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銀河の生きもの係  作者: 雨咲はな
高校生編
33/37

天網恢恢お別れ会(前編)



 明日、ようやく、「三年生お別れ会」が行われる。

 ようやく、ようやくだ。もちろん史緒が抱くのは、寂しさでも感傷でもなく、ひたすら安堵感のみである。やれやれ、やっとこの実行委員という面倒な役目から解放されるのか。

 最初にイヤな予感を覚えたとおり、こういった仕事に慣れてはおらず段取りも悪かったお別れ会のリーダーおよび幹部が立てるスケジュールは、日時が迫ってくるに従いあちこちに綻びが出はじめて、後から後から新しい仕事が増えていくわ、大事な確認が抜け落ちているわで、阿鼻叫喚の様相を呈してくる有様だった。

 それに伴って、臨時の実行委員会が毎日のように開催されることになり、しかも帰宅時間も日に日に遅くなり、しまいには目の血走りだしたリーダーが、前日はみんなで学校に泊まり込もう、などとバカげたことを言い出す始末。てめえいい加減にしろよ、と連日の居残りで殺気立っていた実行委員のメンバーと、あわや乱闘騒ぎになりかける一幕まであった。

 とりあえず、これは本気にならないとどうしようもない、ということだけは全員が悟って、怒涛のように仕事を片付けはじめたのが、お別れ会の三日前。こうなるともうリーダーも幹部も係も担当もへったくれもなく、みんながやれることをやるしかない。

 そうやって全メンバーがあっちこっちを駆けずり回って、なんとかお別れ会は無事開催される見通しが立つようになった。普段、「やる気」などというものは地平の彼方に置いたまま存在すら忘れかけているような史緒はもう、一年分の労働力を使い果たした気分になって、ぐったりだ。

 しかしとにかく、明日という日が何事もなく過ぎれば、この厄介事ともおさらばである。現在、他にも厄介な案件を抱えている史緒としては、切実にそうなることを願うしかなかった。




「じゃあ、今日が最後の実行委員会というわけだな」

 と、朝の通学途中で会った高遠が言った。

「うん、そう。なんとか形はついたから、最終確認ってことで」

 史緒はそう答えながら、ちらっと後ろを振り返った。そこには、学校へと向かう天漢高校の生徒たちが、お喋りしながら、欠伸をしながら、または耳にイヤホンをつけながら、まばらに歩いている。

 いつもと同じ、平和な光景だ。

「まったく、期限ギリギリになってからそうも慌てふためくとは、異様に手順が悪いな。そんなものは、最初にきっちりと計画を立てて、その通りに進行していけば、破綻などが出るはずもないのに。器ではない人間がその自覚もなく上に立つと、周りは迷惑を蒙るばかりだ」

 高遠が呆れたようにいつもの上から目線発言をしたが、その意見には同感なので史緒も反論はしなかった。人間が、それもまだ高校生がすることなのだから、そりゃ遺漏もあればモタつきもあるだろうとは思うが、それにしたってここまでバタバタするなんて、はじめの計画からお粗末だったという評価を下さざるを得ない。

「リーダーも幹部たちも、お別れ会を成功させたいって情熱は売るほどあり余ってんだけどねえ。水島先輩も、『やる気はあるんだろうけど、ちょっと空回りしすぎだね』って苦笑いしてたよ」

「…………」

 高遠とは逆方向に視線を向けて口を動かしていた史緒は、返ってくるものが何もないことに気づいて、ん? と顔を戻した。いつもなら、「そもそも前回のリーダーたるその男の、後輩への指導が不足していたからこの結果があるんだ」とかいう皮肉を、木で鼻をくくったように言い捨てるはずの高遠が、なんとなくむっとした顔で口を結んでいる。

「どうかした?」

「何がだ?」

「なんで黙ってんの?」

「僕がなぜそんな見ず知らずの男に対してコメントをしなければならない義務があるんだ?」

 なんでそんな棒読みなの?

