46話 6月の風
◇ ✪ ◇(瑞穂視点)
辺りは夕日に照らされ、ふと室内を見渡すと、それは寂しそうに見えた。
窓を開け、中庭を見るために少しだけ身を乗り出した。
見舞いを終えた人や勤務を終えたであろう人たちが眼下に映る。
少しばかり暖かすぎる風に誘われるかのように、隣接されているコンビニから飲み物を買い、ベンチで談笑している。
「もう6月か。時間はあっという間に過ぎていくな」
誰に向けて言ったわけでもない独り言。
「まだ高校生の貴方にそれを言われてしまいますと、なんだか余計に歳を感じてしまいますね」
苦笑交じりの渋く落ち着いた男の声に、中庭の人たちを見つめていた少年の表情が、少しだけ柔らいだ。
「夕日を見ると昔を思い出すんだ。母さんと一緒に見た景色は夕日に照らされて綺麗で優しいものばかりだった」
「……」
「母さんは俺が腹の中にいる頃からよく見ていた稲穂の煌めき、風に揺れている景色を見て、この稲穂のように光り輝くような未来を歩めるようにって“瑞穂“って名前を付けてくれたんだ」
「きっと優しいお母様だったのですね」
その言葉に苦笑する。
「あぁ、誰よりも優しく強い人だったよ。それを母さんから受け取ったはずだったのに、いつの間にか落としちまって、どこかのバカに散々言われた」
水張月の風がそっと頬を撫でた。
「少し冷えてきたな」
意味のない嘘を吐き、窓を閉める口実とした。
暁瑞穂は琴宮家の執事である恭平の病室を訪れていた。
恭平はベッドから動くことができないほどの重傷を負っており、全治2ヶ月の診断を受けた。
瑞穂も瀕死の重傷を受けたが、魔力による回復力で歩けるまでに治っていた。
「璃乃ちゃんらしいですね」
恭平は唯一動かせる左手を口元まで運び、笑みを隠そうとした。
名前を言わなくとも伝わる我儘な魔法使いのやることは、恭平と瑞穂での相違は無さそうだ。
「なんならあんたのお嬢様にも結構言われたぜ」
窓を閉め、恭平のベッドの隣まで近づき、その表情を覗く。
「そうですか。明日香様も変わろうとしてくれているのでしょうかね」
そっと左手を膝元へ置いた口元は優しく微笑んでいた。
「変わろうとしている。でもその道は厳しい道のりになるだろうな」
瑞穂は昨日か一昨日に置かれたであろう花瓶に入っている花を横目に現実を伝え、 小さなパイプ椅子に座る。
恭平は何も言わずに夕日に照らされているその花を見ていた。
先ほどまで風に吹かれて揺れていた花は窓を閉めてもなお、少しだけ揺れ動いているように瑞穂には映った。
「なぁ。教えてくれないか、琴宮家について。恭平、あんたがなぜそこまでして明日香の成長に拘るのか、そして琴宮麻衣子とは一体何者なのか」
璃乃と明日香の話を聞いていた恭平は暖かい眼差しで、まるで親のような表情を浮かべていた。
しかし、この話をすると途端に表情は隠れ、何を考えているか分からなくなる。
明日香の誕生日パーティーの時に見せた涙の真相を聞きたいと瑞穂は思っていた。
数分の沈黙が二人を包み、瑞穂が諦めかけた時に恭平の口元が動いた。
「申し訳ございません」
ベッドの背もたれを少し上げてあり、恭平は首を動かすこともできなかった。
その代わりとしてか、彼は視線を落とし瞼を閉じた。
瑞穂は「はぁ」と聞こえるようにため息を吐き、パイプ椅子から立ち上がろうとする。
「ですが——」
恭平の言葉が瑞穂を止めた。
「明日香様は魔法使いにならなくてはなりません。それだけは……」
強い想いだが断片的すぎる恭平の言葉。
瑞穂は動きを止めずに立ち上がり一歩出口の方へ歩を進めた。
「琴宮家、いや麻衣子様は命を狙われております。手口が直接的か社会的かは分かりませんが、それの牙はやがて明日香様の命にも向きます……ですから!明日香様は強くならなければならないのです」
微かに見える揺らぎ、それを隠そうとする虚勢にも似た強い語尾。
瑞穂は再び動きを止めて、恭平を見つめる。
「それ以上は話せないのか」
気持ちに流されそうになる。
だが、彼が揺らいでしまったら璃乃や明日香、拓斗の命を危険に晒してしまうかもしれない。
その怒りか不安か不明瞭な気持ちが瑞穂の手を握っては開かせる。
「申し訳ございません」
ふざけた回答だった。リスクのみを投げ、気持ちで相手を懐柔しようとする魂胆が見える。
彼の深層は二の次だ。
リスクにはリターンを受け取るのが同義だと瑞穂は小指から搾り取るように、手のひらを拳に変える。
そして、どこにも響かないように低く、それでもってはっきりと伝える。
「明日香を魔法使いにさせるって件は仲間に了承を得られなそうだ」
恭平の瞳が揺れ動く。
「瑞穂様!!」
彼の弱った体から出せる精一杯の声は、弾けるよう音で病室内を駆け巡った。
しかし、瑞穂には届かない。
「もし明日香を俺たちの仲間にするなら条件がある」
恭平は言葉の趣旨を理解したようで、口を結ぶ。
瑞穂は3本の指を立てる。もう片方の手は依然として力が込められている。
「①あんたは神無月町の魔法使いに資金援助をする。②あんたから神無月町の魔法使いに接触することを禁ずる。③このことを璃乃と明日香には絶対に伝えない。どうだ?」
あくまで話し方は淡々としたトーンで己の緊張を諭されないようにする。
瑞穂はこの交渉を飲み込ませることに神経を集中させる。
「分かりました。瑞穂様の言う通りに致します。ですが私からも一つ条件……いや、お願いがございます」
恭平の眼光が弱まったと思えば再び鋭さを取り戻した。
「お願い?」
「はい。私と麻衣子様が桜都と繋がりがあることと、魔法と錬金術を知っていることを明日香様と璃乃ちゃんには伏せていただきたい」
それは圧倒的不利な状況で出す恭平の我儘だった。
「もとからそのつもりだ」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、してやったり感を前面に出す。
「末恐ろしい方だ」
恭平も思わず笑みを零す。
「ところで、いくらまでだったら援助してくれるんだ?できれば定期的、毎月のフローがほしい」
話を現実へ戻す。
恭平は左手の手のひらを広げ上へ掲げる。
「月50万か……もう一声って言いたいが現実的なラインだな」
神無月町の魔法使いは資金不足が深刻化しており、あと2、3か月で底を着くところであった。
全員の食費と光熱費、瑞穂たちの学費、地下の修行場の補修代金その他……
上げればきりがない出費の数々で、透花たちは火の車状態だった。
食費などを分配する時に毎度のことに瑞穂は澪と喧嘩をすることになる。
思い返してみれば、瑞穂が入院前に食べた最後のご馳走はスーパーの閉店直前に、奇跡的に残っていた半額シールが貼られていたかつ丼。
野犬事件の直前に璃乃の家で食べたバーベキューは今年食べた中で1、2を争うレベルの贅沢だった。
「いえいえ、違いますよ」
悲しい食生活を思い出し、左手を振る恭平に気が付くのが遅れる。
「もしかして5万!?それは厳しいぞ!」
恭平はお返しとばかりに笑みを見せた。
「500万です」
「嘘だろー!?」




