33話 琴宮明日香を——
——琴宮邸 パーティー会場——
◇ ✪ ◇(瑞穂視点)
全長10m以上の木で出来た扉を開けると、大理石で敷き詰められた床が淡いクリーム色に光る。大小20を超える円卓が均等に並ぶ。
ひとつひとつに統一された銀縁の食器、クリスタルのグラスが置かれている。
天井中央のアンティークシャンデリアは淡い光を落とし、壁際や柱のあちらこちらに据えられたブラケットライトが、会場を柔らかな暖色に染めている。
暁瑞穂は会場の雑踏を横目に入り口付近で会場全体を見渡していた。
「流石としか言えないな。俺は家具とかアンティークとかには相当疎い自信があるが——」
豪華絢爛な会場内に学生服を着ているのは数人しかおらずその内の2人が璃乃と瑞穂だった。
政治家や有名な起業家、アーティストなど錚々たる面子が揃っている。
異変がないかを確認するも視線がスムーズに移動しない。
「お褒めにあずかり光栄です。これらは麻衣子様の大切なコレクションでして……」
瑞穂の隣で鋭い眼差しで会場の端々に視線を配る恭平。
見えない何かを警戒するかのように、眼光が研がれている。
彼は目頭を押さえた後、優しく微笑む。
片手には古めかしいトランシーバーを握りしめ、右耳にはインカムらしきものを着用している。
その表情は崩してもなお、緊張感を瑞穂に与える。
「そろそろ教えてくれ。あんたが琴宮の身に危険が迫っていると確信し、俺や璃乃に助けを求めた本当の理由を」
瑞穂は変わらず会場全体を見渡せるように視線を滑らせる。
そこには以前、寄ったことのある花守生花店の親子、早苗と優花がドレスに身を包んでいる明日香と何か談笑をしているのが見えた。
「先ほどお伝えした通りです。昨日のお昼前に明日香様のお部屋の窓ガラスが何者かに割られました。明日香様のお部屋は中庭に面しているので——」
恭平は二人に頭を下げた時と同じ説明をしていた。
その瞳を覗き見ると本質を隠しているように濁っている。
「違う、俺が——」
「中庭に入るまでのセキュリティーはどうなってたんですか?」
瑞穂の言葉を遮るように璃乃がパーティー会場のドアから現れる。
話の腰を折られる形になったが、彼女のおかげで自分の体が前のめりになっていることに気が付き、恭平から顔を背けた。
「遅かったな。まぁこの広さだし仕方ないか。腹の傷は大丈夫だったか?」
璃乃は恭平の計らいでシャワーを浴びていたのだ。
そのため彼女の頭からは微かに湯気が立ち込めている。
「普段は2階の浴室しか行かないから、シャワーの帰り迷っちゃった」
照れ笑いを見せている璃乃は両手で右腹部を隠すようにしている。
「傷も結構よくなってるよ!」
瑞穂の知る九条璃乃はとんでもないくらいに嘘が下手であり苦手だ。
しかし、彼女が嘘をつく時は相手を心配させないためであることも分かっている。
「そうか……」
その嘘を受け取った瑞穂は恭平の横顔を覗き込み出方を伺う。
「だれかバスルームの前に待たせて置いた方が良かったですね。配慮が足りませんでした」
深々と頭を下げた恭平の背筋は一切曲がっておらず、彼の執事としての意識の高さが垣間見えられた。
「セキュリティーに関してですね。璃乃ちゃんは知っていると思いますが、琴宮邸には正門と裏門がございます。来賓の方や麻衣子様、明日香様に関しては正門からの出入りがメインとなっております。裏門は私たち執事や家政婦が出入りする門となっております」
瑞穂は琴宮邸に通される時を思い出し、ふと疑問が浮かんだ。
「正門はあのとんでもない大きさの鉄の門だよな。だったら俺たちが今日入ったのは——」
「はい、裏門です。正門のカギを持っているのは麻衣子様と明日香様なので、私どもが外から琴宮邸に入るときは裏門からしか入れないことになっております」
恭平の話から、正門は麻衣子、明日香の二名のみしか入れない。訪問者はインターホンをから警備をパスする必要がある。
「柵を超えて侵入したって可能性はありませんか?」
次に出てくるであろう疑問を璃乃は口にする。
「そうですね。しかし、正門側正面と裏門側合わせて50台の監視カメラが導入されていますし、ドローンを使用し、全体を撮影しております。これを搔い潜るのは“普通の人間では無理“だと思います」
“普通の人間では無理“この言葉が瑞穂の違和感の原因である。
「ドローンも使っているなんて知らなかったです!」
璃乃は目を輝かせながら声を上げる。
すると恭平は、穏やかな笑みを浮かべながら、人差し指を口元に当てて「シー」と促した。
彼女は慌てた様子で手で口を塞ぎ「ごめんなさい……」と恭平に頭を下げる。
璃乃はこの違和感に気が付いていないようだ。
なぜ瑞穂と璃乃なのか。警察に連絡をしている様子も見られない。
——こいつ、気が付いているのか?
