葛藤の先にあったもの中編(カバジェロ)
「ジェロ、一緒に来てくれ。猫人の目線での意見が聞きたい」
「分かりました」
ラガート子爵とエルメール卿を乗せた魔導車が見えなくなって、ようやく訓練生が解散して馬車を敷地に入れられた。
俺が施設内部を見たいと言い出すよりも先に、オイゲンさんから同行するように言われた。
グラーツ商会の前に待っていた馬車は、イブーロにある陶器工房のものらしい。
そちらは陶芸の訓練所を主に見るようで、グラーツ商会とは別の案内人が付くようだ。
「ようこそいらっしゃいました。本日案内をさせていただきます、テザスと申します」
グラーツ商会の案内を担当するテザスは、三十代ぐらいのロバ人で、ラガート子爵の文官を務めていたらしい。
「グラーツ商会のオイゲンです、よろしくお願いいたします。それにしても、エルメール卿の人気は凄いですね」
「エルメール卿は、ここの訓練生にとっては究極の目標であり希望ですからね」
「究極の希望ですか」
「エルメール卿は、アツーカ村というラガート領でも貧しい村の小作人の三男として生まれました。いうなれば、もっとも恵まれない環境に生まれ、巣立ちの儀で授かった魔法も空っぽと揶揄される空属性。そんな境遇から努力と工夫を重ねて名誉騎士として叙任されるまでになった究極の成功者です」
「なるほど、訓練生も努力次第では、名誉騎士は無理だとしても、才能を開花させて良い暮らしが出来るかもしれないと思っている訳ですね」
テザスは、オイゲンさんの言葉に何度も頷いてから話を続けた。
「実際には、そんなに上手くはいかないだろう……と思われるかもしれませんが、ここにいる者の多くは、キチンとした訓練を受けてこなかった者ばかりです。世間の実情も知らずに街に出て、世間の厳しさに跳ね返されたり騙されたりして社会の最底辺に落ちてしまった者達です。半ば人生を諦めていた者達がやり直すチャンスを与えられ、そのための訓練を受けられる。更には、目標となる人物が存在する。好循環は、我々の思う以上の成果をあげつつあります。まずは、昼食を召し上がっていただいて、その後、ゆっくりとご案内いたします」
「ありがとうございます」
「召し上がっていただく昼食も、ここの訓練生達が指導を受けて作ったものですよ」
「ほほう、それは楽しみですね」
馬車の管理は訓練施設の人がやってくれるそうで、タールベルクとルアーナも一緒に昼食を食べて、その後の見学にも加わる事になった。
昼食は、エビのかき揚げをパンで挟んだものだった。
「んーっ! これ美味しいよ、ジェロ!」
「あぁ、うみゃいな。初めて食べる味だ」
エビは養殖技術を学んでいる訓練生が湖から水揚げして、運んで来たものを厨房での業務を習っている訓練生が調理したそうだ。
さすがに粉は違うそうだが、パンも訓練生が指導を受けて焼いたものらしい。
オイゲンさんや商会の幹部たちは、かき揚げだけやパンだけを味わって出来栄えの評価をしているようだが、否定的な意見は少ないようだ。
訓練施設は、陶芸、木工、鍛冶、革細工、裁縫、調理など多岐に渡って行われているそうだ。
「テザスさん、先程拝見しましたが、相当な人数がいるように見えましたが、あれだけの人数が全て職に就けるのでしょうか」
「その疑問は当然だと思いますが、職に就けるかではなく、職に就ける状況を作るのが我々の役目だと思っています。職人が能力を発揮するには、物が売れなければなりません。そのためには世の中全体が裕福にならなければいけません。簡単な話ではありませんが、子爵様が先頭に立って、新しい産業、新しい商品の開発を推進しているところです」
「ほぅ、それは楽しみですね」
「はい、中でも複合型の魔道具は、この国の魔道具の概念を変えてしまうでしょう」
