41話 NO.0 琴宮麻衣子
◇ ✪ ◇(瑞穂視点)
蜘蛛の巣のようにひび割れた壁に、ガレインの体は埋め込まれていた。
その体は萎んだ風船のように、ひゅうと音を立てて朽ちている。
「……ハァ、やったの?」
「やった……らしいな」
瑞穂は璃乃が降りた腕に残る血の跡を眺める。
ほんの数十秒抱きかかえただけで、瑞穂の腕にぬるりとした血液が下へ落ちるほどだった。
「璃乃……大丈夫か?」
「何とか大丈夫みたい。恭平さんは?」
璃乃は気が付いていないのだろう。
極寒の地にいるように唇は青白くなり、小刻みに震えていることを。
限界を超えている。璃乃はいつ倒れてもおかしくない。
そんな状態でも、彼女は自分より他者の心配。
お人好しにも度が過ぎる。
「大丈夫だ。なんとか生きてる」
視線の先には、泣きじゃくる明日香を血で染まった手で撫でている恭平がいた。
「良かった。……本当によかった」
全員、満身創痍で死人が出ていないのが奇跡なくらいであった。
「救急車を呼ばないとな。俺もお前も出血死しちまう」
明日香が処置してくれた腹部の包帯は真っ赤に染まっており、瑞穂自身も限界が近いことを悟っていた。
「そうだね。急いで連絡しよ!——あっ」
璃乃がスマホを取り出すと、スマホの画面がバキバキに割れていた。
それを見た瑞穂もスマホを確認するが、木端微塵になっていた。
「明日香ちゃん!救急車に連絡できる?」
少し離れたところで恭平のそばで座り込む明日香は、首を振る。
「パーティー会場に置いてきちゃって」
この状況でこの4人以外にすでに記憶改変が起きているなら、他の人間が救急隊に連絡している可能性は微妙なラインだ。
「……うぅ。瑞穂様。耳に着けているデバイスを……」
恭平の振り絞る声がその右耳に届いた。
「——っ。これは……外部との連絡はできるのか?」
瑞穂は腹部の激痛に苦悶の表情を浮かべながら、恭平と明日香のもとへ向かう。
「いえ、それは……できません。あくまで内部の……人間と連絡をするために——」
恭平の声が止まる。
「恭平!?」
明日香の嘆きの声が響き渡る。
近くで傷口を見ると、複数個所からの大量出血が起きており、命の危機がすぐそこまで迫っているのが分かった。
「琴……明日香!さっきの部屋から包帯を持ってきて少しでも止血させるんだ!恭平を絶対に死なせるな!」
「瑞穂君……わ、分かった!」
明日香は廊下を走り、先ほど瑞穂を処置した部屋へ戻っていく。
瑞穂は制服の一部を破り、片膝を着いて、恭平の右腕を縛る。
「あんたにはまだ聞かなきゃならないことが山ほどあるんだ!まだ諦めるなよ!」
恭平の呼吸の間隔が不規則になる。
「瑞穂!」
璃乃の声が聞こえるが、今はそれどころではない。
明日香が息を切らしながら戻ってくる。
「私がやるから、瑞穂君は救急車を!」
明日香は慣れない手つきで必死に処置を始める。
瑞穂は立ち上がり、右耳のデバイスを触る。
NO.3鳳——と登録番号の若い順から連絡をするも繋がらない。
NO.4、NO.5——NO.9どの番号にも繋がらない。
「ふざけるな!」
焦りのあまり思わず声を荒げる。
「瑞穂!来て!」
璃乃の焦燥感に駆られる声が背中越しに聞こえるが、瑞穂は冷静ではなかった。
「少し待っててくれ!」
右耳に振動が響く。
——誰だ!?
NO.0麻衣子様と表示していた。
————Call Time by麻衣子————
「……もしもし」
『貴方、恭平じゃないわね?誰なの?』
通話先の後ろから悲鳴と怒号が鳴り響いていた。
しかし、電話先の女は冷淡さを際立たせた声で続けた。
『状況を説明しなさい』
——お前が気にするのはそこじゃないだろう!?
瑞穂は喉からせり上がる怒りを何とか押し込み、彼女の口調に合わせる。
「強盗らしき奴にテロを起こされた。お前の娘と、このデバイスの持ち主が襲われた。犯人は俺たちが捕縛した。だから急いで救急車を呼んでくれ」
瑞穂はリスクを承知の上で嘘で麻衣子を試した。
『分かったわ。連絡はする。でも、それには条件がある。貴方が本当のことを言う。それが条件——』
声色一つ変えない。
娘である明日香と、関係が深いであろう恭平が襲われたと聞いても、機械のような冷淡さはマイクを通し鮮明に聞こえた。
「てめぇ……ふざけてるのか?」
この声が相手のどこかに響くと信じていたがそれは無駄だった。
『虚勢しか張れないバカと話すのは時間の無駄ね。早く言いなさい。敵は魔法使いなのか錬金術師なのか』
瑞穂の予想通りだった。麻衣子はその道に通ずる者。
明日香に対しての虐待的な行動や恭平の忠誠心。全てが謎に包まれる。
瑞穂は直感で麻衣子を敵と認識した。
だが、この状況を打破するのが最優先事項だ。今は時間がない。
「敵は七錬神だった。こちらも詳しくは分からないが、今回の事件では神血担当と神身担当が関わっていた」
最低限の情報だけを淡々と伝える。
『……そう。分かったわ。もう数分で救急車がそちらに向かうわ』
急にしおらしい態度に軟化した麻衣子は、切り際に小さな声で確かに言った。
『——明日香をお願いね』
その言葉を聞いた瞬間に通話は切れた。
———— End call————
「瑞穂!」
彼は理解できなかった。麻衣子の言葉の一つ一つが何も繋がらない。主張のブレが強く整合性が取れない。
「琴宮麻衣子——一体何者なんだ」