「見ず知らず……だっけ?」

 首を捻る。そうだっけ? 高遠は、水島先輩と顔を合わせたことがなかったかな? そうか、見かけたことくらいはあっても、それが水島先輩だってことは判らなかったのか。あっちは高遠のことを知っているみたいだったけど。まあ、なにしろ学校の有名人だもんねえ。

「わたし、何回か話したことはあったでしょ?」

「覚えがないな」

 ふん、とそっぽを向かれた。

「…………」

 史緒は眉を寄せ、ぴたりと立ち止まった。手を伸ばし、制服で包まれた高遠の腕を、強く掴む。

「覚えがない?」

 腕を掴まれ同じく立ち止まった高遠は、史緒の怒った顔を見て、少し戸惑ったように文句を言いかけた口を閉じた。

「わたし、何回か話したよね?」

「僕は──」

「高遠君、わたしの名前は?」

「は?」

 高遠がちょっとぽかんとする。ぱちぱちと何度か瞬きしてから、「君、この間からその質問を繰り返してるが、それにはなんの意味が……」と疑問を出そうとするのを、史緒は強引に遮った。

「いいから。わたしの名前」

「……塚原史緒、だろう」

「よし」

 満足して、ぱっと掴んでいた腕を離し、歩くのを再開する。一拍の間を置いてから高遠も歩き出し、史緒の顔を覗き込んだ。

「まったく判らないんだが、今のやり取りで何か納得できたのか」

「うん、納得した。今のところ、大丈夫」

「大丈夫とは何が大丈夫なんだ。それで、水島という男については」

「あ、いいよいいよ。そっちは別に、覚えてなくても忘れても特に問題ないから」

 軽く言って手を振りながら、こころもち身を乗り出して、今度は高遠の向こうに目をやる。高遠はなんとなく、肩透かしを食らったような表情になった。

「問題ない……のか?」

「ないない。ノープロブレム」

「…………」

 高遠はしばらく黙り込んでいたが、これまでの経験から、この状態の史緒には何を言っても聞いても無駄だと踏んだらしい。諦めたようにため息を吐き出して、言った。

「……それで君、さっきから何をそんなにキョロキョロしてるんだ?」




「じゃ、今日が最後の実行委員会ってわけね」

 昼休み、一緒にお弁当を食べていた奈々子が、高遠と同じことを言い、しかし高遠とは違ってその後に、「お疲れさん」と労う言葉を続けてくれた。

「うん、ホントに疲れたよ」

 自分たちが座っているのは窓際の席なので、顔を横に向ければ、窓から下の景色がよく見える。史緒は二階分の高さがあるその場所から、校舎と校舎の間にある中庭を眺めながら返事をした。

「今日もまた、遅くなりそうなの? ここんとこ、帰りが八時過ぎになることもあったんでしょ」

「んー、明日に疲れを残さないためにも、今日はなるべく早く終わらせるって言ってたけどね」

 しかしあのリーダーは、今ひとつ言うことがアテにはならないので、その言葉を信用していいのかは微妙なところだ。

「八時過ぎっつったら、あたしら運動部よりも遅いじゃん。帰る時、真っ暗で怖くない?」

「遠いところから通ってくる子たちは、大変かもね。わたしは家が近いから、そうでもないけど……」

「けど?」

「来るなら来い、っていうつもりでいると、オバケってのはなかなか出てこないもんだね」

「は?」

「普通、頼まなくたって、美少女戦士の前には敵が現れて、名探偵の行くところでは殺人事件が起こるもんだと思わない?」

「は?」

 奈々子が首を傾げたが、史緒はそれには答えずウインナーを口に入れた。もぐもぐ食べながら、窓の下に向けていた視線を動かし、ちらっと教室の出入り口を一瞥する。

 開いたドアから、廊下を数人の生徒たちが歩いていくのが見えた。立ち止まって、こちらに顔を向けている人物はいないようだ。

「そういえばさあ、奈々子」

 この友人に言っておくことがあったのを思い出し、史緒はようやく目の前に視線を向けた。

「なんかね、この学校の伝統として、『お別れ会は絶好の告白チャンス』っていうのがあるんだって」

「は?」

 突如として変わった話題についていけなかったのか、奈々子はもう一度同じ言葉を発した。それから何かに思い当たったらしく、ぱっと顔を赤くする。

「な……なに、それ」

 いきなり、あちこちに目線を飛ばしてそわそわとしはじめる。色恋の話になると途端に純情な乙女になってしまう体育会系女子は、今にも席を立ってこの場から逃げだしたげな様子を見せた。

「ほら、普通は卒業式に、『ずっと好きでした』ってやるもんじゃない? けど、現実問題として、卒業式当日はなかなか本人を捕まえられないでしょ? 見つけたとしても、近くに親がいたり友達と一緒にいたりするしさ。その点お別れ会は、終わったらその後はそれぞれ解散していい、ってことになってるし、もしも上手くいったら少しの間だけでも校内でイチャイチャできるし、ってことで、その日に告白する人が多いんだって。もし奈々子にその気があるなら、わたしが水島先輩を呼び止めて──」