「複合型の魔道具……ですか?」
「はい、エルメール卿が発案したもので、複数の魔道具を組み合わせて一つの道具として活用するものです」
テザスの説明に、オイゲンさんもグラーツ商会の幹部達も首を捻っている。
「申し訳ないが、魔道具を組み合わせるとは、どういう意味ですか?」
「詳しい内容はイブーロの魔道具工房で聞いていただいた方が確実ですが、たとえば冷却の魔道具と風の魔道具を組み合わせて冷風を出したり、温熱と風の組み合わせで温風を出したり、温熱と水でお湯を出したり……といった感じですね」
「お湯の魔道具ならば、既に広く使われていますが……」
「そうですね。ですが、これまでのお湯の魔道具は、火の魔道具や温熱の魔道具で金属の管を温め、その中に水を通してお湯にしていましたが、複合型の魔道具では温熱の魔道具の中を水が通り抜けてお湯を作ります。水の代わりに風を通せば温風になるという訳です」
テザスが更に詳しい説明をしてくれたのだが、オイゲンさん達はまだ首を傾げている。
「その……温熱の魔道具の中に水や風を通すというのは、どういう意味ですか?」
「あぁ、申し訳ない、肝心な説明を忘れていました。新しい魔道具に使われている魔法陣の部分は中空構造になっています」
テザスが追加の説明をすると、オイゲンさん達は食い入るように説明に聞き入っていた。
逆に説明をするテザスは、ちょっと失敗した……といった表情を浮かべている。
オイゲンさん達の興味の半分ほどは複合型の魔道具に奪われてしまっているようで、説明をするなら施設の見学を終えてからの方が良かったと思っているのだろう。
だが、いざ見学が始まるとオイゲンさん達の視線は訓練施設に釘付けになり、テザスの心配は杞憂に終わった。
「これは……かなり本格的ですね」
「はい、どの部門も長く職を務めた後、年齢的な理由で一線を退いた者が教えています。従来こうした職人仕事は見て覚える、見て盗むという感じで、技術の習得まで長い時間が掛かっていました。ここでは基本的な技術を標準化して、徹底的に教え込む事に主眼を置いていますので、これまでよりも短い期間で実務が行えるようになります」
「基本がシッカリしていれば、応用も利くという訳ですね」
「まぁ、ベテラン職人の域まで到達するのは簡単ではありませんが、高級品は無理でも汎用品ならば十分に製作出来るようになりますよ」
「なるほど、やはり実務経験も必要という事ですね」
「その通りです」
鍛冶、陶芸と訓練施設を見て歩いたが、猫人の姿は殆ど見当たらない。
結局は冷遇されているのかと思ったら、革細工の訓練場では数多くの猫人が訓練を受けていた。
「これは……随分と猫人が多いですね」
「この施設では人種による差別を禁止していますが、残念ながら世の中には人種による偏見や差別が存在しています。中でも猫人の体毛に関する差別は顕著で、食料品を扱う職種では敬遠されています。一方で、こうした革細工や木工などでは体毛云々の影響はありませんので、将来世の中に出て働く時に、影響の少ない職種を選んでもらっています」
「なるほど……ジェロ、どう思う? ……ジェロ?」
「えっ……は、はい、何でしょう?」
テザスの説明やオイゲンさんの問い掛けも聞こえないぐらい、訓練場の様子に見入っていた。
「ジェロの目には、この施設はどう見える?」
「信じられないです。猫人が、こんなに親切にしてもらってるなんて……」
仕事のやり方は、聞いてもロクに教えてくれないから見よう見まねでやり、上手くいかないと怒鳴られ、殴られ、蹴られる……それが猫人の世間での扱いだ。
こんなに親切丁寧に教えてもらい、真剣な表情で仕事に取り組む猫人は見たことが無い。
