40話 天は割れ、地は崩れる
◇ ★ ◇(璃乃視点)
あの影が血に浮かんで見える。
瓦礫の上に、いや。
人の上に乗っている。
何人の人が彼女たちによって苦しめられたのだろうか。
まだ誰も死んでいない。その言葉では拭いきれやしない。
事件の被害に遭って心が壊れてしまった人もいる。
全て見てきた。
廊下には夥しい量の血が流れていた。それは誰の血液なのか判別は出来ない。
「……ハァ……ハァ……つまらない……じじぃね。早く死になさい」
恭平はボロボロになった燕尾服を掴まれ、足を地面から浮かされる。
「……あぁ」
彼は口を開く事すらできないほど衰弱していた。
ガレインの視界に小さな石ころが横切った。
投げつけたのは、璃乃だった。
「……ッハァ……ハァ……来た来た!来たっぁ!一番殺したい奴がのうのう来た!その顔をこの手でぐちゃぐちゃにしてあげる!!」
目を見開き、恭平をゴミのように捨てる。
そんな愚行を、璃乃は全て見てきた。
璃乃の目は血走り、自然と肩が上がる。
右手に持つ銀色のアイアンは鈍く光を放つ。
ガレインは璃乃に引き寄せられるように、向かってくる。
璃乃は口を開かずに、ただ相対し、歩みを進ませる。
ガレインは左手と欠損した右上腕を広げ、挟み込むように彼女を襲う。
「死ねぇ!!」
ゆらりとした璃乃の歩みは、時を切り刻むように瞬間的に動的なものへ豹変する。
ガレインは璃乃の存在を見失う。
「うぐっ!」
アイアンの残光が背中を穿つ。
ガレインは、すかさず踵を返し、朧な彼女を蹴り上げた。
しかし、それも当たらない。
「はっ!」
璃乃は血の海に潜りこむように屈み、一気にガレインの顎にアイアンのヘッドを振り上げる。
空へ吹き飛ぶガレインの口から血が下り落ちる。
両膝を着き、何とか着地をするガレインを璃乃は一瞥し、恭平の方へ走り始めた。
「逃がすか!!」
彼女の怒号が璃乃の背中を襲うも、恐怖心はなかった。
璃乃はガレインをギリギリまで引き寄せ、一気に方向転換をする。
そして、逃げるように扉の奥へ入った。
「瑞穂!」
「あぁ!そっちは任せた!」
外壁を伝い、医療室から移動していた瑞穂と手を合わせ、璃乃は窓から外へ飛び出した。
◇ ✪ ◇(瑞穂視点)
「殺してやる!!」
空へ跳ぶ相棒の背を見送った瑞穂は、抜刀の構えに入り、その汚い音を聞いた瞬間に——
鍔を弾いた。
「——はあぁ!」
斬撃の軌跡がガレインの体を切り裂く。
「ぎゃああああー!!」
ガレインの断末魔が瑞穂の耳に入り込んでくる。
一蹴するようにガレインを廊下へ蹴り飛ばす。
そして瑞穂も血しぶきの雨の中を掻い潜り、廊下へ飛び出した。
「この死にぞこないのガキが!!」
瑞穂は瞬時に廊下の状況を把握する。
彼に対峙するように立ち上がるガレイン・エリス。
ガレインの背中越しに見える、仰向けで倒れピクリとも動かない恭平。
視界の端で天井の大きなヒビを確認し、切先を敵に突きつける。
「“母様“の悪癖まで引き継いでるようだな。その傲慢さでお前は負けるんだよ」
ガレインが錬金術を使わない理由は一つしかない。
その黒いローブに身を包む愚者は、肩で呼吸をしているようだ。
そして、その体から上り詰める、蒸気のような揺らぎ。
瑞穂は刀を正中線に構え直し、相対する者の眉間に刃を向ける。
「もう、立っているのも限界なんだろう?なぁガレインさんよ」
「貴様っ!!この七錬神の神身担当に向かって!!」
「はっ、天下の七錬神も地に落ちたな。お前のようなザコを置くなんて。いや、人手不足なのか?」
