イネスとキンブル(後編)
※今回はイネス目線の話になります。
キンブルと二人きりでの薬草採取は、スタートこそ順調だったけど、途中からは失敗の連続だった。
まず、薬草が生えている場所を見つけられない。
カリサさんと一緒の時には、指示された通りに歩いているだけで薬草が見つかるのだが、私達だけだとウロウロと探し回って、行ったり来たりの連続だった。
私は、今日見つからなかったら、また別の日にでも来れば良いと思うのだが、生真面目なキンブルは目的の薬草が見つからないと気が済まないのだ。
おかげで、当初の予定では昼過ぎぐらいには村に降りているはずだったのが、午後の遅い時間になってもまだ山の中にいる。
そして、薬草を探して下ばかり見ていたせいで、空模様が変わっていたのに気付かなかった。
「ちょっ、降ってきちゃったわよ」
「えっ、いつの間にこんな雲が……」
急に暗くなったかと思ったら、ポツポツと降り出した雨はすぐに本降りになった。
叩き付けるように降り出した雨が視界を遮り、日が差さなくなったことで私達は方向すら見失ってしまった。
「イネスさん、駄目です。闇雲に動いたら余計に迷ってしまいますよ」
「そんな事を言ってる場合じゃないでしょ。ズブ濡れのまま夜になったら、どうする気よ!」
「でも……」
「でもじゃない! とにかく雨宿り出来る場所を探すわよ」
渋るキンブルの手を引いて、とにかく斜面を下る。
どこに向かって歩いているのかも分からないけど、とにかく雨を避けられる場所を探すのだ。
藪を掻き分け、二人ともズブ濡れの状態で彷徨い歩いていると、雨で煙る先に小屋のような物が見えた。
「見て、キンブル。小屋があるわ」
「だ、駄目です……」
「何が駄目なのよ、行くよ」
「駄目、駄目です……」
「うるさい、早く来い!」
せっかく雨宿り出来る小屋を見つけたのに、なぜだか腰が引けているキンブルを無理やり引っ張って、どうにか小屋の中へと逃げ込んだ。
「うわぁ、もうビショビショ……見てキンブル、囲炉裏がある。火の魔道具を持ってたよね……って、キンブル?」
ようやく酷い雨から逃れられたのに、キンブルは小屋の隅にしゃがみ込んでガタガタと震えていた。
「どうしたのよ、体の具合でも悪いの?」
「こ、怖い……怖い、怖い、怖い……」
「キンブル?」
「もう死んじゃうんだ、みんな食べられちゃうんだ?」
「ちょっと、キンブル。どうしちゃったのよ」
「嫌だぁぁぁ! 死にたくない、死にたくない、助けてぇぇぇぇ!」
叫び声をあげるキンブルの顔は真っ青で、正面にいる私の姿すら見えていないみたいだ。
「ちょっと、死んじゃうって……」
「嫌だぁ、ミゲルが大丈夫だなんて言うからだ。みんなコボルトに食べられて死んじゃうんだ」
キンブルの譫言を聞いて思い出した。
以前、キンブル、ミゲル、ダレスの三人が、コボルトの群れに追われて炭焼き小屋に逃げ込んで、ニャンゴの捨て身の活躍が無ければ食い殺されたかもしれない騒動があった。
ここは、その時に逃げ込んだ炭焼き小屋なのだろう。
「キンブル、しっかりして、コボルトなんか居ないから」
「嘘だ、今だって扉をこじ開けようとしてる! もう助からないんだ!」
たぶん、その時の恐怖が蘇って、現実と妄想の区別が付かなくなっているのだろう。
このまま夜を迎えてしまったら、凍え死ななくても、酷い風邪を引いてしまいそうだ。
「しっかりしなさい! 火を焚くわよ、魔物は火を恐れるから火を焚くの! 火を焚けば助かるかもしれないわ!」
「火……火を焚く?」
「そうよ、早く火の魔道具を出して!」
キンブルはのろのろとした動きながらも、火の魔道具を取り出した。
幸い、炭焼き小屋の中には小さいながらも囲炉裏があり、そばには薪も積まれていた。
乾いた細い枝を組んで、その上に細い薪を組み、周囲を太い薪で囲う。
火の魔道具で細い枝に火を着けて、組んだ細い枝へ火を移していく。
火が着いた事で、小屋の中が明るくなる。
「ほら、キンブル、火の近くに来なさい」
「あっ……火……」
小屋の隅に蹲っていたキンブルの手を引っ張って、囲炉裏の近くへ連れていく。
火の明かりと暖かさを感じたおかげか、キンブルの瞳に正気が戻ってきたみたいだ。
「あっ、僕……どうして……」
