ばつ?
「とりあえず梅ジュース」
とりあえず生みたいに言うな。
よっぽど喉が渇いていたのか。冬長官は、菜明が出した梅ジュースをひと息に飲み干した後、ぷはぁと盛大な息をこぼした。
「ああ、身体に染み渡る。この梅ジュースは最高だな」
「えへへ、嬉しいです」
自分が褒められてたわけではないが、自分が作ったものを褒められると、やはり嬉しいものなのだ。
「ところで、何か美味そうな匂いがするな」
冬長官の形の良い鼻先が、ヒクヒクと辺りをチェックする。
「今さっき、皆でお昼ご飯を食べたんですよ」
「いや、昼食の匂いではない」
「え?」
「尚食局の料理は、こんなに美味そうな匂いはしない」
「相変わらず失礼ですねえ」
褒められているのだろうが反応に困るって。確かに、出される料理は決して美味しいとは言えないけど。運ばれてくる頃には冷めてるし、匂いなんかあったものじゃない。
ちなみに、尚食局というのは、後宮の料理全般に関する局で、女官の人達がその仕事についている。
後宮は、冬長官を筆頭においた内侍省という後宮運営を管理する部省があるが、後宮運営の実務的なものは、すべて後宮内の女の人達がになっている。他にも服飾担当の局や、祭祀担当の局などがある。こういった専用の役割が与えられているのが女官だ。菜明の以前の立場だった宮女よりも、ワンランク上の人達だという。宮女は、女官のような特定の役職につくのではなく、洗濯や掃除など日常的な雑務を行う人達である。
だから、宮女の菜明が女官の中でも上位にあたる侍女になったのは、一足飛びの大出世なのだとか。
(ふふんっ! 皆菜明をとことん羨むがいい!)
身内が羨望の眼差しを向けられると、「うちの子すごいでしょっ!」と鼻高々な気分だ。いや、まあ主人は私だし、私がそんな凄いわけでもないけどさ……。一応、待遇は四夫人レベルってことだしね! とりあえず、大出世すごい! 菜明すごい!
「菜明すごい」
「えっ!? い、いきなりなんですか、冬花様。確かに私もお手伝いしましたが、すべては冬花様の素晴らしい料理の腕前があったからじゃないですか」
うっかりポロってしまった主人バカな思考を、会話の途中だったからか、菜明は昼食の話ととったようだ。ここでも褒められたのにドヤることなく、主人を立てる菜明、本当良い子。(私より年上だけど)
「ん、料理の腕前だと。もしや、何か作ったのか?」
「ええ。昼食を作り直しというか、ちょっと手を加えたんです」
「いやぁ、あれは美味かった。なんだったかの? えーと、サクサク紅白みるふいーゆふらい? とピリッと酸辣湯だったかな。あと焼いた里芋に梅の甘いタレを掛けたやつでのう……熱々のみるふいーゆをひと口頬張ると、ふっくらした魚の甘みと、とろりとした梅干しの酸味が口の中で絡んで、そこへまたカラッとした衣が――」
お腹をポンポンと叩きながら、料理の詳細についてレビューする白ちゃん。真顔で聞いていた冬長官の喉から、ゴクリと生唾を飲む音が聞こえた。
「冬花殿……それは残っては……」
「ないですね。運ばれてきた材料で作ったので、残っておりません」
冬長官が膝から崩れ落ちた。
「クソッ、こんなに口惜しいのは久しぶりだ……っ」
卓の天板にしがみつくようにして、身体を震わせる姿は本当に悔しそうだ。そこまで悔しがる?
「まあまあ、冬長官。梅ジュースでも飲んで落ち着いてくださいませ」
冬長官は悔しさを紛らわすように、菜明が注いだ梅ジュースを即座に空にしていた。その様子を見つめる菜明が、どことなく余裕があるように見えたのは気のせいだろうか。
「それで、こんなに暑いのはこの宮だけなんですか?」
梅ジュースを更に追加で二杯空にして、ようやく冬長官はのそのそと椅子に座った。どうやら、少しは腹が満たされて落ち着いたようだ。
「むしろなぜ気付かなかったんだ。外の倍は暑いぞ。しかも、こんな喉が渇くような暑さ……よく普通に過ごせていたな」
「普通ではなかったですけどね」
兎が天井から落ちてきてたし。
「にしても、全然気付かなかったです」
きっと、菜明がまだ宮女だったのなら気付いただろう。しかし、今彼女は侍女となり、白瑞宮の中に住んでいる。私はもちろん、滅多にここから出ることはないし、白ちゃん達も同じく。食事や洗濯は運んで来てもらえるし、上げ膳据え膳の楽園生活があだとなってしまった。
「でも、この暑さが白瑞宮だけなら良かったです」
「良かった? なぜだ?」
「だって他の宮の人達って、基本的に出されたものしか食べないでしょう? この暑さだし冷めた料理だしで食欲もないだろうし、倒れちゃわないかなって心配だったんですよ」
「お前……」と、冬長官になぜかため息を吐かれた。
私は首を傾げたが、菜明は「こういう方なんですよ」と笑っていた。
「はぁ……この宮だけ暑いってことはわかったけど、それってどう考えてもおかしいよね」
やはり神様のいる宮だから、変な力でも働いているのか……とか思っていたら。
「魃じゃな」
白ちゃんが、のっそりと身体を起こしながら言った。




