出発前
エルメリーヌ姫がダンジョン見学へ出発する前日は、朝からしとしとと雨が降っていた。
俺は、この日のうちに王都の騎士団へ入らなければならない。
ウイングスーツでビューンと飛べば、一時間も掛からずに到着できると高を括っていたので、雨は予想外の事態だ。
仕方がないのでウイングスーツはやめて、空属性魔法で作った飛行船に乗って王都へ向かう。
ウイングスーツほどの速度は出せないが、それでも馬車に比べたら遥かに速い。
何よりも、一度空に浮かんでしまえば、真っ直ぐ一直線に王都を目指せる。
元々も速度も速いのに、ウネウネと曲がる必要も、上り下りをする必要も無いのだから、速いのは当然だ。
王都の上空も、王城の上以外は飛行許可が出ているので、少しずつ高度を下げながら接近し、王国騎士団の門の前へ着地した。
王都は一般市民が暮らす第三街区も含めて、全て石畳の舗装がなされている。
王国騎士団の門の前ともなれば、毎日清掃が行われているはずだが、それでも濡れるのは嫌だから、頭上には傘を作りエアウォークで宙を歩く。
宙を歩く奇妙な猫人を発見すると、門の前に立っている衛士はビシっと敬礼してみせた。
俺もビシっと敬礼を返す。
これまで何度も繰り返してきたから、少しは見られるようになったと思う。
「ようこそいらっしゃいました、エルメール卿」
「またお世話になります」
王国騎士団には、『巣立ちの儀』の警備アドバイザーとして活動していた頃に、長期で居候させてもらっていたので、顔見知りの騎士や兵士もかなり増えた。
この衛士もその一人だ。
実は名前も知らないのだが、いつも笑顔で挨拶してくれる。
「生憎の雨ですね」
「でも西の空が明るくなっていたから、明日には上がるんじゃないかな」
王都の頭上は厚い雲で覆われているが、西の空では薄日が差し始めている。
雨天の道中は視界も悪く、不測の事態に備えて気を張っていなければならない。
警備の人員への負担を考えたら、晴天であるに越したことは無いのだ。
顔見知りの衛士と一言、二言雑談を交わした後、騎士団長の所へ向かう。
もう場所は分かっているから大丈夫でしょうと、案内の人間は付かない。
こんな雨にも濡れず宙を歩く猫人なんて怪しい者を、野放しにしておいて良いのかね。
まぁ、王国騎士団に害を及ぼそうなんて、全く考えていないけどね。
騎士団の中を歩いていくと、擦れ違う全員から笑顔で敬礼された。
今日は、紋章入りの革鎧姿だからかな。
王家の紋章が翼の生えた獅子なのに対して、エルメール家の家紋は翼の生えた猫。
革鎧を遠目で見たら区別が付かないが、近くで見れば違いが分かる。
たぶん、くすっとされているのは、それが原因だと思う。
それが王家の狙いであったとしても、国王陛下から下賜された革鎧を着ないという選択肢は無いんだよなぁ。
騎士団長の執務室のドアの前で足を止め、ノックをしてから声を掛けた。
「誰だ?」
「ニャンゴ・エルメールです、明日の警備のために参上しました」
「おぉ、入ってくれ」
「失礼します」
騎士団長は、応接用のテーブルの上に地図を含めた書類を広げていた。
明日からの護衛計画の確認なのだろう。
「呼び立ててしまって済まない。なにしろ、王家からご指名だからな」
「公開処刑の警備の後、夕食の席で直接打診がありましたから、心づもりは出来ていました」
「だが、今回は警備の主役は我々が務めさせてもらう。エルメール卿は魔導車の中でエルメリーヌ姫の相手を務めてくれ」
「一応、確認なんですが、キャビンには姫様と二人っきりとかじゃないですよね?」
「それはない、侍女も一緒に乗る予定だ」
ニヤリと笑った騎士団長からは、企みの匂いは感じられないが、なんとなく同情されているような気はする。