「また、あんたは!」

 とうとう奈々子が真っ赤になって、掌で史緒の口を覆い、実力行使で黙らせた。ばちん、という音が鳴るほど勢いがついていて、けっこう痛かった。

「だからそういうことを、他の人間が大勢いる教室内で、しゃらっと言うな! なんであんたにはそうデリカシーってもんがないのよ! そういう話は、密室で二人きりになった時、極限まで声を抑えて話すのが常識でしょ!」

 そうかあ? その常識も、ずいぶん前時代的な気がするのだが。性格の図太さでは紗菜ちゃんといい勝負なのに、恋愛方面でのこの二人のベクトルは、まったく真逆を向いている。

「……だからさあ」

 ふー、と奈々子が息を吐く。どうでもいいけど、そろそろ掌をどけてくれないだろうか。息が苦しい。

「あたしのはそういうんじゃないんだって。付き合うとか、そういうことは別に望んでないっていうかさ。あっちだって、あたしのことなんて知りもしないか、なんとも思ってないに決まってるし。何もしなきゃ心穏やかに卒業を見送れるのに、わざわざ恥をかいて、人生の汚点にしたくない。……あの顔が見られなくなるのは、そりゃ寂しいと思うけど」

 奈々子がぼそぼそと言って、やっと手を離してくれた。酸素を吸うため、ちょっとの間を置く。

「先輩、今は彼女いないらしいよ」

「あんた、人の話聞いてる?」

「わたしはそういうの、よくわかんないけど」

 前置きしてから史緒は続け、再び、窓の下を見下ろした。

 寒いからか、昼休みの中庭には誰の姿もない。校舎の陰にも、木の後ろにも、置き石の上にも、誰もいない。

「……何もしなきゃ、そのまま相手に忘れられちゃうだけなんじゃないのかな。何もしなきゃ、自分もすぐに、忘れちゃうんじゃない? 顔が見られなくなることよりも、そばにいられなくなることよりも、近くにいるのに自分のことを忘れられる、自分も忘れてしまうっていうのは……もっと、寂しいことなんじゃないのかな」

 行動を起こすのは、確かに、すごく面倒だ。それには相当のエネルギーが要る。

 思い通りにいかなきゃ苛々するし、悶々と悩むこともある。関わり合いになることで、知りたくもなかったことを知る羽目になるだろうし、それで後悔することだってあるだろう。怒って、歯ぎしりして、気を揉んで、ハラハラし続けて、不安と安心を交互に入れ替わらせて、そのたびどっと疲れが来る。

 知らんぷりしていれば、楽だってことは判ってるんだけど。

 ──でもそれは、とても寂しいことだと、史緒は思うのである。

「…………」

 奈々子は口を噤んで史緒の横顔をじっと見つめ、それから、首を傾げた。

「……ねえ、史緒。あんたさっきから、なにをキョロキョロしてんの?」




「──塚原ちゃん、なんでそう、さっきからキョロキョロしてるわけ?」

 本日三人目にその台詞を出したのは、水島先輩だった。

 一回目の実行委員会に顔を出してからは、最小限の助言だけであとは見守るというスタンスをとっていた水島先輩なのだが、小心な現リーダーに、漏れがないか最終チェックをして欲しいと頼まれて、本日の委員会に出席したのだそうだ。送られる側の三年生にそんなこと頼むなよ、と史緒でさえも思うが、人のいい先輩は断れなかったらしい。

 それで結局、最後の委員会はやっぱり最後までグダグダな進行で、終わった時には七時を過ぎていた。そのため、またも騎士道精神を発揮した先輩に、「危ないから家まで送るよ塚原ちゃん」と言わせることになった次第である。やれやれ。