ちゃんと教えてくれないから仕事が上手く出来ない、仕事が出来ないから怒られる、怒られるから自信が無い、やる気が起きない。
だけど、猫人だって普通に接してもらえれば他の人種と変わらない仕事が出来るのだと、訓練を受けている者達が体現している。
「子爵様は、貧民街の解体について計画を練っておられたそうですが、エルメール卿が猫人の地位向上を強く求められたので、更に対策を考慮されたそうです」
「そうなんだ……」
こんな大規模な施設は、急に用意出来ない事ぐらい俺にも分かる。
ラガート子爵は何年も前から貧しい者達に手を差し伸べる準備をしていたのだろう。
あの黒猫人の冒険者ニャンゴは自分が成り上がることだけでなく、他の猫人の事まで考えて領主に要望まで出していた。
それなのに俺は、貴族は全て悪だと決めつけ、ラガート子爵を殺害しようと試み、護衛を務めていたニャンゴを貴族の飼い猫と罵った。
なんと無知で、なんと愚かだったのだろう。
ニャンゴが名誉騎士に叙任されたのに、俺は片腕片足を失ってしまったのも当然の報いだろう。
「ジェロ……大丈夫?」
ラガート子爵やニャンゴとの人間としての器の違いを見せつけられて、衝撃の余りに考え込んでいた俺を心配してルアーナが声を掛けてきた。
「ルアーナ……」
「どうかしたの? ジェロ」
「いや、大丈夫だ……大丈夫」
性格が捩じれまくった俺とは違い、真っ直ぐなルアーナが眩しくみえる。
オイゲンさんからは一緒に見学してくれと言われていたが、ルアーナの手を握って残りの見学を行った。
木工の訓練所にいた猫人達も、充実した顔つきで作業に取り組んでいたし、猫人以外の者達も皆真剣に訓練を行っていた。
もし、ダグトゥーレなんかに出会わずに、こんな訓練施設に入れていたら、俺の人生は違っていただろう。
もっと早く、ルアーナに出会えていたら、あんな馬鹿な真似はしなかったと思う。
施設の見学を終えて、グラーツ商会の馬車は湖沿いの道へと戻った。
今夜は湖畔の村で宿を取る予定になっている。
湖面を渡ってきた涼しい風が、隣に座ったルアーナの髪を揺らしていた。
施設を出て暫くすると、右手前方にラガート子爵の城が見えてきた。
「タールベルク、城の門の前で馬車を停めてくれないか?」
「ん? どうかしたのか、ジェロ」
「ちょっとな……頼むよ」
「まぁ、いいだろう」
タールベルクもルアーナも不思議そうな顔をしているが、曖昧な笑いを返しておいた。
ラガート子爵の城は広い水堀に囲まれていて、まるで湖に浮かんでいるように見える。
南門へは橋を渡っていかねばならず、橋のこちら側にも検問所があって複数の騎士が見張りに立っていた。
その検問所の前でタールベルクが馬車を停め、俺は馬車の脇に吊ってあった杖を持って御者台から飛び降りた。
「タールベルク、世話になりっぱなしで何の恩返しも出来ずに申し訳ない。ルアーナ……ごめん」
「ジェロ……」
戸惑うルアーナに背を向けて、検問所に歩み寄ると、騎士が気さくに声を掛けてきた。
「何か用かな?」
「あぁ……俺の名前はカバジェロ、ラガート子爵の魔導車を襲撃して捕えられ、王都に送られる途中で脱走した反貴族派の一員だ! 罪を償いに来た!」
「なんだと……」
俺に応対した騎士が戸惑っていると、検問所の中から鋭い声が響いてきた。
「何をしてる、捕えろ!」
「はっ!」
駆け寄ってきた騎士に持っていた杖を蹴り飛ばされ、右腕を背中に捻り上げられて、地面に抑え込まれた。
「ジェロー!」
悲鳴のようなルアーナの声に、思わず振り向いてしまった。
駆け寄って来ようとするルアーナを別の騎士が制止する。
「離して、ジェロ、ジェロー!」
「ルアーナ! 愛してる……さよならだ!」
縛り上げられた俺は、騎士に担がれて橋を渡り、領主の城へと連行された。





