さぁ、一緒に帰ろう
翌朝、宮女宿房前。
「あらあらぁ~どうやって巫女様に取り入ったのかしらぁ」
「あたし達と同じ宮女のくせして。今までは一時的なものだって聞いてたから、宮女の仕事をしないのは大目に見てたけど……ちゃっかり自分だけうまくやってやぁね」
「どうせすぐに首をはねられるわよ。私達みたいな文字すら読めない平民が侍女をやれるはずがないもの。粗相をしておしまい」
扉の内側から聞こえてくる、誰かへ向けられた批難の声の数々。
キャンキャンと小型犬が吠えているような高く若々しい声は、彼女の同僚だろう。
「ちょっとやめなさい、あんた達! 菜明が侍女になったからって!」
やはり、批難の声は菜明へ向けたものだった。
しかしひとつだけ、菜明を庇う声があった。
「あら何~? そんな裏切り者を庇ってるの、鈴々」
「あたし達は分をわきまえてるだけよ。誰かさんと違って」
菜明を庇っている者は、鈴々という名前らしい。
「なにがわきまえてるよ! 結局はあんた達の嫉妬じゃない!」
「良いのよ、鈴々。あの子達の言うことその通りだもの。分不相応なのは自覚してるし」
「ちょっと、菜明ってば!」
菜明の声にはいつもの明るさはなく、暗さと自嘲がまじったはじめて聞くようなものだった。
「では、お世話になりました。皆さんどうぞお健やかに」
その菜明の言葉を最後に宿房の中は静かになり、次に目の前の扉が開いた。
扉から出てきた菜明は、私に気付くと目を餅のように丸くして肩を跳ねさせ、全身で驚きを露わにしていた。
「と、冬花様……どうしてこちらへ……」
「おはよう、菜明。迎えに来たよ」
菜明が「冬花様」と言ったことで、宿房の中でざわめきが起こる。
どうやら、菜明が仕えている者の名前は知っているらしい。
「嘘、まさか本物の巫女様!?」「どうして宮女宿房に!?」と、さんざ菜明を批難していた声と同じ声が聞こえてくる。
菜明を自分の背に回して、私は宿房の中へと片足だけ踏み入れた。
おそらく菜明を責めていたであろう宮女達が、潮が引くような速さで部屋の隅へと後退していく。
(そういえば、私って『ちょっと粗相をしただけで即死コース』の人って思われてたんだっけ)
気にしてはいないけど、まあ会ったこともない相手を、よくそこまで勝手に想像できるなと無駄に感心する。
(ちょうど良い)
今はその噂にあやからせてもらおう。
「あらあらぁ、私のわがままで皆さんの同僚を奪ってしまって、ごめんなさいねぇ。私がどうしても菜明に侍女をしてほしいってお願いしたの。つまり、菜明は私の大切な人ってことになるのよね……。で、私の大切なものを侮辱するような真似したら、どうなるか……よぉく分かっているのでしょう?」
本当は「うちの菜明になにしてくれてんのー!」くらい叫びたかったけど、一応白瑞の巫女だし、私は笑みを絶やさず比較的穏やかに言った。
元の世界でよく読んでいた漫画の影響で、悪役令嬢風味になってしまったが。
「ヒィッ!」と宮女達が今にも泡を吹きそうなほど、顔色をなくしていた。
「わわわわわか、分かりまし、た……っ」
視線を泳がせ、壁際までさがっていく。たじろいでいるのが手に取るように分かった。
これだけ脅しておけば、大丈夫だろう。
そんな中、三人とは別の宮女が、私の前に進み出て腰を折る。
「巫女様、どうか菜明をお願いいたします。私が喉を痛めたとき、彼女は巫女様からいただいた大切な飴を分けてくれた、優しい心の持ち主なんです。きっとその優しさは巫女様のお役に立つと思います」
彼女が、さっきたったひとりで菜明を庇っていた宮女だろう。
そう言えば、菜明が同僚に飴を分けたと言っていた。相手は彼女に違いない。菜明が決してひとりではなかったと分かって、すこしだけ安心した。
「大丈夫。菜明がつらい思いをすることがないようにするから。ね、冬長官」
扉の影に隠れるようにして立っていた彼の名前を呼べば、奥にいる宮女達はとうとうヘロヘロと膝を折っていた。
彼が菜明の名前を呼ぶ。
「内侍省長官の名をもって、本日よりお前を白瑞の巫女である冬花殿の侍女に任ずる。心して務めよ。いいな」
近くにいる菜明に掛けるにしては、一際大きな声だった。
おそらく、しっかりと宿房内の宮女達の耳にも届いているだろう。菜明は、冬長官も正式に認めている侍女だってことが。
もし、今後菜明が侍女であることを批難すれば、それは私だけでなく冬長官までも批難することになる。
姿をチラ見せして冬長官という後ろ盾がいるよ、と暗示する程度で良かったのだが、まさかここまでやってくれるとは。
「菜明、心配いらないよ。これからは私が絶対守るから」
「冬花様……っ」
両手を広げた。
菜明は顔を俯けつつ、私の腕の中にそっと身体を寄せてくれた。
「こ……っ、心して務めさせていただきます」
耳元で聞こえた、彼女の了承の言葉が嬉しかった。
冬長官と目が合えば、『俺の役目は終わりだな』とばかりに微笑を残して、一足先に宮女宿房から遠ざかっていった。
仕方ない。今度の夜食は好きなだけ食べさせてあげよう。
「さっ、菜明。私達も宮に戻ろっか」
「はい! 帰りましょう、冬花様」
白瑞宮の住人が増えた日だった。




