男爵家の人々
バルドゥーイン殿下に対して、ホスト役を務めたのはアンジェル第一夫人だった。
バルドレード・ホフデン男爵が亡くなった後、家督相続の届けをして、王家からの許可が下りていない現状では、長男アルフレートも次男バルナルベスも家長を名乗ることは出来ないのだ。
この場合、家の中での位置付けは、第一夫人、第二夫人、第三夫人、長男、次男の順になるらしい。
ただし、既に相続順の届けが済んでいる場合には、相続順に応じて子供が代表になる場合もあるそうだ。
「バルドゥーイン殿下、遠路遥々お越しいただき、ありがとうございます。今宵は、ごゆるりと旅の疲れを癒してくださいませ」
アンジェル第一夫人は、でっぷりと太った犬人で、年齢はまだ三十代だと聞いているが、実年齢よりも老けて見える。
バルドゥーイン殿下と話している時には愛想の良い笑顔を浮かべているが、ふっと視線をそらすと不愛想な表情が顔をのぞかせる。
少し離れた場所に控えている痩せた女性が第二夫人、肉感的なスタイルの持ち主が第三夫人のようだ。
第二夫人はいかにも神経質そうで、笑顔を浮かべているのに、眉間に皺が寄っているように見える。
二人も嫁がいるのにメイドに手を出すなんて、亡くなったバルドレード・ホフデン男爵はとんでもない女好きだと思っていたが、この嫁では……と、ちょっと思ってしまった。
そうした婦人たちの様子には、まるで関心が無いかのようで、バルドゥーイン殿下はいきなり本題に入った。
「早速だが、ホフデン男爵家の現状を聞かせてもらおう。家督は誰が継ぐのだ?」
「勿論、私の息子バルナルベスが……」
「お待ち下さい! 家督は長男アルフレートが……」
「控えなさい、この無礼者!」
第一夫人が自分の息子をアピールしようとすると、すかさず第三夫人が割って入り、それを第一夫人が叱りつける。
「無礼なのは、相続順位を歪めようとする其方でしょう!」
「なんですって! 子供のいない者が戯言を……」
「やめよ!」
更に第二夫人まで言い争いに加わったところで、バルドゥーイン殿下が強い口調でたしなめた。
「王家は貴族の家の中までは干渉しない。干渉しないが、当主亡き後、三月が過ぎても相続する人間が決まらない場合は、最悪家を取り潰す場合もあることを忘れるな」
「と、取り潰し……」
「そんな、跡取りはいるのに……」
「跡取りが何人いようとも、領地をまとめる才が無いと判断すれば、他の才ある者に経営を委ねるのは当然であろう」
いやいや、なんで俺の方を見て、ニヤって笑うんですか。
ホフデン家の皆さんに、凄い目で睨まれちゃってるじゃないですか。
「家督についての現状は理解した。それで、バルドレードを襲った者達はどうなっている?」
「そちらについては、当家の者が今日か明日にも始末を終える予定でおります」
反貴族派の摘発には手を焼いていて、実質的に俺達が対応するのだと思っていたが、意外にも出番無しで終わりそうだ。
「そうか、ならば明日一番に現場に向けて出立するとしよう」
「そんな……殿下のお手を煩わせるほどの事ではございませぬ」
「構わぬ、私も遊びに来ている訳ではない。ホフデン家の対応状況も、じっくりと見させてもらおう」
バルドゥーイン殿下は、ホフデン男爵家の面々との夕食を断り、ヘーゲルフ師団長、近衛騎士、それに俺を加えた面々と簡単に夕食を済ませた。
その後、ホフデン家の家宰を交えて、反貴族派の状況確認、明日の順路などを確認した。
道中、通過してきたコレッティオ侯爵家でも同じだったが、バルドゥーイン殿下は歓待を殆ど断って実務を優先してきた。
その姿勢は、家宰の口からホフデン家の人々にも伝えられるだろう。
明日の打ち合わせが終わり、ホフデン家の家宰が退席した後、暫し取り止めの無い話をした後で、バルドゥーイン殿下は表情を引き締めた。
「反貴族派の摘発がもう終わるという話だったが、ニャンゴ、ツェザール、どう思う?」
「殿下が視察に赴くと言っても、強硬に止めようとはしませんから、明日には終わるという見通しは本当なんだと思います」
「私もエルメール卿の意見に賛成ですが、あそこまで自信をもって言うのですから、かなりの強硬策を仕掛けたのだと思われます」