 ただ、他の子たちにヒソヒソと話をされても、先輩ももう、気にするのはやめたようだった。

「わたし、キョロキョロしてますか」

「してるよ、さっきから、ものすごく。いきなり後ろを振り返ったかと思うと、猫しか入れなさそうな狭い路地を気にしたりしてるし」

「そうですか?」

 と言いつつ、路上駐車の車のサイドミラーを覗いてみる。鏡の中には、ひと気のない道路が街灯に照らされている景色しか映っていない。

 その景色に、長い髪の少女が入り込むことはなかった。

「……ま、それはそれでホラーか……」

 ぶつぶつと独り言を零す史緒に、水島先輩が怪訝な顔をしている。

「もしかして、何か探してんの?」

「うん、そうですね。まさしくわたしは探してるんです。でも、向こうから来てもらわないと、どうしようもないんですよ。まったく、来なくていい時には来るくせに」

「塚原ちゃん、目が据わってて怖いんだけど。なに探してんの? 俺も探すの手伝おうか」

「気持ちはありがたいんですが、結構です」

「でもさ」

「先輩には、まったく関係のないことなので」

「…………」

 不意に、水島先輩が立ち止まった。

「?」

 それに気づいて、史緒も足を止める。そちらを振り返ると、街灯の下に立つ先輩は、いつも顔に浮かべている気さくな笑みを消していた。

 送るのはここまで、ってことかな? と史緒は思う。家はまだ先だけど、そこまで来てもらうのも悪いし適当なところでお礼を言おう、と考えていたからちょうどよかった。

「どうもありがとうございました、先輩。じゃあまた明日」

「塚原ちゃん」

 きっちり下げた史緒の頭の上に、水島先輩の声が降ってくる。はい? と顔を上げると、先輩は口元を曲げて、短い息を吐いた。

 普段ニコニコしていることが多い人だからか、こんな風に尖った目つきをされると、雰囲気がいっぺんに冷たくなる感じがする。

「塚原ちゃんて、ホント、ニブいよね」

「はい?」

「わかんない?」

 平坦な声で言って、一歩足を前に踏み出す。反射的に、史緒は後ろに身を引きそうになった。理由は判らないけど、突然、この先輩が少し怖く思えたからだ。

 が。

 その時、史緒の目は、水島先輩の背後に、ずっと探していた人物の姿を捉えた。

 電柱の向こう、街灯の光がわずかに届く場所に立っているのは、制服を着た少女。

「──いた」

 一言言って、同時に勢いよく駆けだす。先輩が何か言葉を出したが、耳に入らなかった。

 暗闇の中でも白い肌の映えるその少女は、史緒がそちらに向かって走っていくのを見て、形のいい唇をわずかに上げた。

 ふ、という小さな吐息のような嗤いを洩らし、すうっと電柱の陰に消える。身体を動かしているようには見えないのに、長い髪の毛だけが、ふわりと揺れた。

「ちょっと!」

 すでに夜間であることも忘れて怒鳴ったが、あちらには聞く意思が毛頭ないらしかった。あともうちょっとで手が届く──という間合いまで詰めたのに、その手は虚しく空を切る。

 もう、誰もいない。

「……!」

 怒りまかせに、ばんと電柱を叩きつける。冷え切った硬質の感触は、手の平にじんじんと痺れるような痛みを走らせたけれど、そんなことすら意識にのぼらなかった。

「どうしたの?」

 後ろから、水島先輩が声をかけてくる。史緒の唐突な行動に驚いたのか、その声や表情からは、さっきまでまとっていた、ひんやりした空気は抜け落ちていた。

「もしかして、塚原ちゃんが探してるのって──人?」

「……まあ、そうです」

 短距離ダッシュで乱れた息を整えながら返事をする。我ながら、低い声だった。

 先輩の眉が曇った。

「なに、痴漢とか、ストーカーとか?」

「それならまだ話は簡単なんですが、違います」

「男?」

「一応スカート着てますね」

「じゃ、女の子?」

「わたしたちの基準で考える性別でいうならそうかもしれません」

「意味がわかんないんだけど。──ひょっとして、また高遠関係?」

「…………」

 史緒はそれには返事をしなかった。返事がないのが答えだと思ったのか、水島先輩は「ふうん、なるほどね」と小さく呟いた。

「この間も絡まれてたもんな。あれも高遠のとばっちりだったんだろ? 大変だね、そんなことばっかり」

 紗菜ちゃんのことか。大変といえば大変だったけど、問題をややこしくしたのは先輩じゃん。

 それに、紗菜ちゃんこそ、とばっちりの被害者だ。高遠というよりは、多分、史緒の。

 史緒のせいで、あの子はあの子の、大事なものを失ってしまった。

「高遠の傍にいると、面倒なことが多いだろ」

「…………」


 ……面倒?


 そうだ、水島先輩の言うような意味ではないと思うが、史緒自身、小学生の頃からずっとそう考えていた。

 高遠と一緒にいると、面倒なことばっかりだ、と。

 うんざりすることだって多いし、腹の立つこともたくさんあるし、ウザいなと思うことも数えきれないくらいある。いつもいつも、厄介事だけがこっちに廻ってきて、当の本人はしれっと訳の判んないことをほざくだけで、史緒の苦労なんてちっとも理解していなくて、この野郎、と胸倉引っ掴んで文句の十や二十、一気に言える用意もある。

 でも──

「そんな面倒な高遠なんてやめて、俺にしない?」

 水島先輩の言葉で、我に返った。ぼんやりと虚空に据えていた目を、改めてすぐ前にいる人に向ける。

 今、なんて? という顔をした史緒に、水島先輩はにこっと笑った。

「俺と付き合ってよ、塚原ちゃん」


 へ?




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