腹の探り合いにあると、璃乃は邪魔になる。
しかし、恭平の考えが分からない以上、下手なことは言えない。
瑞穂の額にうっすらと汗が滲み始める。
その時、快活とした声が彼の耳に届く。
「璃乃ちゃん!」
視線を少し落とすと声の持ち主である少女——花守優花が璃乃に飛びつこうと走り寄ってきていた。
「優花ちゃん!?」
呆気に取られながらも優花を抱きしめる璃乃は優しく微笑む。
「……ハァ……こら、優花。璃乃ちゃんに迷惑でしょ」
“花守生花“と書いているエプロンを着け、小走りで優花を追いかける早苗が息を切らしながら璃乃に軽く頭を下げる。
願ってもいないチャンスが瑞穂に舞い込む。
「せっかくだから少し話してこいよ」
「でも……」
「仲良いんだろ?少し肩の力抜くためにも、なっ?」
瑞穂と恭平を何度も往復して見ている璃乃の背中を押す。
「瑞穂くんありがとう!璃乃ちゃんあっちにね——」
「う、うん」
困惑しながら優花に手を引かれて会場の奥へ向かう璃乃。
「すみません。瑞穂くんも今度遊びに来てね」
一礼をした早苗も優花を追うように瑞穂の前からいなくなった。
一通りを見ていた恭平は笑みを零し、ひっそりと言葉を落とした。
「人払いは済みましたね」
瑞穂はその濁った瞳を睨みつける。
「——この事件は錬金術師が絡んでいますね?」
パーティー会場の煌びやかさはくすみ始める。
「あんたは一体何者なんだ?」
瑞穂の予想は当たっていた。恭平はこの事件の全容を把握しており、あえて二人に頭を下げた。
「食えないな。あのお辞儀も仕事ってことか」
冷たく吐き捨ているように語気を強くさせる。
しかし、恭平は微動だにしない。
「さっきの質問に答えてもらうか。“琴宮の身に危険が迫っていると確信し、俺や璃乃に助けを求めた本当の理由を“」
——ゴォーン
会場内に鐘の音が響き渡り、照明が暗くなる。
響き渡る鐘の音が、まるで会場中の息を一瞬で止めてしまったかのようだった。
時刻は18時。それはパーティーが始める合図だった。
会場のメインドアは閉められ、執事らしき体格のいい男性二名が、前に立ち塞がっている。
壇上の両下手にある小さめのドアも締められ、同様に執事らしき人が前に立っている。
「皆様こんばんは。今夜は琴宮家のご令嬢であられます明日香様の——」
小太りの中年男性が壇上の端に上がり司会進行をし始めた。
男性の声がマイクを通し、会場に響き渡る中、恭平は小さくため息を着いていた。
「テレビのニュースから薄々は気が付いておりました。しかし確信に変わったのは一昨日、璃乃ちゃんがここへ来た時です」
一昨日、それは——
アクイラスを廃工場から逃がしてしまい瑞穂が倒れた日。
その後のことは璃乃から何となく聞いてはいたが瑞穂が全てを知っている訳ではない。
そして、2時の方角の標的になっていたのが琴宮邸。あの時間帯なら瑞穂でも琴宮邸へ向かっていた。
「あの血で染まっていた手を見て、全てが一致しました。璃乃ちゃんはこの事件を解決させるために戦っているのだと」
恭平はトランシーバーを強く握りしめており、その力で肩まで伝わっていた。
「瑞穂様。璃乃ちゃんはあの時涙を流しながら、自分を叩いていました。彼女は誰よりも優しく、人を思いやる心を持っている素敵な子なのに、自分を大切にしない。この老人からはそれが見るに堪えなかった」
恭平は顔を上げ、明かりの弱くなったシャンデリアを見つめる。
「何が言いたい?俺はあんたが敵か、味方か聞いているのが分からないのか?」
彼が嘘を言っているとは到底思えない瑞穂だったが、感情に隠されて話が見えてこないことに苛立ちを隠せずに言葉が強くなる。
「瑞穂様。私は貴方の味方です。いえ、正確に言えば味方になりたい」
「どういうことだ」
「大変無礼な行いをお許し下さい」
唐突に瑞穂の方へ体を向け、深々と頭を下げる恭平。
「あんたはさっきから何が言いたい。目的はなんだ」
一向に頭を上げない恭平に瑞穂は睨み激怒しかけるが、微かに見える涙がブラケットライトの明かりを映した。
「私の命を懸けてのお願いです——」
瑞穂の呼吸が一瞬止まる。
「——明日香様を魔法使いしてください!」




