風貌(カバジェロ)
グラーツ商会の馬車はルガシマの街を出ると、ブーレ山の裾野を回り込むように進んで行く。
街道の両側に広がっているのは牧草地で、風が朝露に濡れた草の匂いを運んでくる。
「んー……気持ちの良い朝ですね」
「今のうちに距離を稼いでおかないと、今日も暑くなりそうだからな」
護衛の依頼に同行して日にちを重ねることで、ルアーナもタールベルクに馴染んできた。
最初の頃は、有名な元冒険者ということで身構えている場面が見受けられたが、今は自然に会話をしている。
「この辺りは、魔物に対する警戒はそんなにしなくても良い。放牧している家畜を守るために牧童や雇われた冒険者が目を光らせているからな」
「では、気を付けるのは盗賊だけ……ですか?」
「そうだ。ただし、見て分かるだろうが、殆どが牧草地だから見通しが良い。仕掛けてくる場所は限られているし、あとは不審な馬車に気を配ることだ」
ブーレ山を回り込む街道の周囲は、雑木林なども切り開かれて見通しが良くなっている。
それでも、この季節には背の高い雑草が生えてくるし、一見すると平坦だが起伏の先が見えにくいような場所もある。
盗賊達は、そうした場所に身を潜め、近付いてきた馬車を襲い、馬車ごと奪っていくらしい。
また別の方法としては、馬車の中に潜み、すれ違いざまや追い抜きざまに襲ってくることもあるそうだ。
こうした盗賊の行動は、なにもこの辺りに限った事ではなく、どこの街道でも同じように起こり得る。
馬車での移動の際は、前後、それに向かい側から近付いてくる馬車に目を光らせておく必要がある。
グラーツ商会の会長であるオイゲンさんは、年に一、二度こうして他の街を見て回るらしい。
これまでに取引してきた工房と商談を行うと同時に、新しい職人の発掘も行っているそうだ。
なので、ルガシマの街にも三日間滞在して、職人の工房巡りをしていた。
この先、ラガート子爵領に入った後も、ナコートの街に数日滞在するようだ。
その後は、トモロス湖畔に作られた職業訓練施設を見学し、最終目的地はイブーロという街らしい。
「職業訓練施設って、どんなものなんですか?」
「詳しくは知らないが、イブーロの貧民街にいた連中を移送して、そこで働くための技術を教えているらしい」
タールベルクの話によれば、イブーロにあった貧民街が崩落したらしい。
「崩落……って、崩れたんですか?」
「そうらしいな。元々が漏斗のような窪地に、バラックが寄せ集まって出来ていたそうだが、裏社会の連中が官憲の手入れを狙って粉砕の魔道具を使って底の部分を爆破、一気にバラックが崩れ落ちて相当な数の犠牲者が出たらしいぞ」
粉砕の魔道具と聞いて、あの襲撃の現場で爆死したラロスを思い出してしまった。
ラロスは、ダグトゥーレの口車に乗せられて、意味の無い死を迎えさせられてしまった。
その貧民街で犠牲になった人達も、裏社会の連中の身勝手な行動の犠牲となったのだろう。
「粉砕の魔道具なんか、この世から無くなれば良いのに……」
俺が無意識に発した言葉を聞いて、ルアーナとタールベルクの会話が途絶えた。
「そうだな、ジェロにしてみれば、その体にさせられた忌まわしい魔道具なんだろうな」
「ジェロ……」
そうだ、危うく忘れそうになっていたが、俺の左手と右足が無いのは、実際は暴走する魔力を抑えた結果なのだが、タールベルクには爆破に巻き込まれたからだと話したのだ。
話を合わせておかないと、俺の身元まで疑われてしまう。
「だがな、ジェロ。道具というものは、あくまでも道具であって自分の意志で何かを成すものじゃない。粉砕の魔道具だって誤った使い方をされなければ、お前を傷つけることはなかったはずだ」
「分かっている、剣や魔法は勝手に人を殺したりしない、人を殺すのは人だろう」
「そうだ……」
領地の境の小川の畔で休憩を入れ、いよいよ馬車はラガート子爵領へと入った。
ラガート領の兵士にギルドカードを提示し、何事も無く通行を許された。
ラガート子爵領に入ったからといって、何かが突然変わる訳ではない。
相変わらず周囲は牧草地だし、遠くには草を食む牛の姿が見える。
空気だって変わっていないはずなのに、なぜだか胸がざわめく。
ここは、あの黒猫人の冒険者が暮らす領地だ。
もし……もし再会したら、あいつは俺の顔を覚えているだろうか。
俺は、あいつの顔を覚えているけれど、多分あいつは俺を見ても気付かないと思う。
あいつと同じ真っ黒だった毛並みは、いまは灰色になっている。
そして、護送される馬車から脱走した当時に水鏡に移った顔と、今の顔とでは自分で見ても別人にしか見えないのだ。
脱走した当時は、自分と仲間以外は信用出来ず、周りにいる全ての者が敵に見えていた。
食うもの、着るもの、暮らす場所に困り、盗みを繰り返して食い繋いでいた。
今よりもガリガリに痩せていたし、目付きももっと険しかった。
それが今は、顔の輪郭も丸みをおびたし、吊り上がっていた目付きも柔らかくなった。
そうだ、あの取り調べの時に、腹の底から嫌悪して、殺してやりたいと強く願った幸せそうな猫人の顔にいつの間にかなっていたのだ。
「どうしたの、ジェロ。怖い顔してるよ」
「あぁ、ちょっと昔の事を思い出してたんだ」