正気が戻りつつあるみたいだが、まだ状況が把握できていないみたいだ。
それに、火に当たっているのにガタガタと震えている。
かく言う私も、さっきから寒くて体が震えている。
「キンブル、脱いで!」
「えっ?」
「いいから脱いで、服を絞って乾かすわよ。でないと凍えるわよ」
「は、はい……えぇぇぇ!」
もう恥ずかしいとか言っている場合じゃないので、私も思い切って服を脱いで絞る。
シャツもスカートも脱いで絞り、迷ったけれど下着も脱いで、絞った手拭いで体を拭いて火に当たると、震えも収まってきた。
ふと気付くと、キンブルがじっと私を見ていた。
真っ青だった顔は紅潮し、なんだか鼻息が荒い。
「イ、イネスさん、僕……」
「さっきまでコボルトの幻に震えてたのに、一丁前に色気づいてんじゃないわよ。変な事したら、カリサさんとゼオルさんに言いつけるからね」
「す、すいません……」
立ち上がりかけていたキンブルは、両手を股に挟んで蹲った。
私だって男女の行為に興味が無い訳ではないけど、こんな状況に流されてなし崩しでするなんて嫌すぎる。
「こっち見るな!」
「すいません……」
顔を背けたままで、横目でチラチラ見ているのに気付かないとでも思っているのだろうか。
焦がさないように気を付けながら、急いで下着だけ火に当てて乾かして身につけた。
ちょっと生乾きだけど、贅沢は言ってられない。
シャツも背中の方を先に乾かして、前側は少し生乾きでも着ながら乾かすことにした。
これだけ警戒している様子を見せれば、襲い掛かってこようとはしないはずだ。
不安があるとすれば、私が魅力的すぎてキンブルの自制心が耐えられなくなることだが……まぁ、無いな。
私がシャツを着込んでスカートを乾かし始めると、キンブルも大分落ち着いて来たようだ。
ただ、色々と気まずくて、いつものように話せず、小屋の中には雨の音だけが響いていた。
「ねぇ、キンブルは何でカリサさんの弟子になろうと思ったの?」
「僕は……ニャンゴさんみたいになりたかったんです」
「ブロンズウルフを倒したり、王都に行くような冒険者になりたかったの?」
「いえ、そうではなくて……ミゲルの言いなりになって、いっぱい意地悪をしていた僕をニャンゴさんは命懸けで助けてくれました。損だとか、得だとか、仲が良いとか、悪いとか、そういうのを全部抜きにして、困ってる人を助けてあげられる人になりたかった……けど、どうして良いのか分からなかった」
「それでカリサさんの弟子になろうと思ったの?」
「はい、オークの群れに村が襲われた後、ニャンゴさんがカリサさんの弟子を探しているって聞いて、冒険者は無理でもそれなら出来るんじゃないかって……」
キンブルにとって、ニャンゴは憧れの存在であり、怖ろしい存在でもあるらしい。
「ミゲルには、年上のダレスも逆らえなかったのに、ニャンゴさんだけは面と向かって歯向かっていて、そういうのが凄く格好良かったんだけど、僕には真似できなくて……」
「まぁ、そうね。ニャンゴは昔から変だったからね」
ニャンゴは小さい頃から猫人なんだけど猫人らしくない所があって、ずっと変な子だと思っていた。
変だとは思っていたけど、まさか名誉子爵様になるなんて思いもしなかった。
あんなに出世するって分かっていたら、誘惑して私にメロメロにしてやったのに……なんて思ったりしたけど、ニャンゴの活躍はとてもじゃないけど予想できなかった。
「ニャンゴの真似なんて出来やしないんだから、私たちは地道に修行するしかないのよ」
「そうですね。薬草採取ぐらい、一人で出来るようにならないと……」
本当に、急な雨に打たれて小屋に逃げ込んでいるようでは、いつまでたっても半人前だろう。
「キンブル、何か食べる物を持ってる?」
「いいえ、お昼のお弁当は食べてしまいましたから、何も無いです」
「はぁぁ……諦めて寝るしかなさそうね。キンブル、あんだけ迷惑かけたんだから、私が風邪引かないように火の番してよね」
「はい、ちゃんと番をしてますから、イネスさんは寝て下さい」
服を乾かした後、敷物を乾かして、それを囲炉裏端に敷いて横になる。
お腹が空いていたけれど、一日山を歩き回った疲れで、あっさりと眠りに落ちた。





