影の宰相(前編)
シュレンドル王国の宰相オーレリオ・エルマリートは、影の宰相などと呼ばれている。
正真正銘、正式な宰相であるオーレリオが、影の宰相などと呼ばれている理由は、彼の存在感の薄さにある。
オーレリオは先の宰相が病気により急逝し、その後任として現国王によって指名された。
エルマリート伯爵家は、今は亡き第一王子アーネストの派閥に所属しており、国王は自分が退位した後の事を考えて、オーレリオに白羽の矢を立てたとも言われている。
まだ三十にもなっていなかったオーレリオの宰相就任にあたっては、色々と嫉む声も少なくなかったが、実際に働き始めるとそうした声は少なくなっていった。
オーレリオは、基本的に自分の手柄を他人に自慢することはない。
それに加えて、誰かに注文を付ける場合でも、必ず事前の根回しを怠らず、相手の面子を保って処理を行うので、必然的に敵を作らないのだ。
宰相としての手腕には文句の付け所が無く、いつの間にか嫉んでいた者達までもが、面倒な仕事はオーレリオに任せて手柄だけ受け取れば良いなどと言うようになっている。
第一王子アーネストが王太子として認められていたのは、オーレリオのおかげだ……などと言う者さえいる。
アーネストの派閥に属していながら、どこの派閥とも波風を立てず、粛々と仕事を進める姿は、理想の宰相と言っても過言ではないだろう。
アーネストが暗殺された後も、オーレリオの交代を望む声は上がらなかった。
今更、どこかの派閥に属する者が宰相の椅子に座れば、それだけで派閥の主は玉座に近付くと見られるだろう。
となれば、横並びの三人の王子たちは、自分の子飼いの貴族を宰相にしたて上げようとするだろうが、仮にどこかの派閥に属する者が宰相となれば、必ず反発する者が現れるはずだ。
そうなれば、国の運営に支障が出かねない。
宰相が即断即決を下せない状況になれば、間違いなく国の運営は滞る。
そんな状況を国王は望んでいないし、三人の王子の派閥に属する者達も望んではいないはずだ。
オーレリオは、仮面の宰相などと呼ばれていたりもする。
常に冷静沈着、笑顔を浮かべることも無ければ、怒りを露わにすることも無い。
眉を動かすことすら無い、仮面を被っているかのように無表情だからだ。
勿論、眉さえ動かさないとは言い過ぎだが、オーレリオの笑顔を見た者は家族しかいないと言われている。
私欲を捨て、淡々と仕事をすすめるオーレリオを王城の聖人などと揶揄する者もいる。
それほどまでに、オーレリオは滅私の人と思われている。
では、オーレリオには本当に個人的な望みや欲は無いのだろうか。
答えは否だ。
オーレリオは、表情には出さないものの熱狂的に今は亡きアーネストを支持していた。
支持と言うレベルではなく、崇拝と呼んでも過言では無いレベルだった。
獅子人としての容姿、王族としての風格、立ち振る舞い、言動……それら全てが、次の国王はアーネストだと現していると思い込んでいた。
それだけに、アーネストが暗殺された時には、大いにショックを受けたし、落ち込みもした。
ただし、その悲しみや絶望は、オーレリオの表情には上手く現れず、周囲の人々にも伝わらなかった。
アーネストが暗殺された後も、オーレリオは宰相としての務めを果たしてきたが、その仮面のような無表情の下には、一つの不満が燻り続けている。
それは、一年が過ぎてもアーネストを暗殺した犯人が捕まっていないどころか、手掛かりらしい手掛かりすら発見されていない事だ。
アーネストの葬儀で国王は、例え地の果てまで逃亡しようと、追いかけ、追い詰め、必ず捕らえて罪を償わせると宣言したのに、犯人の影すら見つかっていない。
それどころか、今ではアーネスト暗殺の首謀者を探しているのかも怪しい状態だ。
オーレリオは宰相としての地位を活用して、捜査の状況を見守っているが、アーネストの乗っていた魔導車に関わっていた全ての人間を調べたが、有益な情報が何一つ見つかっていない。
