本当に偉かったんだ
「あ……冬花様、お帰りなさいませ」
「ただいま、菜明……」
初日、二時間の授業を終え、文林院から白瑞宮へ帰ってきたのを、菜明が迎えてくれた。
しかし、言葉はいつもと変わらないのだが、声に覇気がない。お互いに。
「随分とお疲れのご様子ですね、冬花様」
「そう言う菜明も顔筋引きつってるよ……はは、お疲れだね」
いつもなら口を綺麗な半月型にして笑う菜明が、今は口端を引きつらせた不格好な笑みを浮かべていた。きっと、私も似たような顔をしている。
「頭が破裂しそうだよ」
「私は身体が爆発しそうです」
菜明と顔を見合わせ、思い切り吸い込んだ空気を盛大に吐き出した。
「……冬長官め」
「今回ばかりは、冬長官をお恨みします」
お互い、どうやら一筋縄ではいかないようだ。
◆
顔に似合わず――というのは、初日の言動ですでに分かっていたのだが、まさか授業もここまで容赦ないとは思わなかった。
「さあ、昨日渡した本は全部覚えてきたかな」
「無理でした」
彼の基準が、『天才』なのだ。
「一冊読むだけならまだしも、一冊覚えるのなんて凡人には無理だよ。それじゃなくても、難しい言い回しが多くて、読み切るのにもすごく大変したんだから」
覚えてこいと言われた本は、この国の歴史や成り立ちを記した国史書と呼ばれるものだった。
異世界から来た特典なのか、白瑞の巫女の力なのかは分からないが、文字は最初から読めたし、書けた。自分では日本語を読んでいるし書いているつもりだが、たぶん自動翻訳されているのだろう。
しかし、翻訳されてようと、国史書はこの国独特の言い回しや古い言葉が多くて、読みにくいのなんの。半分も理解できなかった。
てっきり、課題をこなしてこなかったことを怒られるのかな……なんて思っていたが。
「へえ……ちゃんと最後まで読んだんだね」
意外にも、掛けられた声に怒りはなかった。
「先生である楚雄君が出した課題だし……普通やるでしょう?」
「ふふ、そうだね」
(ん?)
なぜか楚雄君は嬉しそうだった。
「そっか。巫女様ってこの国の方じゃないって話だったね。そりゃ、覚えろって言っても難しかったね、ごめんごめん。冬内侍長官に聞いてたけど、うっかり忘れちゃってたよ」
向かい側にいた楚雄君が隣に来た。国史書を片手でパラパラと捲り、「ああ」とページを開いて差し出してくる。
「じゃあ、今日はこの国の成り立ちから、ここまでのことを説明しようかな」
開かれていたページの最後には、『こうして、神は去った』と書かれていた。
◆
数千年をはるかに超えるその昔、地上には多くの神々と僅かな人間が存在していた。
清槐皇国は、神と人間が交わった末の子が築いた国――人間と神が共存する国だった。
神と交わった人間の子孫が、現皇家である黄一族であり、初代の頃より黄一族を守っていたのが、春夏秋冬の姓を持つ皇国四家であった。
この五家が清槐皇国で一番古い血を持つ家であり、神から地上の統治を信任された者達である。
最初は神々のほうが多かった地上も、長い年月を経て人間が神々の数を追い越した。人間は神より授けられた知恵を駆使し、自らの力で生活を豊かにし、文明を発展させ、生活を豊かにしていった。神の恩寵もありはしたが、それでも地上は確かに人間によって治められていく。
「春夏秋冬……まさか、冬長官って……」
「そうだよ。皇国四家の内のひとつ、冬家のご子息だね。四家って皇家に次いで特別でね、たとえ国政の舵取り役の宰相が相手でも、有力家やら貴族家が相手でも、四家は皇家以外の命令には従わなくても良いっていう、国の枠組みから外れた存在なんだよ」
「すごい……」
常々偉そうだなとは思っていたが、長官レベルじゃなくて、本当に偉い一族だったとは。
どうりで、後宮妃である鵬姜様に対しても、へりくだった態度ではなかったわけだ。
(なるほど。皇家以外には従わなくていいなら、私への雑すぎる態度も頷けるわ)
白瑞の巫女は妃嬪待遇であり、皆『巫女様』と言うのに、彼だけは『巫女殿』だ。別に様付けしてくれないと嫌、とかいうのではなくて、彼の態度だけ後宮では浮いていたから、不思議に思っていたのだ。
(そういう家に生まれたんなら、神様と皇帝陛下以外は、雑草くらいに思ってそう。いや、私に限っては芋だったわ)
その後、楚雄君は本を捲りながら長い長い歴史を分かりやすく話してくれ、謎が多かった神様についても教えてくれた。
神様には地上で生まれた地神と、天上世界からやって来た天神とがいること。この間、青清池で出会った殺生鬼様なんかは地神で、白ちゃんは天神なのだとか。
そして、神様達の中にも、後宮のように階級が存在していること。
取り分けその中でも高い地位にいるのが、瑞獣と呼ばれる神様なのだとか。白澤――白ちゃんも、この瑞獣のひとりという話だった。




