飴だけど飴じゃないものな~んだ
出汁は、先ほどとは違う椎茸出汁。
「鰹出汁も華やかな香りで好きだけど、椎茸出汁の縁の下の力持ち感は、何者にも代えがたいんだよね」
一緒に昆布出汁も入れる。
椎茸出汁は、他の出汁のうまみをさらに引き立たせてくれる。ただの昆布出汁でも、混ぜ合わせると味の深みが段違いなのだ。それ単体では目立たないが、他と掛け合わせたときの存在感は圧倒的である。
さて、準備もできたことだし、油を引いて熱した丸底鍋(中華鍋っぽいの)に卵を投入。たちまち、ジュワッという心地の良い音をあげて、卵のふちがポコポコと膨らんでいく。
ここからが、時間との勝負。
まだ固まりきっていない卵を、鍋を揺らしながら菜箸で混ぜていく。外から内へ大きく円を描いて、ここでも空気を包むようにして混ぜる。
すると、平べったかった卵が段々と丸く包まれていく。表面は固まっているが、揺らすとフルフルとプリンのように揺れる。
これ以上火が通らないうちに、すぐさま皿に移す。
「そして、同じ鍋に餡の素を投入!」
洗い物を増やすようなことはしない。エコだ。
熱された餡から香りが立ち上りはじめる。酸っぱくて香ばしい香り。
「あ、そうだそうだ。生姜も入れないと」
月兎から出してもらった生姜を、鍋へと直接おろし入れる。できるだけ生姜のピリッとした風味を立たせたいから、生姜は最後に。
「最後に水溶き片栗粉でとろみをつけたら、しっかりと火を入れる。ここで、火の入れ方が甘いと、すぐに餡が緩くなっちゃうんだよねー」
そして、先ほどの卵焼きに餡をかけ、彩りのネギを散らせば出来上がり。
薄黄色のふるんとした卵の上に、とろーりと茶色い餡が覆い被さっていく。
「餡かけは、もはや芸術! あと、茶碗蒸しもちょうど良い具合かな――うわっ」
蒸籠の蓋を開けると、もわっと湯気が目の前を覆った。
湯気が晴れると、表面がつるんと美しい茶碗蒸しが現れた。傾けても形は保ったまま。
「うん、しっかり固まってる。完成!」
「カンセー」
途中から言葉少なに料理に夢中になっていた月兎が、完成を一緒に喜んでくれた。
「ありがとう、月兎。お礼にこれ食べて良いよ」
茶碗蒸しのひとつをスプーンですくい、小皿に移してやる。
月兎は耳を嬉しそうに揺らした。
「アリガトー」
「こっちこそありがとう……っ」
ミニチュア兎のほくほく顔可愛い。
(そうだ。あとで白ちゃんにも持っていこうかな)
きっと、鵬姜様が来て自由に出歩けなくなったと、拗ねていることだろう。
◆
卓に、いきなりドンドンドンと並べられた料理の数々に、鵬姜様は目を瞬かせていた。
美味しそうな香りが部屋に充満する。
「もしかして、時間をと言われたのは……」
「はい。これらの料理を作っておりました。茶碗蒸しと黒酢餡かけ卵です」
菜明が黒酢餡かけ卵を小皿に取り分け鵬姜様の前に置くと、いきなり鵬姜様は眉を逆立て、不満だとばかりの目で睨んできた。
「食べろということですか?」
「そうですね」
「私は飴がほしいのであって、食事に来たのではあり――!」
鵬姜様の声を、「クゥゥン」という子犬の鳴き声のような音が遮った。
音の出所は、鵬姜様の腹あたり。
彼女の顔を見れば、彼女は顔を真っ赤にしてプルプルと小刻みに震えているではないか。
「……っこ、これは、違……香りのせいで……!」
先ほどまでの勢いはどこへやら。
すっかり小さくなってしまった彼女を見て、私と菜明は顔を見合わせ苦笑した。
「鵬姜様、私流のもてなしだと思ってください。せっかくですしね」
「さ、どうぞ」と、手で促すとようやく鵬姜様は、躊躇いがちにスプーンを手に取った。
まずは、菜明が取り分けた黒酢餡かけを掬い口に運ぶ。大きすぎず小さすぎずの綺麗な口が、むぐむぐと咀嚼しゴクンと飲み込んだ。
「――っん!」
一瞬、驚いたように手を止め唸ると、彼女は改めてスプーンを口に運ぶ。
「あの、お口に合いませんでしたか」
不安になって聞いてみたが、彼女はひたすら手と口を動かし続けていた。
心なしか、だんだんと料理を口に運ぶスピードが上がっているような……。
一心不乱とはこういうことを言うのだろう。
彼女は時折、「え、何これ」「なんなの」「うそ」と、謎の感情の発露を見せながら食べ続け、取り分けられた黒酢餡かけ卵だけでなく、茶碗蒸しまで平らげてしまった。
お腹を撫でながら、「ほぅ」と息を吐く鵬姜様の顔は、上気していてどこか夢うつつだ。
「お粗末様でした。味はどうでしたか?」
「おいしぃ……」
ぽやんとした声で、吐息混じりに呟かれた感想に、思わずこちらも嬉しくなる。
「本当ですか! 良かったです」
私が声を張ったせいで、鵬姜様は我に返ったようだ。
彼女はハッとして表情を引き締め、お姫様然としてツンと鼻先を高くする。
「ま、まあ? 温かい料理というのも久々でしたし、及第点ですわね」
口先を尖らせて早口で言う彼女に、私と菜明は笑ってしまった。
彼女という人がどういった人なのか、この短時間でも分かったような気がする。
彼女の目線がちらちらと、大皿に残っている黒酢餡かけ卵に注がれている。
「あまり食べ過ぎると、昼食が入りませんよ」
「冷めた料理には飽きましたの」
「気持ちは分からなくもないですがね」
この料理も、冷めたら格段に味が落ちる。熱さはひとつのスパイスでもあるのだ。菜明が食後のお茶を淹れる。
「では、食事も済みましたので、次こそ飴をいただきましょう」
やはり、そこは諦めてなかったのか。
「実は、この食事が飴なんですよ」
「これが飴ですか!?」