こんな状況ならば、王国騎士団の尻を叩き、捜査に活を入れるべきなのだろうが、国王は静観の姿勢を貫いている。
一度だけオーレリオは、国王に捜査へのテコ入れはしないのかと尋ねたことがあったが、騎士団を信用していると言われて引っ込むしかなかった。
そうした状況を鑑み、オーレリオはアーネストを暗殺したのは王族の誰かだと考えた。
国王が積極的に動かないのは、王族同士で争い、血を流し、国が割れるような事態に陥ることを恐れているからだと、オーレリオは判断した。
オーレリオが一番怪しいと感じているのは、第二王子バルドゥーインだ。
バルドゥーインは気さくな人柄で多くの貴族から好かれてはいるが、王家の慣習で獅子人以外の王族が王位に就くことは無いと、オーレリオは知っている。
自身が王位を継承する可能性が低いのに、アーネストを殺害する必要はないと考えるのが普通だが、バルドゥーインには同じ母から生まれた獅子人の弟がいる。
アーネスト亡き後、獅子人で一番年上の王族は第三王子のクリスティアン、その次がバルドゥーインと同じ母親のディオニージ、二人の誕生日は一ヶ月程度しか離れていない。
次の国王は、王位継承順ではなく最終的には現国王の判断によって決められる。
同じ母親から産まれた弟が次の国王になる可能性が高まるのであれば、バルドゥーインがアーネストを亡き者としようとする理由には十分だろう。
実際、アーネストが暗殺された後、それまでよりもバルドゥーインは積極的に活動するようになった。
裕福な商家の人間に変装し、グラースト侯爵の悪事を暴いたり、王都の『巣立ちの儀』の警備の統括をしたり、フラリとダンジョンを訪れたりもしている。
そうした行動も、オーレリオの目には弟を援護する活動のように映っている。
そして、バルドゥーインの活動を見守る度に、目につくのがニャンゴ・エルメールという存在だ。
反貴族派の大規模な襲撃からエルメリーヌ姫を守り抜いた英雄にして、シュレンドル王国史上初めての猫人の貴族。
その後も功績を重ねて、今や名誉子爵の称号を得ている。
アーネストを崇拝していたオーレリオは、猫人という存在を蔑視している。
魔力も体力も乏しく、怠惰で不潔な毛むくじゃらの存在を自分達と同じ人間として認めたくなかった。
差別用語とされているが、劣等種と呼ぶのが相応しい存在だと思っている。
それだけに、名誉騎士への叙任も、名誉子爵への陞爵も、オーレリオは反対したのだが、国王の意見に押し切られてしまった。
以来、ニャンゴ・エルメールの名を見聞きする度に、苦々しい思いをしているが、その感情もまたオーレリオの表情を動かすには至っていない。
鬱屈した思いを抱えながらも、オーレリオは淡々と無表情に宰相の役目を果たし続けてきた。
そんなオーレリオの下へ、国王から一つの諮問がなされた。
ホフデン男爵領での騒動の顛末と共に、バルドゥーインが連れ帰った三人の処遇についてだ。
「処遇ともうされましても、処刑以外の選択がございますか?」
王国の法で禁じられた重税だけならばまだしも、王族に対して弓を引いたとなれば、明確な反乱であり、処刑以外の選択肢などオーレリオの頭の中には存在していなかった。
「バルドゥーインは第三夫人とその息子の命は助けたいようなのだが……難しいか?」
王家に弓を引いた家の次男を処刑し、長男と第三夫人を助命するのでは筋が通らない。
筋が通らなければ貴族から反発を招く恐れがある……と、そこまで考えてからオーレリオは答えた。
「検討してみましょう」
「そうか、よろしく頼むぞ」
「畏まりました」
オーレリオは、これはチャンスだと感じていた。
バルドゥーインの評判を落とせば、それは弟であるディオニージの評価を落とすことにも繋がる。
オーレリオは、改めてホフデン男爵領の騒動に関する報告書に目を通してみる事にした。