「ここに来るまでの間に、街道の様子を確かめておこうと思ったのですが、今日は視界が悪くて……」
「以前ならば、反貴族派の動きが気になっていたのだが、旧王都の治安状況が劇的に改善しているので問題は無いだろう。それに、今回は慣例行事ではないから、狙う側も準備する時間は無かったはずだ」
「では、俺は姫様の身辺警護に徹していれば良いのでしょうか?」
「あぁ、そう思ってもらって構わない」
ここまで聞いた限りでは、どうやら俺が色々と考えすぎているようだ。
「それと、明日の警備には、騎士候補生も参加する」
「候補生もですか?」
「これから、こうした行事は増えていくだろう。ならば、王都の外での警護の実情を見せておくのも悪くないと思ったのだ」
「候補生の人選は?」
「成績優秀の者から選抜している。贔屓目は無いぞ」
「そうですか……」
オラシオ達は、とても良いチームだと思うが、それが成績に繋がっているのかどうかは俺には分からない。
それに、たとえオラシオ達が選ばれていたとしても、今回は仕事だからゆっくり話している時間は無いだろう。
騎士団長と打ち合わせを終えて、宿舎に入ってしまったら、何もやる事が無くなってしまった。
旧王都までの街道は一本だけだし、警備の隊列とかは俺が口を出す事ではない。
「うにゃぁ、なんだか肌寒いし、お布団に入ってゴロゴロしてるか……」
雨が降っているせいで、空気がヒンヤリしている。
お布団で思う存分ヌクヌクした後、騎士団の食堂で夕食を済ませ、部屋に戻ってシャワーを浴びた。
王族のお呼び出しがあるかと心の準備を整えていたが、結局この日は何も無かった。
「本当にノンビリしちゃったけど、これで良いのかなぁ……」
考えても仕方がないので、翌日に備えて早めにお布団に入った。
うん、肌寒い時期のお布団は最高なのだ。
翌朝、俺たちは姫様が来る一時間前に集合して、隊列の準備を始めた。
といっても、ここでも俺はやる事が無い。
忙しく動き回っている皆さんの邪魔にならないように、魔導車の近くで大人しく眺めているだけだ。
やはり王族、それも聖女と呼ばれているエルメリーヌ姫の外遊ともなれば、同行するスタッフの数は半端ではない。
魔導車に同乗するだけではなく、もう一台別の魔導車にも乗っていくようだ。
侍女だけでも十名程度、そこに侍従が五、六名加わるようだ。
王城や騎士団の食堂で面会する時には、こうした人たちは表に姿を現さないのだろう。
侍従の一人が、俺の荷物を預かりに来た。
荷物を預けたついでに、魔導車内で俺が座る位置を確認する。
エルメリーヌ姫の斜向かい、ドアのすぐ近くが俺のポジションだそうだ。
この魔導車は、アーネスト王子が暗殺された後に作られた物だそうで、爆破や襲撃にも耐えられる頑丈な作りになっているらしい。
姫様を害するには、出入口を破って侵入するしかないらしく、その唯一の侵入経路を防ぐのが俺の役目だそうだ。
乗車順と乗車位置を確認したら、またやる事が無くなってしまった。
行列の前方に視線を向けると、革鎧を着た騎士候補生の姿が見えた。
全部で二十名ぐらいだろうか、後ろからでは顔が判断できないが、何となくだが、オラシオも参加している気がした。
全員が前を見据え、後ろ姿からも緊張感が伝わってくる。
現役の正騎士と、まだ正式に採用されるか分からない見習い、当人たちはどんな気分なのだろうか。
俺がアツーカ村に現れたブロンズウルフの討伐の時に、チャリオットの案内役を務めた時のような気分なのだろうか。
「頑張れ、緊張しすぎて失敗すんなよ」
騎士候補生の方を眺めていたら、遠くからざわめく声が聞こえてきた。
さて、そろそろ俺も気を引き締めるとするか。





