出立前夜
昼間は茹だるような暑さだが、日が沈んだ後のイブーロには涼しい風が吹く。
前世で暮らした東京のように、辺り一面アスファルトで固められていないし、熱を放出する冷房の室外機も無いからだろう。
拠点の屋根から見下ろすと、貧民街のあった方向で明かりが灯っているのが見える。
既に区割りが行われて、街灯の敷設も始まっているらしい。
工事に携わっている作業員を目当てにした飲食店なども出来始めているらしく、そうした明かりが見えるのだろう。
こうして拠点の屋根から見るイブーロの夜景も、今夜が見納めだ。
探していた大型の馬車が見つかり、旧王都までの道程に不安がないように手入れもされて拠点に届けられた。
今度の馬車は二頭立てなので、馬も一頭追加された。
馬が増えれば、当然飼い葉も倍の量が必要になるので、早々に出立の準備が進められ、いよいよ明日の朝にはイブーロを出発する。
全員の荷物の積み込みも終わり、ボードメンのリーダー、ジルに拠点の引継ぎの打ち合わせも済ませたらしい。
屋根裏部屋に残されている荷物は、ハンモックが一つだけで、今夜はここでレイラと一緒に眠る予定だ。
アツーカ村から拠点に戻ってきた兄貴は、レイラの裸族生活にビックリして、ガドの部屋で居候を始めた。
別に、屋根裏部屋ではうにゃうにゃしないから、一緒に居たって構わないのに、布団を抱えて出て行ってしまった。
そういえば、アツーカ村でも実家に戻らずにゼオルさんの所に居候していたし、まさか貧民街で、おっさんLOVEな趣味に目覚めてしまったんじゃないだろうな。
恋の相手にするなら、ミリアムもいるんだから危ない趣味には走らないでもらいたい。
「ニャンゴ……どこ? 髪を乾かしてぇ……」
「はいはい、ただいま……」
レイラに呼ばれて屋根裏部屋に戻った。
小さな明かりの魔法陣に照らされたレイラは、濡れた髪をタオルで包んでいるだけで、何も身に着けていない。
「うん、やっぱり兄貴が逃げ出す気持ちがちょっと分かったかも……」
「なぁに? 何か言った?」
「ううん、こっちの話」
レイラの髪を温風の魔法陣で乾かし終えたら、抱え上げられてハンモックの上へと連れていかれた。
「レイラ、暑くないの?」
「私? 別に平気よ」
「それならいいけど……」
「なぁに? ニャンゴは私と一緒は嫌なの?」
「嫌じゃないよ。ただ、暑くないのかなって思っただけだよ」
俺も着ているのはトランクス一枚だけなので、モフモフを直接抱えていたら暑いだろうと思ったのだ。
「屋根の上で何してたの?」
「街を見ながら、イブーロに来た頃を思い出してた」
「トラのおじさまと一緒だったわねぇ……その前も」
「覚えてたの?」
「勿論、覚えていたわよ。どうやったのか、あの時は分からなかったけど、ローダスを返り討ちにしてたでしょ?」
「あれは、向こうから絡んできたから……」
「ふふっ、大きな声でミルクを頼んで、誘ってたクセに……」
「みゃっ、そんにゃことは無くなくないかにゃぁ……」
初めてゼオルさんに連れて行ってもらったギルドの酒場で楽しくなって、ついお約束の展開ってやつを味わってみたかったんだよねぇ。
今みたいに空属性魔法で魔法陣を発動させる方法を思い付く前で、シールドとかサミング程度しか使えなくても冒険者を返り討ちに出来たので、少し自信がついたのを覚えている。
「それよりも、チャリオットに加入するためイブーロに出て来たら、何か名前が知られていてビックリしたよ」
「そりゃあ知られるわよ。ブロンズウルフに止めを刺したのは猫人だった……なんて聞かされれば、殆どの冒険者はどんな奴なのか見たくなるものよ」
確かに、噂を聞く側だったら、真偽を自分の目で確かめたいと思うだろう。
「それにね、ブロンズウルフの討伐に絡んでは、レイジングの問題があったでしょ。だから余計に話が盛り上がっていたのよ」
ブロンズウルフの討伐には、チャリオットの他にジルが率いるボードメンと、もう一つの冒険者パーティー、レイジングが参加していた。
レイジングは、ライオスやジルを筆頭に多くの冒険者が死に物狂いの戦いを続けている間、援護せずにブロンズウルフが弱るのを待っていた。
全てはリーダーであるテオドロの指示だったそうだが、味方を盾に使おうとしたり、手柄を横取りしようとする姿勢に他のメンバーが反発して、パーティーは解散している。
