裏:とある神様の願い
数百年経とうと、人間に捕らわれた時の記憶はなかなか消えない。
全知全能の神であることが、この時ばかりは少々悔やまれた。
人間のことは嫌いではない。むしろ、好きだった。
人間とは、弱く、すぐ死に、自分達と比べると、はるかに無力な存在である。
しかし、彼らは少しずつ少しずつ、彼らにとっては長いと思える時間を経て、確かに進歩していた。自分らに比べそれは遅々とした成長だったが、神々は皆人間の成長を見るのが好きだった。
小さく短い命を燃やし、一瞬一瞬を懸命に生きる者達が愛おしかったのだ。
干ばつに泣いていたら雨雲を喚び、洪水に悩まされたら大地を隆起させ、神に祈るのなら稲穂を頭を重くしてやった。子を慈しむように、神々は人間の傍にいた。
嫌いな者に裏切られるのと、愛する者に裏切られるのでは、どちらが苦しいのだろうか。
白澤は、隣ですややかな寝息をたてる冬花を見遣った。
狭い寝台ではないが、本来の姿の自分と一緒に寝るには少々窮屈だ。冬花にもそう言ったのだが、「今日はそのままの姿で一緒に寝たい」と言って聞かなかったから、自分が折れた。
自分が天上へと還った後、皇帝の行いを知った神々が、後を追うようにして天上へと戻ってきた。
人間は泣くことが増えた。
だが、手を貸そうという気にはならなかった。
気付ば三百年が過ぎていた。あの頃の皇帝や朝臣は誰もいなくなっていた。定命を持たない自分達と違って、人間は移り変わっていくものだということを思い出した。
人間はまだ泣いていた。
しかし、それでも懸命に生き続けていた。
もう一度、あの頃のような世界を取り戻したい――そう思ったから、自分と人間の間に入ってくれる者を探した。
再び自ら人間の前に姿を現す勇気は、まだなかったのだ。
巫女は誰でも良いわけではない。
神の力を受ける能力が備わっている必要があるのだが、この世界では見つけられなかった。半ば諦め気味で別の世界へと行ってみたら、偶然か必然か冬花と出会った。
冬花は犬が轢かれそうになっていたから助けたと言っていたが……。
「元より、見えるはずがないんだがのう……必然かな」
あちらの世界に辿り着いて、知識はある程度吸収していた。
だから、突っ込んでくる四角い物体が車というやつで、跳ねられたら人間などひとたまりもないことも知っていた。
危険を顧みず抱きしめてくれた冬花を、次の瞬間にはこちらの世界へと連れてきていた。
「またワシを抱きしめてくれる者がいようとはな」
こちらの世界の者ではない冬花は、面白い価値観を持っている。
彼女の行動はいつも予想外なものばかりで驚かされるが、同時になんだかんだ胸躍らせられる。
あの頃の――人間達を見守っていた頃の感覚を思い出す。
冬花は「この国には優しい人もいる」と言った。
菜明は確かにそうだろう。
彼女のことは自分も好ましく思っている。雷宗はいけ好かないが……。
「少しずつか……」
冬花と一緒なら、また人間と向き合えそうだ。
自分だけで人間と向きあう勇気はないが、彼女を通して見る人間であれば面白そうだ。
「ワシが白瑞宮を出られるようになったら……姿を現せるようになったら、一緒に旅でもしようぞ、冬花」
食べ物と勘違いしているのか、口に入った毛をむにゃむにゃ言いながら咀嚼する冬花の頬を、尻尾で撫でてやった。
「本当、お主は一緒にいて飽きんわい」
いつか、彼女を背中に乗せて空を翔るのも悪くない。




