かれたチャットルームの通話ボタンを押した。
2コールほど鳴り『はい』といつもの冷めた口調が耳に入る。
明日香を仲間に加える話は透花たちにはしていない。
璃乃には6月10日に紹介をすると適当な事を言ったが、透花や烈火は明日香を仲間にすることを拒否するのは確実だった。
明日香を仲間に入れるリスクを上回るリターンを提示する。
そのための恭平との交渉だった。
————Call Time by 透花————
「近くに烈火はいるか?二人に話したことがある」
『いる。スピーカーにするがいいか?』
「構わない」
瑞穂は野犬事件、神無月町病院事件の透花や烈火の無理な指揮に不信感を募らせていた。
澪が時には緩衝材、時には瑞穂側へ立ってくれることでぶつかることはほぼないが、なんとも言えない関係であった。
その気持ちが口調にも表れるが隠す必要もないと、瑞穂はスマホを持つ手を変える。
『瑞穂、すまないな見舞いに行けなくて』
烈火の気だるそうな声が聞こえてくることはスピーカーホンになったことを示しているのだろう。
「あんたは外に出る訳にはいかないだろう?透花のインビジブルの中にいないと——」
『相変わらず口が減らないなお前は』
嫌味を言い終わる前に話を切られてしまい鼻を鳴らす。
「だから、澪と拓斗を寄こしたんだろう?しかしあれは失敗だ」
話の流れから廊下で話す内容は直に終わると予想し、立ち上がり自室の方へ歩き出す。
『もしかして、拓斗か?』
「ご名答、案の定暴走して、璃乃との関係は最悪だ」
通話先で透花の『頭が痛い』という嘆きが聞こえる。
自室へたどり着き、中へ入り、ゆっくりと扉を閉めた。
『ったく、拓斗はしょうがないな。なぜ璃乃を目の敵にするんだ?』
烈火は気だるそうに話しているが、透花より穏便で少しだけ話しやすい。
「正直分からん。拓斗が追っている事件はまだ解決してないんだろう?それで焦ってるんじゃないか?」
拓斗は4月の下旬頃、瑞穂が神無月高校の生徒が次々と倒れる事件——神無月町病院事件を追い始めると同時期に違う事件を追っていた。
しかし、事件は難航し途中から澪も調査に入っていた。
『その事件についてだが、芳しくなくてな。すぐにでもお前と璃乃にも加わってほしいと思ってる』
「それを拓斗にも言ったのか?」
『言った』
烈火と瑞穂の会話に割り込むように透花の簡潔な返事が返ってくる。
それが拓斗のプライドを傷つけたことは明白。
透花のことなので辛辣な言葉で伝えたのも想像に難くなかった。
「『それだろうな』」
電話先の烈火と瑞穂の声が重なった。
『それで、話とはなんだ?』
埒が明かないと思ったのか、会話の声が烈火から透花に変わった。
「琴宮明日香についてだ」
本題を切り出す。
『琴宮と言うとあの琴宮グループの娘か?』
アングラな生活をしている透花でも琴宮グループの名前は認知している。
驚きのあまり、瑞穂はまだ体が痛むことを忘れ、ベッドへ勢いよく座ってしまった。
「あぁ、その通りだ。琴宮明日香を仲間にしたい」
返答がない。息遣いのみが聞こえる。
『……ふざけてるのか?』
沈黙の後に聞こえてきたのは予想通りの答えだった。
「ふざけていない。琴宮家の執事から明日香を魔法使いにしてほしいと依頼された」
『……話が見えないな。依頼だと?その執事は何者なんだ?』
明日香の誕生日パーティーの時、瑞穂自身も透花と同じ気持ちだった。
疑問、イラつき、呆れが混じり、低く下がる語尾は数日前の自分の声を聴き返しているように感じる。
「執事は桜都出身の老人、多分元魔法使いだ」
『何!?』
「琴宮家には何か裏がある。明日香の母親、琴宮麻衣子も魔法使いと錬金術師の存在だけではなく、七錬神の存在まで把握していた」
『どういう事だ!?琴宮グループは桜都と繋がっているということか!?』
珍しく声を荒げる透花はだがそれは当然だった。
透花と烈火は桜都出身で、桜都から逃亡をしここ神無月町へ身を潜めている。
目的は——
桜都への復讐。
そのために作られた組織なのかチームなのか不明瞭なのが神無月町の魔法使いたちだ。
璃乃と明日香はこの事実を何も知らない。
要は人殺しをするための組織。
璃乃の考えとは真逆と言っても差し支えないであろう、事実は瑞穂の口から伝えるのは困難だった。
しかし、昔は違っていた。
復讐を主題に置きながらも、生きるすべを失った瑞穂たちに厳しいながらにもそのすべを教えてくれていた。
しかし、少しずつ透花の思想が硬化していくのを誰しもが感じていた。
何かに取り憑かれてるように、強硬的な考えになっていった。
彼女の思想の変化はチームの不和を呼び、結果として今の歪んだ形になっている。
「詳しくは口を割らなかった。だが、明日香は何も知らなかった。その紛れもない事実は俺が確認をした。明日香自身も覚悟がある」
再び返事が返って来なくなる。瑞穂は追い打ちをかけるように畳みかける。
「ものは考えようじゃないか?明日香をこっちへ引き入れれば自ずと執事と母親が尻尾を出すかもしれない」
『たらればの話にしてはリスクが大きすぎるだろう』
透花は考え込んでいるようで、烈火が代わりに返答をしてきた。
「琴宮グループの恩恵を受けられる可能性もある。琴宮グループはIT分野に秀でている会社だ。AI開発やソフトウェア開発で成り上がった会社だからな」
『それはあくまで琴宮グループだろう?琴宮明日香、個人では大した意味を持たないだろう』
烈火の言うことは最もであるが、瑞穂には切り札がある。
「その執事は明日香の事をいの一番に考えていて、こちらに資金援助をし、干渉をしないことを条件として飲んだ」
『——くらだ?』
透花の声で何か聞こえたが途切れてしまって聞き取れなかった。
「え?」
『いくらだ!?』
——食いついた!
「毎月500万だ!!」
『『嘘だろ!?』』
通話先の二人のどよめきの声で通話は終わる。
———— End call————
交渉は成立と言ったところだろう。
澪に新しく買ってもらったスマホを、枕元へ投げ捨てた瑞穂。
彼の病室からは沈みかけている夕日が、見えない月を導いていた。
——あいつらを守るために俺は前に進まないといけない。
琴宮家の謎、拓斗と璃乃の関係もそうだが——
「それ以上に問題なのは……」
自然と歩みが窓の方へ向いた。
カーテンを閉める前に誰もいなくなった中庭に目を落とす。
「確かめないとな」
月と太陽が重なることはなかった。