「そう言えば、テオドロって貧民街のボスに雇われていたとか聞いたけど……」
「ええ、そうよ。お尋ね者として懸賞金が懸かってるわよ」
「それって、生死は問わず?」
「そうよ。あれだけの事件に関わっているのだから、死刑は免れないでしょうね」
貧民街の崩落では、多くの官憲職員、商工ギルドの職員などが巻き込まれて命を落としている。
当然、官憲などは威信を懸けて追跡を行っているが、いまだに捕らえたという話は聞かない。
「噂に聞いたんだけど、南の方角に向かっているらしいわよ」
「それって、もしかして旧王都に向かっているのかな」
「その可能性は高いわね。旧王都は他に比べて取り締まりが緩いみたいだからね」
ダンジョンのある旧王都は、その名の通り以前は王族が暮らす都だったそうだ。
治安の悪化などを理由に、今の新王都に遷都が行われてからは、旧王都周辺は大公が治めていると聞く。
ダンジョンの探索は危険を伴うので、より多くの探索者を集めるために詳しい身元調査などは行っていないらしい。
冒険者ギルドはあるけれど、ギルドを介さない発掘品の取引なども盛んに行われているそうだ。
つまり、お尋ね者になってギルド経由の仕事を受けられなくなっても、ダンジョンならば稼げる、旧王都ならばやっていけるという訳だ。
ただし、そうしたお尋ね者を狙う賞金稼ぎも存在しているらしい。
大物になれば大金貨数枚の懸賞金を懸けられるお尋ね者もいるし、そうした奴を仕留めれば賞金稼ぎとして名前を売れる。
中には、殺人事件の被害者から多額の金で仇討ちを依頼される者もいるそうだ。
「ダンジョンで鉢合わせになったら、どうするんだろう……」
「そんなの捕まえるに決まってるでしょ。一緒にお尋ね者になっている裏社会の連中まで捕まえれば、いい稼ぎになるわよ」
「でも、テオドロの顔は知ってるけど、他の連中は知らないよ」
「手配書に特徴が書かれているわよ。多分、セルージョが手に入れて来てるんじゃない?」
「あぁ、そうかも。明日でも聞いてみるよ」
普段はチャラい感じのセルージョだけど、意外に……と言ったら失礼だけど気が利く。
討伐した魔物の買い取り交渉も、殆どセルージョがやっている。
確か、今回購入した馬車も、セルージョが交渉していたはずだ。
「出来れば、こちらの存在を気付かれる前に見つけたいわね。ニャンゴ、捕まえるのはお手のものでしょ?」
「生け捕りにしろって言うなら、生きたままでも捕まえるよ」
「テオドロ達の場合、騎士団や官憲、ギルドの職員が命を落とした貧民街の崩落の主犯グループとされているから、生かして捕らえてイブーロまで護送すれば相当な金額になると思うわよ」
お尋ね者の懸賞金は、犯罪の種類によって異なる。
罪が重いほど懸賞金の額も上がるし、被害者の遺族が金額を追加する場合もある。
テオドロ達の場合、騎士団や官憲が面子を潰された形なので、より高額になっているのだろう。
そして、捕らえた後に、面子を回復させるための公開処刑を行えるように、生きたまま護送すれば更に増額されるという訳だ。
「でも、またイブーロまで戻ってくるのは手間じゃない?」
「そういう時は、官憲が護送を担当してくれるそうよ。自分で連れ帰るよりは減額されるみたいだけどね」
「そっか、じゃあ見つけたら生け捕りにして旧王都の官憲に突き出せばいいのか」
「そうね、それが一番良いわね」
「旧王都か……どんな所なんだろう」
ゼオルさんから色々と話を聞かせてもらったが、旧王都を離れてから十年以上経っているそうなので、今とは状況も変わっている可能性が高い。
「王都にも寄るんだよね?」
「その予定だって聞いてるわよ。折角行くんだから、王都見物ぐらいはしたいわよね」
「オラシオに会えるかなぁ……」
「幼馴染が騎士団にスカウトされたんだっけ?」
「うん、王都に行った時に会ったけど、頑張ってた。きっと立派な騎士になるよ」
「ふふっ、名誉騎士様の保証付きなら大丈夫じゃない」
「俺が保証しなくたって、オラシオならば大丈夫だよ」
同室の仲間にも恵まれていたし、アツーカにいた時とは別人かと思うほど逞しくなっていたから、きっとオラシオは大丈夫。
王都で再会したら、また食べ歩きして遊びたいな……。
いつの間にかレイラは寝息を立てていたけど、明日からの旅路が楽しみでなかなか寝付けなかった。