「昔は昔、今は今だよ……」
「あぁ、そうだな」
ルアーナにギュっと抱き寄せられて、胸のざわめきの理由が分かった。
俺は、ルアーナを失いたくないのだ。
もし、あいつと再会して、俺が脱走した襲撃犯だとバレてしまったら、俺は間違いなくお尋ね者として追われる事になるだろう。
何しろここは、俺達が襲撃したラガート子爵が治める領地なのだから。
あいつ以外にも、俺の顔を覚えている騎士がいるかもしれない。
こちらが覚えていなくても、向こうは脱走した俺を記憶しているかもしれない。
タールベルクに拾われて以来、すっかり忘れていた捕らえられるかもしれないという恐怖心が戻って来た。
いや正確には、タールベルクに拾われる以前は、自暴自棄な気持ちだったから捕まる恐怖心すら感じていなかった。
これは、ルアーナと出会ってから知った気持ちだ。
毛色が変わり、左手と右足を失い、顔付きも変わってバレないと思うけれど、バレたらそこで終わってしまう。
急にキルマヤに帰りたくなったが、ルアーナとこの先も一緒にいるためには、このまま護衛として同行するしかない。
あとは、俺を知る者と再会しないことを願うしかない。
この日は、昼前から雲がかかり始め、思っていたほど気温が上がらずにすんだ。
夏の暑さは、馬車を引く馬にとっても、俺達猫人にとっても大敵だ。
風通しの良い日陰の冷たい岩の上などで、ぐてーっと伸びていたい。
冬は有難いが、夏は自前の毛皮を脱いでしまいたくなる。
ナコートの街には予定よりも早く、日が傾く前に到着出来た。
雲は更に厚みを増して、今にも雨が落ちてきそうだ。
グラーツ商会がいつも使っている宿の部屋が空いていたので、宿探しに難儀せずに済んだ。
「これはこれは、オイゲンさん、ようこそいらっしゃいました」
「やぁ、テッセ、また厄介になるよ。今回は七人だ」
「いつもの方々に……犬人の女性に猫人の男性ですか……」
「あぁ、商会にとって将来の投資だよ」
「さようでございますか」
「部屋は、いつも通り三部屋で構わない」
「かしこまりました」
オイゲンさんは、荷物の運搬などを商会の幹部と執事に任せて、宿の主人と話し込み始めた。
ナコートで流行っている商品や、新しい職人に関する情報を仕入れているそうだ。
宿の方でも心得ているらしく、オイゲンさんが興味を惹きそうな情報を仕入れているそうだ。
オイゲンさんは、こうした宿の情報や既に取引のある職人から情報、それに実際に街を歩いて自分の目で見て新しい商品や職人を探すらしい。
その街では珍しくなくなった商品であっても、他の街に持っていけば目新しい商品として利益を産む。
当然、既存の商品に関しての知識や運搬に関わる諸経費などの知識を持たなければ商売として成り立たない。
いくら安く仕入れる事が出来ても、運搬するのに金や時間が掛かり過ぎたり、持って帰っても売れなければゴミと変わらなくなってしまう。
商人としての資質が問われる時間だそうだが、傍から見ている俺には純粋に楽しんでいるようにしか見えない。
部屋に荷物を置いた後は、馬車を預け、ルアーナは馬の世話に取り掛かる。
幸い、雨が降り出したおかげでオイゲンさんが外出を取りやめたので、タールベルクも馬の世話に加わった。
小柄なルアーナが、二頭の馬を洗うのは重労働だ。
それに、まだ馬から舐められている感じがする。
そこにタールベルクが加わると、馬たちはあからさまに従順になるのだ。
「なぁに、こんなものは慣れだ慣れ。イブーロまで行き、帰り道ではルアーナにも手綱を握ってもらう。そうなれば、こいつは自分たちに指示を出す立場なのだと理解していくようになる」
「そうですかねぇ……全然私の時と態度が違うんですけど……」
「馬は利口な動物だからな。まぁ、すぐに慣れるさ」
ルアーナには慣れるかもしれないが、俺には無理そうだ。
俺に出来ることは限られているので、飼い葉や水を小分けにして運んだりしているが、馬からすれば自分たちに奉仕する存在ぐらいに思っていそうだ。
雨が強くなってきたので、馬を洗うには好都合だったが、タールベルクもルアーナもずぶ濡れだ。
それでも、馬を厩に入れて体を拭いてやる方が先なのだから、冒険者は楽じゃない。
ルアーナも慣れない仕事の毎日で疲れが溜まっているはずなのに、ちっとも辛そうな様子を見せない。
「よし、こっちはもういいぞ、ルアーナ。先に水浴びして着替えちまえ、それとついでジェロも洗っておけ」
「はーい、分かりました。いこう、ジェロ」
「お、おぅ……」
キルマヤを出発する前は、例の騒動絡みで暗い表情を浮かべることが多かったルアーナだが、今回の護衛では笑顔を浮かべることが増えているように感じる。
というか、俺ももう少しシッカリしないと、このままではルアーナのオマケになってしまいそうだ。
「ルアーナ、着替えを持ってくるよ」
「うん、私の分もお願い」
「分かってる」
「ねぇ、ジェロ……」
「なんだ?」
「楽しいね」
「あぁ、そうだな……」
輝くようなルアーナの笑顔に、俺も自然と頬が緩む。
やっぱり、今の俺を見ても、ニャンゴは俺だと気付かないだろうな。
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