裏①:とある長官の失態
雷宗は、内侍省の執務室で頭を押さえた。
「うぅ……ちょっと呑みすぎたな」
甕の水を浴びるように飲んだ後、それこそ外で水を浴びたのに、まだ酩酊感が残っている。
「あんなに羽目を外して呑んだのは、いつぶりだ」
というか、自分が羽目を外したことなどあっただろうか。
冬家という、清槐皇国では知らぬ者のいない皇国四家に生まれ、ずっと気を抜くことが許されない環境に置かれてきた。内侍省に入り長官になってからも、人目を気にしなかったことはなかったというのに。
「……失態だ」
神々に言われるがまま、酌をして自分も杯を受けて呑んでいたのだが、気がついたら皆、敷物の上で転がっていた。
目の飛び込んできた空の色は、茜だった。
梅仕事は昼には終わったはずなのに……。
クラクラする頭を押さえて起き上がり、さらに、眼前の光景を目にして自分が最初に口にした言葉は「嘘だろ」だった。
半日も仕事をさぼってしまった……という気持ちもあったが、何より自分がこんな醜態を外でさらしてしまったことに、至極驚いていた。
失態は犯さず、弱みは握られぬよう、誰にも心を見せず、常に冷静沈着であれ――それが、内侍省長官である冬雷宗という人間だったはずだ。
決して、他人の屋敷の裏庭で酒壺と一緒に転がって、半日眠りこけるような人間ではなかった。
だがどうしてか、そこまで悪い気はしない自分もいた。
すると、無遠慮に執務室の扉が開いた。
「おや、長官。最近仕事が落ち着かれたようですね」
同じ内侍省の官吏であり自分の補佐官でもある青沁が、入ってくるなり顔を近づけてきた。
しかし、彼の言葉にピンとくるものはない。
仕事量は以前と変わらないし、特に最近は白瑞宮の侍女探しもしていたから、量的には増えているはずなのだが。
「相変わらずの仕事量で、落ち着くことなどなかったが……。昨夜も内侍省に泊まったし」
「あら、そうですか。顔色が以前よりもよろしくなっているので、てっきり僕は」
顔色が良い?
鏡など、身支度をする時にしか確認しないし、その時もそれほど自分の顔をマジマジとは見ないから気付かなかった。
自分の頬に触れてみる。
触ったところで顔色など分からないのだが、心なしか肌つやは良くなったような気がした。以前はもう少し枯れていたというか、水気がなかったような気がする。
「でしたら、医局にでも行かれたのですか? 最近、よく部屋を空けられることが多かったですもんね。肌つやも良いですし、薬湯をもらいに行っていたとか」
「いや……」
生活習慣が変わっていないのに健康的になっているのはなぜか。
(心当たりは……あるな)
おそらく、彼女の料理のおかげだろう。
なんだかんだ言って、二日に一度は食べに行っている気がする。
さらに、ここ最近は侍女選びにかこつけて、夜だけでなく日中も訪ねていたし。思い出せば、訪ねすぎのような気もしてきた。
(……大丈夫だ。問題事は持ち込んでいない……まだ……)
いつも白瑞宮を訪ねるたびに、刺すような視線を感じていた。
出所を探れば、毎度柱や窓、扉の陰から、子牛が物言いたげな瞳でこちらを見ていた。『問題事ではなかろうな』という心の声がヒシヒシと聞こえるのだ。
さすがに神の反感を買いたくはないし、今のところは、ちょっとした悩み事や相談事も控えている。
「ムムッ、そのお顔……何やら隠し事をしていそうですね。ひとりだけ美しくなろうだなんて許しませんよ! どんな薬湯を飲まれているのか教えてくださいよ、長官」
「だから、薬湯なんか飲んでいないと。それに、この美しさは元からだ。諦めろ」
「そこまでして隠しますかぁ! 僕達宦官にとって美しさは武器なんですよ。皇后様や寵妃様に気に入られれば、処遇や出世などおいしい思いができますし」
ふふふといやらしい笑みを浮かべる青沁は、もはや病気と言っていいほどに美容には気をかけている。




