おや、皆の様子が……風邪ですかね?
朝、なんだか良い香りで目が覚めた。
「ぅん……んん……うん?」
いつのも青々しい爽やかな香りではなく、甘くちょっと酸っぱい香り。
「おはようございます、冬花様」
身体を起こすと、寝台の傍らに洗顔用の水桶を持った菜明が立っていた。
「おはよう、菜明。なんだか良い匂いがするんだけど……」
「梅の花ですよ。もう散り花でしたが、木の根元を色づける花びらがとても綺麗で良い香りでしたので、綺麗なのだけを選んで持ってきたんです」
あちらに、と菜明が目で示した先には、木の器にこんもりと盛られた薄紅の梅の花びらが。たくさん拾ってきたようだ。
「私、生まれて初めて梅の花を見たんですが、こんなに美しいものだったのですね」
「そう言えば、百年は咲いてないって話だったけ」
「私の知る梅とは、ただの茶色い枯れ木でしたので……ケホッケホッ」
菜明が、話の途中で咳き込んでしまった。
「大丈夫、菜明? 風邪?」
「いえ、大したことありません。ここ最近、乾いた日が続いておりましたので、喉を痛めたようで。同僚にも同じように咳をしている者がおりましたが、数日で治っておりましたのでご心配には及びませんよ、冬花様」
「そう……大丈夫なら、良いんだけど」
確かに、顔色はいつもと変わらない。
「私のことよりも、梅の花のことですよ。これだけ良い香りがする花ですし、飾るだけというのももったいないですよね。何かに使えたら良いのですが」
花びらの山を見ながら腕組みする菜明の顔は、私を着飾らせる時くらい真剣だ。
「菜明ってば、すっかり梅の虜だね」
「はい」と、菜明は良い笑顔で頷いた。
「――って、話を今朝してね。良かったね、梅さん」
白瑞宮の裏庭に移植した梅花精さんが宿っていた梅の木に、私が今朝の菜明との出来事を報告すると、彼女はふふと嬉しそうに笑ってくれた。
ちなみに、毎度『梅花精さん』って呼ぶのが長いから、今じゃ『梅さん』だ。
喋り方も随分とフランクになった。
敬語を使っていたら、「もっと距離を縮めてくださいませ!」と言われた。そう言う梅さんの喋り方とは大差ないのに。彼女の言葉遣いは、もうそういうものらしい。
「わたくしの散り花をそのように使っていただけるだなんて、菜明に会える日が来れば、お礼を言いたいですわ」
「もう随分と力も戻って、冬長官にも姿が見えるくらいだもんね」
廃宮では冬長官には梅さんの姿は見えなかった。
原因は、呪いによって梅さんの神としての力が弱まっていたからだとか。
冬長官がはじめて梅さんの姿を見た時に発した第一声だが、おそらく彼なりの最上級の褒め言葉だったに違いない。
『人間でしたら、即座に皇帝のお召しがあったことでしょう』だ。
美人がはびこる後宮で、そこまで冬長官に言わせるとは……梅さんって、やっぱりものすごく綺麗なんだよね。
そして、それに対して梅さんが返した言葉が、私は忘れられない。
『ええ~うふふ、そんな拷問受けるくらいなら、業火に身を突っ込んだほうがマシですわ』だ。
見た目に反して毒舌だった。
宮廷術士に呪いを掛けられたこともあって、宮廷に住んでいる者が嫌いなのかもしれない。そんな彼女が、菜明にはお礼を言いたいということは、気に入ったというこだろう。
花びらを拾いに来た時、よっぽど梅さんが嬉しくなるようなことでもしていたのかも。綺麗綺麗って言いながら花びらを楽しそうに拾う菜明の姿が、簡単に想像できる。しかし、梅さんは菜明に姿を見せることができない。
「菜明は白瑞宮の住人じゃないしねえ……」
「はい。さすがに白澤様の言いつけを破るわけにはいきませんし」
白瑞宮には白ちゃんや梅さんの他にも神様が住んでいる。
でも、毎日通ってきてくれている菜明も、彼女達の姿を見たことはない。(白ちゃんは神様ってより子牛認識だし)
白ちゃんが、神様が住んでいるというのを、外部に知られるのを嫌がるのだ。
冬長官は、私と白ちゃんに直接関わる立場だから許されているが、その他の者達に対して、白ちゃんはなぜかとても警戒する。
せめて、菜明くらいには教えてもとも思うけど、彼女の立場はあやふやだから駄目らしい。
確かに、正式な侍女が決まったら、菜明はお役御免になっちゃうけど……。
「白ちゃんって時々よく分からないんだよね」
きっと、白ちゃんにしか分からない『何か』があるんだろうな。
そんなことを考えてたら、ちょんちょんと梅さんに肩をつつかれた。
「それと、冬花。前々から聞きたいと思っていたのですが……あちらはなんでしょうか?」
彼女が指さしたのは、草地の中で四角く土が露出した場所。
緑色の中にあるか一際目立つ場所。
「あ、あれは兎の畑」
「兎の畑……ですか?」
梅さんは首を傾げた。
「梅さん、夜中って何してる?」
「夜中は寝ておりますが……」
「そう。気が向いたら、ちょっと起きてみると良いよ」
きっと変な光景が見られると思うから。




