裏②:とある長官の憂い事
宦官になった者は、男である特徴が次第にそぎ落され、女人化されていく。
筋肉で肥大した身体は細く丸くなり、体毛も薄くなっていき、低い声は少年のような中性的な高さになる。
もちろん女人化には限度がある。筋骨隆々の将軍が去勢した程度で、後宮の女達のようになることはない。ただ、去勢したのが若ければ若いほど、女人に近い美しさを得られるようになる。
青沁が内侍省の官吏になったのは、声変わり前――十歳程度だったはずだ。
今、十八歳まで成長した彼は、少年がそのまま大きくなったようだった。
声変わり前の高くて華奢な声と、逞しくなる前の細くしなやかな身体を持ち、下手な娘よりも遙かに美しい。
うっすらと化粧も施しており、官服を脱げば後宮妃にも紛れ込めるだろう。
後宮において、美しさとは武器であり、寵愛の基準となる。
それは女人に限った話というわけではなく、むしろ人に限った話でもない。
皇帝の寵を得るために、后妃達は己の身は当然ながら、住む屋敷や調度品、庭の設えや自分に仕える侍女や内侍官にいたるまで美しさを求める。
特に上級妃ほどその傾向が強い。
陛下に足を運んでもらうために、自分の宮に桃源郷を築くのだ。そこには、一点の汚れも許されない。
「僕達にとって、美は最強の盾であり矛なんですからね」
自分の身を守るものでもあり、甘い蜜を手に入れるための手段でもある、ということか。
「分かった分かった。それはそうと……青沁、無駄話に来たのか? だったら今すぐ回れ右だ。言った通り、俺は相変わらず仕事が山積みなんだ」
頭が痛いのもあって、青沁へ向ける目つきが鋭くなる雷宗。見上げるようにして向けられた三白眼に、青沁も思わず背を正し直立する。
「ちゃ、ちゃんと仕事をしに来たんですよ」
「じゃあ、仕事の話をしろ」
「宮女が白瑞宮の侍女になったんですよね。宮女なら侍女教育も受けてないと思うので、こちらで手配しようかと」
本当に仕事の話だった。
しかも、ちょうど自分も同じことを考えていたところだ。
青沁が手配してくれるのなら、こちらの手間も減って良いと思ったのだが……。
「いつも白瑞宮のことは長官ひとりでされるので……僕達にも関わらせてくださいよ! 白瑞の巫女様だなんて、最高の蜜じゃないですか! お近づきになりたいです!」
これだ。
彼は仕事はできるし頭もきれるのだが、欲が強すぎる。
「そんな下心丸出しだからだろ。あそこの宮は色々と事情があってな……元は白澤様を祀る霊廟だ。粗相を犯しそうな奴を遣わすわけないだろう。しばらくは俺が直接面倒を見る」
「えー、長官のケチ」
「あ゛?」
「ひぇっ! 鬼の長官!」
袖で口元を押さえて肩をすぼめる姿は、本物の女人に見える。
そんな姿を見せられると、これ以上怒るに怒れない。そして、それを分かっていてやるから、この青沁という補佐官は質が悪いのだ。
「それに、俺も教育係については色々と考えている。気持ちだけもらっておく」
「じゃあ、いつかその気持ちに報いてくださいね。僕も妃付き内侍官になりたいんですよ」
「まだしばらくは、俺の小間使いがお似合いだ。妃付きなど、すぐに欲を出すお前に任せられるか」
「じゃあ、長官と一緒に白瑞宮に……」
「ふざけるな」
青沁は「ちぇ」と口先を尖らせていた。
それ以上、仕事の話がないのか、それとも机にのった書類の量を見て察してくれたのか、彼は部屋から出て行った。
彼が騒がしかった分、静かさが耳に沁みる。
そう……任せられるか。
「男の隣で無防備に寝る女なんか……」
目が覚めて、眼前の光景を見た時は息が止まりそうになった。
自分の隣に、冬花が無防備な寝顔をさらして横たわっていたのだ。酒瓶を抱え、気が抜けるふにゃふにゃした顔で寝ていた。眼鏡がずり落ちて露わになった目は、夢でも見ているのか時折ぴくりと震え、睫毛が影を揺らしていた。
あまりの平穏な光景に、ここが後宮だということを一瞬忘れてしまった。
どこか、のどかな田舎へ野遊びに来ていたのだったか、と勘違いしそうになった。
女人が外で寝ることもあり得ないが、婚前の男女が並んで寝ることなど、もっとあり得ない。
自分が男と認識されていないのもあるかもしれないが、それでも宦官と一緒に寝るのもどうかと思う。
雷宗は、脳裏に描かれた冬花の寝顔を手で払い、「ったく」と小さな舌打ちをして、今夜も残業にふけるのであった。