鼻を鳴らす瑞穂の露骨な挑発に、ガレインは眉を吊り上げ、浮き上がる血管を破らんとばかりの剣幕を浮かべる。
「こ、殺すっ!!!今すぐに殺して、またすぐに殺して、ぶっ殺してやる!!!」
「バカが、俺がホムンクルス程度に負けるわけがないだろ。このクソジャンクが」
彼の役割は恭平がガレインの背いる状態を保ちつつ、所定の場所で璃乃が作戦を遂行するまでの時間稼ぎをすることだ。
ガレインの注意を瑞穂に集中させるために、特技の減らず口をかましまくる。
「キ〇%$△ァァァ!!」
限界まで開かれた口から発さられる、正真正銘の発狂声。
ガレインの振り上げた左手から衝撃波が発生し、ひび割れた大理石の弾丸を引き連れ瑞穂を襲う。
今の瑞穂の最大の弱点は、ガレインに撃ち抜かれた腹部だ。
片膝を着き、低い姿勢をとって腹部を隠す。
両腕を交差させ、頭部を守る。
それでも、吹き荒れる衝撃波が体ごと彼方へ飛ばそうとする。
「頼むぞ相棒!」
吹き付ける無数の大理石が、彼の頭にぶつかり、流血を伴う。
「□%$△ァァッ!!命の喜びを感じて!?アーハッハハー!」
それでも瑞穂は相棒を信じ続けて、その時を待った。
◇ ★ ◇(璃乃視点)
璃乃は瑞穂と合わせた手の微かな温もりを感じつつ、部屋の奥の窓から身を投げた。
窓枠に手を引っ掛け、逆上がりのように反動をつけて体を宙へ投げ捨てた。
遠心力を利用し、無理やり体を3階の窓ガラスへ向かせる。
そして、アイアンで窓ガラスを叩き割り、縁に掴まった。
窓ガラスの破片で手を切れ、血が流れる。
だが、めり込むガラス片に臆することなく、3階へ飛び乗った。
「瑞穂が耐えてくれてる間に……お願い!」
3階の廊下に出て、自分の作戦で一番の懸念点を確認する。
それは、崩れかけている、足元だった。
ヒビの隙間から、下階の瑞穂とガレインの姿を覗く。
「私がやるんだ!」
アイアンのグリップ部分をヒビに噛ませ、てこの原理で一気に抉る。
右脇腹から焼けるような痛みが、込み上げてくる。
「硬い……でも!」
それでも、押し切る。
「絶対に負けない!!」
軋むアイアンを限界までしならせ、渾身の力を加える。
ミシミシ……と床が悲鳴を上げ、次の瞬間。
大理石の床が連鎖するブロックのように崩れ始めた。
「今だ!」
大理石の床を蹴り上げ、壁面へ向けて前宙をした。
そのまま回転の勢いで、壁に取り付けられたブラケットライトに右足を叩きつける。
反動を利用し、天井へ跳ね上がった。
眼前に迫る天井へ体を捻り、バンッと足裏を踏みつける。
眼下に天井を見据え、頭上には崩れ始めた床と——
一筋の光の先にいるガレイン・エリス。
天地が逆転する世界で、璃乃は流れ落ちる血を辿った。
「何!?」
ガレインの頭上の天井が一気に崩れ、大理石の雨が降り注ぐ。
その雨音に隠れながら、一滴の血が彼女の肩に当たった。
刹那——
白銀の一陣はすり抜けことなく残彩を輝かせ、その者の砕く必定の一振りとなる。
「はぁああああー!!」
——バキバキッバキ!
ガレインの肩が砕ける音がアイアンから璃乃へ伝わる。
そして、壁に向かって彼女の全てを吹き飛ばした。
振り切った腕の先には、蜘蛛の巣状の大きなヒビが入った壁。
ガレインの上半身はそのヒビの中心にめり込み、力なくその場に沈んだ。
着地など一切考えないで放った攻撃。
その反動により投げ出された九条璃乃の体は、滑り込んだ暁瑞穂の両腕の中に納まった。
「あっぶねー!」
「ナイスキャッチ!流石、私の相棒だね!」