ヘーゲルフ師団長の予想では、損害度外視の強硬策が行われた、もしくは現在進行形で進められているらしい。
損害というのは、攻め込む騎士団側もそうだが、反貴族派側の損害についても考慮されていない可能性が高いようだ。
俺は、これまでに何ヶ所もの反貴族派のアジトを見てきたが、殆どの場所に若い男性ばかりでなく貧しい女性や子供、年寄りなどが暮らしていた。
そんな場所で損害度外視の強硬策が実行されれば、犠牲になるのは女性や子供、お年寄りだ。
そうした状況を想像したのか、バルドゥーイン殿下は表情を曇らせた。
「やはり先触れを出したのは失敗だったな」
「殿下は、反貴族派に投降を呼び掛ける予定だったのですか?」
「なるべく、無駄な血は流したくないと思っていたからな」
「そうですね、やむにやまれぬ事情を抱えたり、一部の者に扇動されている場合もありますからね」
オラシオの同期で、騎士見習いから振るい落とされ、反貴族派のアジトに潜入を試みていたウラードの事を思い出した。
実際に反貴族派のアジトで寝起きをして、内部にいる若者たちの実情をつぶさに観察してきたウラードは、騙されている者たちの減刑を望んでいた。
善良な馬鹿は、頭の良い悪党に騙される。
ホフデン男爵領で起こっている反乱ともいえる事態は、ウラードがいた反貴族派のアジトとは事情が違っているかもしれないが、それでも全ての者が罪を犯している訳ではないだろう。
年端もいかない子供達に、領主殺害の罪を問うのは間違っている。
本当に、領主殺害を実行しなければならない程追い込まれていたとしたら、ホフデン男爵家の責任も問うべきだろう。
「とにかく、諸々の判断をするのは、現場を見てからにしよう」
「分かりました」
その晩は、バルドゥーイン殿下の近衛騎士達と一緒の部屋で休むことにした。
バルドゥーイン殿下の部屋は用意されていたが、俺用の部屋は用意されていなかったからだが、その程度のことに文句を言うつもりもない。
翌日は、早朝に出立するように、バルドゥーイン殿下自ら率先して準備を進めた。
出立時間については、ホフデン男爵家の家宰にも伝えてあるので、朝食の支度も出来ていたし、ホフデン家の面々も顔を揃えていたが、全員眠たそうな表情を隠せていなかった。
こんなに朝早くから起きる事なんて無いのだろう。
たぶん、俺達が出掛けた後で、二度寝するんじゃないかな。
伝え忘れた事があった……なんて言って、バルドゥーイン殿下が戻ったりしたら面白いだろうな。
「殿下、では予定通り、俺は空から先行します」
「うむ、通信機は置いていってくれ」
「はい、心得ております」
バルドゥーイン殿下とヘーゲルフ師団長の所に通信機を設置して、俺は空属性魔法のボードに乗って空へと上がった。
空は、太陽が隠れるような雲が出ているが、幸い雨が落ちてくるような気配はない。
反貴族派が立て籠もっている場所までは、ホフデン男爵家の屋敷からは二時間半ほどの距離だと聞いている。
昨日の話だと、既に拠点の摘発は大詰めという感じだったので、そこまでの道程も危険は無いはずだが、情報を鵜呑みにして油断する訳にはいかない。
あまりにも気さくなので忘れがちだが、バルドゥーイン殿下はシュレンドル王国の王族だ。
間違っても危険に晒す訳にはいかない。
ホフデン男爵家の騎士が先導する街道の両脇に目を凝らし、怪しいと感じられる場所はヘーゲルフ師団長に知らせ、確認が取れるまではシールドを展開しておく。
幸い、反貴族派の拠点らしい物が見えてくるまで、何事も無く進んで来られた。
「殿下、前方の山間で煙が上がっているのが見えます」
『例の拠点か?』
「おそらく、そうだと思いますが、まだ建物などは見えません」
『分かった、引き続き監視を続けてくれ』
「了解しました」
山間から立ち上っているのは、炊事のためなどの長閑な煙ではなく、黒く濁った煙だ。
おそらく、現在進行形で炎を上げているのだろう。
隊列が進んでいくと、うわーんと人々が争うような声が聞こえてきた。
どうやら拠点の討伐は、まだ続いているようだ。





