25-1 イベントの成功
彼に対し煮え切らない返答をした直後、体がふわりと持ち上げられ、横抱きにされたまま風を感じるほど早いスピードで進んでいく。
ちょっ、ちょっとおぉおー。
急にどうしたというのだ……。
私ってば、何かのスイッチを入れてしまったのか……?
困惑の中、周囲を見ると、傅く臣下たちの姿もある。
げっ……。これはまずい。
まるで私にも頭を下げているみたいじゃない!
人前で令嬢を抱き上げるなんて、王族がやって良いこととは思えず焦っているのに、他人の視線など全く気にするそぶりのない彼は、いつになく真剣な表情でまっすぐ前を見据えていた。
目の前に迫る凛々しいギルバート殿下の横顔にドキッとすると同時に、羞恥心が一気に押し寄せてくる。
投獄されていた私は汚れているに違いない。
汗だってそのままだし、いかにも高級そうに見える彼の軍服を汚し兼ねない。
彼に抱きしめられて嬉しいのだが、下ろしてくれという思いが勝り、恐縮ながらに伝えた。
「あ、あのう……私なんかを抱いていたら、殿下のお召し物を汚してしまいますわ」
「服が汚れるなんてちっぽけなことを、私が気にすると思うか? それに今のアンドレアは汚れているうちに入らないだろう」
まぁ確かにこれまで戦地に赴いていた彼の感覚では、1日くらいお風呂に入っていないことなんて平気なのだろう。
だが、年頃の乙女としては気にする!
大問題だ。
だから彼の意見を否定しようかと思ったが、それでは彼自身も侮辱する気がして、「左様ですか……」と返しておいた。
「ところで、どちらに向かっているのですか?」
「それは着いてから説明する」
そう言った彼は、優しく目じりを下げた。
王城内の長い廊下を進み、いくつか角を曲がったあとからは、どこを歩いているのか見当もつかなくなった。
状況についていけないまま到着した先は、さわやかな風が髪を揺らし、心地よい空気が広がる屋上である。
周囲にさえぎるものが何一つないこの空間は、王城からの景色を360度見渡せる場所だ。
「綺麗──」
「だろう。ここに来ると気分がすっきりするんだ」
リラックスした様子の彼がそう発すると、ゆっくりと床に足を下ろしてくれた。
「うわぁ~、最高だわぁ~~」
もっと気の利いた言葉を言いたかったが、目に飛び込んでくる素晴らしい眺めに心奪われ、語彙力を失った。
童心に返ったようにはしゃぐ私は、ぐるぐると動き回り、しばし経ってからふと我に返った。
「ごめんなさい。私ってば1人で勝手に楽しんでいました」
恐縮して伝えたが、彼はきらきらと輝く笑みを返してくる。
「この景色をアンドレアが気に入ってくれて嬉しいよ」
優しく吹いた風で、彼のシルバーの髪がなびき、神々しさが増している
吸い込まれてしまいそうな美しい瞳から目を離せずにいると、彼の温かい手が私の顎に触れ、親指が私の口唇にそっと触れた。
このままキスしてくれたら嬉しいのにと思った瞬間。
ぐぅぅぅーーーーっ‼
と、獣がうなり声を上げるような、低くて大きな音が2人の間に響く。
きゃぁぁああー!
と内心大きな悲鳴を上げる私は狼狽してしまう。
よりによってこんなタイミングで私のお腹が鳴るなんて、間が悪い。
「私としたことが、焦りすぎて気が利かなかったな。先に食堂へ連れて行くべきだった。すまないが、これで許して欲しい」
そう言ったギルバート殿下が上着から見覚えのあるラムネを取り出したあとに、似つかわしくない音を出す。
「あ~~ん」
やけにかわいい声だ。
あ~んというのは、私の知っている限りでは、口を開けろという合図なのだが、まさかそんなはずはないだろう。毒だったはず。
そう思っていると、嬉しそうに私を見つめる彼が再び、甘えた声を出す。
「あ~~ん」
これはもしかして、毒ではなく本当にイベントの成功報酬ではなかろうか?
前世のゲームでは、普段見せない姿を見せてくるご褒美特典のお菓子……。
まさか映像ではなく本物が目の前で実演するのか……?
もうこれは、違っていたらそれまでだと考えた末、遠慮がちに口を開く。
そうすると、パステルイエローのラムネのようなものを彼がゆっくりと口に運んできた。
優しく口に入ってきたそれは、甘くてほんの少しだけ酸味のあるレモンの味だ。
ほろほろと崩れ、ゆっくりと溶けていく。
「おいしい……です」
「アンドレアが幸せそうな顔をしていたから、そうなんだろうなってわかったよ」
「甘いものを食べると自然と顔が緩んじゃって、恥ずかしいです」
「眠れない夜を過ごしたのは、初めてなんだ。そんな私にも褒美が欲しいのだが、甘そうなアンドレアの唇を奪ってもいいだろうか?」
ド直球すぎる申し出に、顔全体が真っ赤になっているのではないかと思うほど、熱くなった。
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