大丈夫? 後宮で生きてける?
鵬姜様が両手で卓を打って、椅子から立ち上がっていた。
私も菜明も、驚きで目が丸くなる。
「巫女様! それで飴は分けていただけるのでしょうか! これは私にとって人生を左右するようなことなのです!」
大げさすぎじゃ……と思ったものの、どういう意味か聞いてみれば、頷ける理由が判明した。
鵬姜様の『充媛』という位は、後宮妃の中では悪くないのだが、決して安定した場所というわけでもないのだとか。後宮は、皇帝の正妃である皇后と、いわゆる愛人的な側妃の妃嬪というものに分かれている。
皇后は別格であり、その地位が脅かされることはないが、妃嬪達は別だという。
妃嬪達の位は、皇帝の寵愛の多寡や、跡継ぎを産めるかどうかで変動する。
妃嬪の中でも最上位の四夫人は、出自が政治に影響を与えるような強権力家であり、よっぽどの事情がない限り降格することはない。
しかし、その下の九嬪(鵬姜様の属するところ)や、さらに下の二十七世婦となると、似たり寄ったりの中庸の家柄の子が多く人数も多いため、皇帝に存在を忘れられやすいという。
「私はこの声で陛下の寵をいただき、充媛という位を賜りました。陛下は、私を腕に抱きながら、何度も何度もお前の声は小夜啼鳥のように美しいと仰ってくださいました」
よほど誇らしいのだろう。
彼女は胸を反らし、嬉しそうに細い鼻をツンと上向けた。
だが、それも一瞬。
「しかし、陛下の訪いはそれ一度きりで……」
鵬姜様の顔が、見ているこちらが痛みを覚えそうになるほど、もの悲しいものになる。
「今度の宴で歌をうたう機会を得ました。もちろん、陛下もいらっしゃいます」
「ああ……だから、喉を痛めないように、のど飴がほしいんですね」
もう一度、陛下が褒めてくれた美しい声を聞いてほしくて、もう一度自分を思い出してほしくてのど飴を求めに来たのか。
なんと健気な人だろう。
冬長官からは、後宮は魔窟だとか、後宮妃が美しいのは皮一枚だけだとか聞いていたが、こんなにも心まで美しい人がいるではないか。
「いえ、違いますけど」
「え?」
「私の歌が他の者達よりも劣ることはありませんが、念には念を。今年はいつもより喉嗄れが長引いている様子ですし、宴の日まで嗄れたままでいてもらおうかと。私のように、飴の存在を知った他の后妃様方が巫女様に恵んでもらう前に、すべて私がもらってしまえばいい話ですし。しかもそれだけ飴があれば、私は毎日毎食ずっと食べ続けて、さらなる美声を手に入れられますし。一石二鳥と思いません?」
「…………」
「あと、飴はどこで買われたものですか? 仕入れ先も教えていただけると嬉しいのですが」
買い占める気だ。
私は無言で頭を押さえた。
キッパリ言うにも限度があると思う。こんなに明け透けで大丈夫?
後宮でやっていけているのか、こちらが心配になる。
「……こういう方なんです……本っ当、申し訳ありません…………っ」
後ろで、菜明が蚊が鳴くよりも小さな声で謝っていた。
◆
鵬姜様の本音を聞いたからには、さすがにのど飴すべてを渡すことなどできない。
「のど飴はお渡ししますが、全部は無理です」
「どうしてですか、巫女様! 言い値ですべて買い取らせていただきますよ!」
「鵬姜様、落ち着いてください。白瑞の巫女様に対して失礼ですよ」
身を乗り出して食い下がる彼女を、菜明が手で遮って止めてくれる。
「お金の問題じゃないんですよ。それに、あの飴は私が作ったものですから、いくらでも作れますし」
「巫女様が作った!? ご、ご冗談ですよね……作ったというのは、そちらの宮女がでしょう?」
口を大きく開けると下品に見えるなどと聞いたことはあるが、美人は口を大きく開けても上品に見えるらしい。
それにしても、私が料理することが、そんなにおかしいことなのか。
確かに、菜明にも、本来料理などする身分じゃないとか言われた覚えあるけど。
「いいえ、私が作りました。ちょうどいいです。お時間を少々いただけますか、鵬姜様」
「え、あ、はい。構いませんが……」
「菜明」
「はい、冬花様」
私は席を立ち、菜明に向かって手を出した。
菜明は分かったもので、懐から紐を取り出すと、私の両腕に巻き付けて背中で交差させ、肩で結んだ。いわゆるたすき掛け。
何をしているのか、と困惑した目で見てくる鵬姜様に「少々お待ちください」と言って、私は厨房へ向かった。




