白澤推しの方です?
「ばつ?」
私は両手の人差し指を重ねて『×』印を作る。
「それではない。おお、そうだ。白澤図を出して魃と念じてみよ」
私は「白澤図」と唱えて、手の中に白澤図を出す。そして、言われたとおり『魃』と念じてみる。すると、ページがひとりでパラパラとめくれ、『魃』と書かれているところでとまった。
文字は薄墨で書かれていたが、読めないことはない。
「んん……? えっと、『ひでりがみ。その身に大量の熱を蓄え、周囲に振りまく』。ひ、ひでりがみ……あっ、日照り神ね!」
魃とは神様のひとりだったらしい。
「そう、神じゃ。人間にとっては、恐るるべき神なのだろうな。干ばつなど、魃が原因のことが多いからな。しかし……てっきりワシは、人の世の夏はこういったものだと思ったのだが……」
すると、卓に転がっていた月兎がぴょこんと耳を立たせたかと思うと。
「バツ……ダメ」
と言うやいなや、跳躍してあっという間に姿を消してしまった。
「え、何なに!? ちょっと、月兎!? 何がダメなの、ちょっと! 怖いんだけど! ねえ!?」
まさに脱兎。いや、どういうこと!? そんなに魃って神様、怖いの!?
「白ちゃん……!?」と縋るように見たら、白ちゃんははぁと嘆息して、どこに言うでもなく声を張り上げた。
「魃! いるのだろう、出ておいで」
私も菜明も冬長官も、息を殺して部屋の中を見渡す。しかし、シーンとしていて反応はない。
「魃!」
もう一度、白ちゃんが叫んだ。
すると、部屋の一番隅にある柱の陰から、すうっと女の人が顔を出した。
白ちゃん以外全員がビクッと肩を揺らした。いつからそこに……!
真っ白な髪は、薄暗い部屋の隅では一等目立っていた。顔貌は、さすが神なだけあって美しい。すうっと斜め上に伸びた眉と目尻と、肩口で揺れているまっすぐに切り揃えられた髪もあいまって、全身から強い女感が滲み出ている。
キュッと引き結ばれた口は口角が下がっており、実に不機嫌そうだ。『何かやっちゃった!?』と、私はつい身体を仰け反らせる。冬長官すらも、気圧されて僅かに身体を引いていた。
(もしかして、知らないうちに失礼なことして、魃様の怒りを買ったとか!?)
だから、ここの宮だけこんなにも暑くされていたとか。
しかし次の瞬間、彼女の堅固そうに結ばれていた口が、情けない形で開いた。
「は、はわわぁ、あわぁ……は、白澤様……本当に白澤様じゃあ……っ」
おっと……?
こちらを見つめる――というか、白ちゃんだね。白ちゃんを見つめる彼女の目は、先ほどまでキリッと吊り上がっていたのに、今は見間違いかと思うほどに垂れ下がっている。さては、白ちゃん推しだな?
「いつもの凜々しいお姿ではなく確信がもてなんだが、妾を臆せず呼びつけるその尊大さ……まごうことなく白澤様じゃあ……っ」
尊大って、そんなキラキラした眼差しで使う言葉だったっけ? 白ちゃん、ちょっと嬉しそうにしてるけど、多分褒め言葉じゃないけど大丈夫?
「白澤様が下界へと降りられたと聞き申して、妾もと思いやって来たのじゃが……」
すると、魃様の垂れ下がった眉宇がさらに垂れ下がり、目もキラキラではなくうるうるしはじめる。あら?
「やはり……っ、やはり、妾の存在は迷惑なのじゃなぁっ!」
いきなり彼女は、両手で目元を押さえておいおいと泣き出してしまった。ズルズルと両足を外側に曲げてへたり込む姿は、まるで幼い女の子が泣いているようだ。本当に「わぁぁぁんっ!」って泣く人はじめて見たよ。ちょっと可愛い。
白ちゃんと目が合えば、白ちゃんはその目を半分にして軽く首を揺らした。その様子は、『困った』というよりも『またか』という色が強い。
白ちゃんは椅子を降りて、トコトコと魃様の元へと歩いて行く。
「落ち着け、魃よ。誰も迷惑などと言っておらぬではないか。ほら、どうした? なぜワシを訪ねて来たんじゃ。そう泣いていてはわからぬではないか。聞いてやるから理由を話せ」
声だけ聞けば、まるで孫娘をなだめるおじいちゃんのようだ。
視覚的には、牛と美女という、あり得ない組み合わせなのだが。しかも牛のほうが、美女の膝をトントンと叩きながらなだめている。
「現実の光景とは思えんな」
「神様の世界はなんでもありなのですね」
冬長官と菜明も似たようなことを思ったのだろう。おののいたようにボソリと呟いていた。
「妾、妾っ、白澤様に会いに行ったらのじゃ。そうしたら天上にはおられず、地上へと降りたというではないか。白澤様が、あのようなことがあった地上に向かわれるなど珍しきこと。しかも全然お戻りにならぬし、なんぞあったのかと心配で……っ」
この国の歴史を知った私には、彼女の言う『あのようなこと』がなんなのか、もう理解できてしまう。冬長官と菜明が目を伏せ、僅かに顔を逸らした。
はるほど。つまり彼女――魃様は、白ちゃんが全然天上世界に戻らないから、また人間に捕まっているのではないか心配になって、様子を見に来たということか。
「あの、魃様。ここには白ちゃんを困らせるような人はいないので、安心して――」
「できるわけがなかろう!」
「うわっ!?」
ください、という私の言葉は、彼女の張り上げた怒声によってかき消され、代わりに突風のような熱波が襲ってきた。




