42話 最後の呪い
「瑞穂!」
璃乃の声で瑞穂は思考の世界から戻される。
彼女のもとへ向かうと、信じられない光景が目に飛び込む。
蜘蛛の巣状にひび割れた壁に埋め込まれていた奴がいないのだ。
ガレインの姿が消えていた。
「明日香!もう数分で救急車が来る。それまで頼む!」
明日香に恭平を託し、アイアンを構える璃乃の滴る血と滲む汗を横目にした。
「何があった!?」
「分からない。急に身体の半分が見えなくなって。その後、もう半分が粒子みたいに消えちゃった」
「ホムンクルスは命を終えた時、媒体によるがそれは粒子状になり自然消滅をすることが基本だ」
「じゃあ死んじゃったってこと?」
「多分。だが、半分が見なくなったって言うのはおかしい。それにガレインは気を失ってはいたが致命傷は受けていなかったはずだ」
ホムンクルスは通常、等量で崩れる。半身だけ先に崩れるのは不自然な崩壊だ。
どのようなモノにも例外はある。
しかし、ガレインの消滅に関しては、説明がついてしまう。
瑞穂も刀を構え、辺りを見渡す。
「ガレインの媒体はアクイラスの血と野犬と言っていた」
璃乃は目を見開き、辺りを見渡す。
「それってまさか!?」
「ガレインは命を野犬に喰わせたと考えるのが自然だ」
そう、先に消えた半身は消滅したのではない。
野犬と化し、インビジブルによって不可視になったのだ。
そして、もう半身を魔力として喰わせた。
それは瑞穂と璃乃にとって最悪の結果だった。
錬金術師のアクイラス、ホムンクルスのガレインは二人から目視できていたが、野犬に関しては攻略法を見いだせないままであった。
恭平はもう一度攻撃を受ければ即死は確実。明日香は戦えない。瑞穂と璃乃は満身創痍。
絶体絶命のピンチとはまさにこのことだった。
「グヌォオ!!」
奇怪な大声が2階の廊下に響き渡る。
「何!?」
二人は武器を再度構え直し、攻撃に備える。
しかし、攻撃が起きない。
一瞬、血の糸が瑞穂の後ろへ通り過ぎたように感じた。
そして、血生臭い風が頬を触れる。
その風は急激に発達し、二人を襲う。
「しまっ——」
猛風と化した血生臭い風は、大理石の破片を放ち、琴宮邸のあらゆる壁を破壊する。
瑞穂と璃乃は足を掬いあげられ、体の自由を奪われる。
手に持っていた刀は後方へ吹き飛ばされ、無防備な状態にされる。
「きゃ!」
「クソ!」
瓦礫やヒビの入った床に指を掛けるも、体は浮き上がり、再び中庭まで吹き飛ばされてしまった。
「璃乃ちゃん!瑞穂君!」
体が360度回転させられる中、瓦礫のぶつかり合う音の合間に明日香の声が聞こえた。
外気を感じ、目を細めると、月明かりが綺麗な夜空だった。
体の自由が効くようになり、身を捻る。
眼下には血で染まった草原が迫る。
瑞穂は後方へ転がりながら着地をし、衝撃を緩和させた。
腹部を中心に鈍痛が駆け巡り、歯を食いしばる。
足元に転がっていた愛刀を握った時。
彼の隣でドサッと鈍い音が横で鳴った。
「璃乃!!」
隣で倒れている相棒は体を打ちつけ「ッ……!」と、くぐもった悲鳴を短く上げる。
声にならない絶叫を喉から捻り出し、伸ばそうとした腕をたたみ、シャツを握り締める。
瑞穂は苦悶の表情を浮かべる璃乃の手を取り、頬に触れた。
吸い寄せられるような綺麗な肌に悲しみを物語る血の跡。
彼はそれを全て消し去りたかった。
「瑞穂……」
「大丈夫だ。俺がそばにいる」
璃乃は動くこともままならない状態だ。
そんな彼女に向かう、赤い糸のような軌道が目を過る。
彼女を襲う気がした。
瑞穂は刀を構え、璃乃の前に立ち塞がる。
その時、小さな影が目の前に飛び込んできた。
「シャー!!」
それは白い毛並みの璃乃の愛猫・ヒナだった。
「ヒナ!?なんで!?」
ヒナは何かを感じ取っているようで、野犬がいるであろう方向へその白い毛を逆立て威嚇をする。
瑞穂は飼い主に似て無謀な行動を取る猫に手を伸ばした。
「ヒナ!逃げて!」
璃乃の声は聞こえているのだろう。理解しているのであろう。
しかし、ヒナは瑞穂の手をすり抜けて敵へ飛び掛かった。
「逃げろバカ猫!!」
璃乃と瑞穂の目の前で血が噴き出す。
小さな体には到底収まりきらないであろう血が弾け飛び、宙へ捨てられる。
地面へ落ちそうなったヒナを璃乃が抱き留める。
「イヤーー!!」
璃乃は座り込み、小さな体を持ち上げ、強く優しく抱きしめる。
彼女は蹲り、溢れる涙と血を流していた。
——このままだとこの野犬に全員が殺される。
野犬はアクイラスかガレインの魔力を核として形を保っていると仮定する。
恐らくあと数分で、消え去るだろう。
だが、その数分が持たないのはこちらも同じ。
これは瑞穂と璃乃を道連れにするためにガレインが仕掛けた最後の錬金術。
五感を研ぎ澄まし、感じ取ろうと試みるも何にも分からない。
瞬間——
瑞穂の右足首に激痛が走り、血が溢れ出す。
「あああぁー!!」
声を出し痛みを耐え、刀を地面に振り下ろすも切れるのは草だけ。
全身から流れ出す血は、もう命の灯を消す為だけに流れているように思えた。
それでもいいと腹を括る瑞穂だが、後ろにいる少女——
璃乃だけは守りたい。
その想いが動けないはずの瑞穂を一歩前へ、彼女を命に代えても守るために倒れない。
「……ハァ……ハァ……俺はここにいる!襲いたかったら……俺を襲え!!」
瑞穂は盾となりただ野犬に自身の肉を噛みちぎらせた。
彼は自分の血が花火のように弾け、地へ落ちていくのを何度も見届けた。




