内緒の頼みごと
『冬花殿、陛下はこの祭宴で、白瑞の巫女が我が国に現れたと公にされるつもりだ』
『既に皆が知っているんじゃないんですか?』
『後宮に属する者はそうだが、表では俺や陛下と直接の関わりがある者くらいだ。この機に、王宮全体ひいては国中まで冬花殿の存在を広められたいとお考えになっている』
『私は別に構いませんけど……』
私の正体が広まったらまずい、なんてことはないし。
『この国の歴史は習ったか』
いきなり冬長官の顔がしかめっ面になる。
楚雄君の授業のことを言っているのかな。私はうんと頷いた。
『この国は神に見放されて長い。待てども待てども戻ってこない神に曲がった怒りや、原因を作ってしまった皇家に反感を抱きはじめている者もいる。だから、神が使者を遣わしたことは、この国の憂いを払う希望になるんだ』
『つまり、単なる噂や人伝いに聞くよりも、姿を見せて、本当に白瑞の巫女は存在してるって信じ込ませろってことですか』
『まあ、そうだな。その……使うようで悪いが……』
あら、珍しい。
俯いた彼の顔は苦々しく、こんなに殊勝な態度をとるとは驚いた。今回に限っては、本気で悪いと思ってそうだ。いつもは、微塵も思ってなさそうなのに。
『気にしないでください。姿を見せるだけで役に立てるんなら簡単なものですから。お世話になってる分、そのくらい協力しますよ』
あげられた顔は、鳩が豆鉄砲の顔をしていた。
そんなに驚くことかな。
冬長官はいつもより気持ちなだらかな眉を、片方だけあげて『素直で助かるよ』と呟いた。
『それと、これは白澤様がお許しなればなのだが――』
見世物効果はちゃんと発揮できていると思うけど、何百人の視線という圧は、やはり緊張せざるを得ない。
もう姿も見せたし今すぐこの場を離れたいが、料理を食べた時の反応が見たいから、離れるに離れられない。もどかしい。
(一応、冬長官には料理を出して良いって許可はもらったんだけど……さすがに陛下までは伝わってないよね。巫女だろうと、見ず知らずの人が作った料理を食べるのって怖いし)
ちゃんと毒味はしてもらったのだが。
もう少しこのままか、などと覚悟(半分諦め)をきめかけた時、陛下が「どれ」と、いとも簡単にヒョイパクッと食べてしまった。
「んっ! 美味いな!」
陛下は、大きなひと口で早くも半分になってしまったフレンチマントウを、凝視しながら二口目を頬張る。
「中から溢れる汁と上に掛かっているこの白いタレが、私は好きだな」
早々とひとつ完食して二つ目に手を伸ばした陛下を見て、周りの后妃様達も慌てて手に取っていく。背後でも急に物音や声が騒がしくなりはじめたから、食べ出したのだろう。
「むぅ……っ!」
「まあっ」
「甘っ」
などと、后妃様達の口からそれぞれに感想が飛び出す。
言葉としての感想はちょっと意味不明なのだが、表情を見れば分かった。フレンチマントウの中身のように、皆目尻がとろけている。良かった。
ひとり、「甘っ」と驚いていたが食べるのは止めないので、甘いのは食べられるけど、練乳の甘さは強すぎたのかもしれない。今後は、甘さ控えめバージョンも考えておかなければ。
視線を感じて宮女が配膳のために出入りする場所を見れば、菜明が涙目で大きく頷いていた。『良かったですね』と全身で言っていて、私も片目をつぶって『ありがとう』とお返しをした。
◆
宴席も片付けられ、ぽっかりと空いた空間では、天燈の準備が進められていた。
天燈は両手でやっと抱え込めるくらいの大きさで、小さな気球のような形をしている。形だけでなく、夜空に飛ばす原理も気球と同じだ。中に蝋燭を入れ、熱で上昇させる。
薄闇の中、ぽつん、ぽつんと温かい色が灯っていく。
紙でできた天燈は、朱色の灯りに内側から照らし出され、まるでホオズキがあちこちに転がっているようだ。
陛下や后妃様達も、ひとりひとつ自分の天燈に火を灯していた。
「清槐皇国の繁栄と実り豊かなる豊穣を願って」
陛下の夜に染みるような静かな声を合図に、皆が天燈から手を離す。ふわっと浮かび、ゆらゆらクラゲのように夜空を揺蕩いながら、天燈は昇っていく。
「……綺麗……」
圧巻のひと言に、自然と感想が口を突いて出ていた。
濃紺の夜空は、大きな大小の赤い星々で埋め尽くされていく。
「ところで、巫女殿」
気付いたら、陛下が隣に立っていた。
「この国が、また神々であふれるように、どうか加護を授けてはくれまいか」
陛下の顔は、私が断るとはまったく思っていない余裕のものだ。




